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北海道ヒッチハイク②

高校山岳部(OB参加)の大雪山縦走(天人峡クワゥンナイ沢〜トムラ〜白雲〜黒岳)を終え、ぼくは昨年の1人旅が忘れられず、滝上の知り合いのところへ行くという母の車に乗って、そこからヒッチハイクに出かけた。

今回はスケッチ道具を持ってゆっくり旅行しようと思った。
岩尾内ダムからイベントを終えたというきれいなお姉さんがスポーツカーで拾ってくれ、士別まで乗せてくれた。

岩尾内ダム


士別からはガラス建具屋さんのご夫婦が旭川までトラックの荷台に乗せてくれた。

富良野まで行こうと国道を歩いた。途中1台の車が上富良野まで乗せてくれ、ラベンダーの咲き乱れる丘のキャンプ場に泊まった。そこから見渡せる夕景や富良野盆地はラベンダーの香りに包まれ、ドヴォルザーグの「新世界」のシンフォニーが心の中に聞こえるようだった。

日の出公園キャンプ場から望む景色

翌日は富良野から帯広まで歩いたり、ヒッチハイクしたりした。
帯広が近くなるとヒッチハイクはほとんど成功しなかった。
帯広駅から豊頃町へ引っ越ししていた死んだお父さんの友人だったSさんのところへ電話するも留守のようだった。
仕方なく近くにある池田町まで列車に乗り、まきばの村というキャンプ場に雨の中テントを張った。そこには五右衛門風呂があり、はじめてそういったお風呂に入った。

翌日は、太平洋岸へ出て、音別でスポーツ用品店をしているおじさんに拾ってもらって大企業へ依存する町民の話しを聞いた。
佐◯急便トラックのお兄ちゃんに拾ってもらった。お兄ちゃんは結婚資金を貯めていて、途中の白糠では歯科診療所に勤める彼女さんからお昼のお弁当をもらっていた。
釧路の市街に入るとまたヒッチハイクは難しいと思ったので、白糠から厚床まで列車に乗って釧路を通過した。

さみしげな寒々しい風景のつづく根室までの国道では、家族連れの軽トラが荷台にシートをかぶせて乗せてくれた。
暗くなってしまい、キャンプ地もなく夜の国道をあてもなく根室に向かって歩いた。
ドライブ中だと言う苫小牧の自衛隊のお兄ちゃんが拾ってくれ、根室駅まで乗せてくれた。
根室に着いたのはもう21時を過ぎていて、とりあえずご飯を食べようと駅前の食堂に入った。店のおじさんがぼくがごはんを食べ終わった頃に花咲ガニをそっと差し出してくれた。ありがたかった。初めて食べる味だった。

駅の横にあった列車を改造した簡易宿泊所も満員で、市街地では泊まるところもなく、しかたなく近くの小学校へ行ってグラウンドの隅でテントを張らずに星を見ながら寝た。

翌朝、夜露に濡れてしまい、駅に再び向かい待合室で過ごした。
列車に乗り適当に厚床駅で下車した。そこから酪農家のおばさんが軽トラの荷台に乗せてくれ、別海まで運んでくれた。
晴れた草原の広がる別海の国道を中標津に向かって歩いた。
車はほとんど通らなかった。のどかな風景と日和だった。

網走の養護学校の同窓会に行くという方が戸惑いながら乗せてくれた。その方は左右どちらかが不随のようで、話しをするうちにとても人恋しいかのように明るい性格で、身障者への車の適正改造には車両価格ほどさらにかかると言っていた。
途中、裏摩周を望める観光地に連れていってくれた。駐車場からほんの少しの距離なのに、未だに見たことがないというので、ぼくはその方を担いで2人で初めて裏摩周を見て感動した。

ぼくの生活する網走に着き、ホッとした。
バス会社で下ろしてくれた。そこから、バスで実家へと帰り、楽しい1人旅行を終えた。


2人で初めて見た摩周湖

(カバー写真は、別海町の直線道路)

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