【Album】公衆電話
【Album】公衆電話
※この記事は、オッカールのInstagramに掲載した写真シリーズ「Series. 公衆電話」の振り返り記事です。
こんにちは。
今回は、私のInstagramに投稿した写真シリーズ「Series. 公衆電話」を振り返ります。後述の通り、私は旅先で公衆電話を見つけるとカメラを向けることがよくあります。もちろん、撮らない公衆電話もありますが。
この記事では、Instagramに投稿した公衆電話の写真を一挙に掲載し、さらに公衆電話についての考えを記しておきます。
では、おたのしみを!
岡山市街にて
他の公衆電話は時間をかけて撮影しており、静的な雰囲気の写真が多いが、こちらは私の公衆電話写真では珍しく、モーメントを刻んだスナップ的な写真になっている。
京都のある柳並木にて
公衆電話と言えば「緑」だが、背景も柳の緑が占めており、画面の大部分がダブルの緑であるのが印象的な写真である。仮タイトル「緑電話」。
神戸・旧居留地にて
神戸・旧居留地の公衆電話。ハイセンスなデザインの建物たちが作るオシャレな景観に合わせてか、電話ボックスの形が個性的だ。
京都・祇園白川にて
この写真のタイトルは「京衆電話」。私が初めて公衆電話に注目して撮影た写真で、私の公衆電話写真の「元祖」ポジションの写真である。背景がとても「京」っぽいので、公衆電話ならぬ「京衆電話」と名づけた。
関西国際空港にて
京都駅にて
京都駅の黒壁に覆われた空間に置かれた公衆電話を撮った。黒い壁にうっすら公衆電話の像が反射しているのが印象的な光景である。
公衆電話について(私的・公衆電話論)
ここでは、私が公衆電話を撮る理由、そして公衆電話の魅力を語って、この公衆電話に満ちた記事を締めくくる。
私は公衆電話を見かけると、しばしば写真を撮る。歩いている中で見かけた全ての公衆電話を撮るわけではなく、公衆電話マニアというわけでもないのだが、旅先で公衆電話を見かけると、カメラを向けることが多い。公衆電話を撮ることが、いわば旅の写真づくりの習慣の一つと化している。
私が公衆電話にカメラを向けるようになったきっかけは、ある公衆電話の写真を見たこと。その写真は、公衆電話をフォトジェニックに写しており、「日常で見逃されている美」を写しているといえるような、美しい写真であった。公衆電話は、一般的には美しいモノ、芸術的なモノとしてはあまり見られていないが、それをフォトジェニックに写すというその作者の視点に私は息をのんだ。「公衆電話はこのようにフォトジェニックなモノなのか」「一見無機質なモノを美しく写せるのが、写真のチカラなのか」と。
ということで、それ以来公衆電話、とりわけ写真写りがよさそうなものを撮るようになった。撮っていくと、これが意外と面白い。公衆電話の写真は、美しい、もしくは面白い写真になることが多いのだ。
どこの公衆電話でも、電話機自体はだいたい同じデザインである。カクカクした形、丸い数字ボタン、コイン口や受話器の配置、緑色。細部に若干の違いはしばしばあるが、どこの公衆電話機を見てもだいたい我々の頭の中のイメージ通りのデザインである。よって、私の各公衆電話写真も、写っている電話機はどれも同じ見た目。しかし、同じ機械(電話機)を写していても、公衆電話の周りの雰囲気次第で、それぞれの公衆電話の写真は違った雰囲気を帯びてくる。公衆電話は無機質であまりフォトジェニックなイメージのないモノだが、周りの景観と一緒に映すとそれぞれの公衆電話が「個性」のようなものを帯びてくる。
私は「デザイン」に関しては疎い者だが、公衆電話を撮るうちに、実はこれは素晴らしいデザインではないかと思うようになっている。なぜなら、公衆電話が周囲の景観を害している光景はあまり見ないからだ。公衆電話は、往年よりもその数が減ったものの、未だに街の中、スーパーや駅の中、もしくは田舎でも、多くの人の身近な場所に存在する。頭の中にも公衆電話の見た目は刷り込まれ、パッと頭に浮かぶほど、公衆電話は未だ普遍的なものである。したがって、「非日常」的なイメージとは対極にあり、物珍しくも芸術的でもないモノである。しかし、非日常感のない無機質な場ではなく、古い和風の街並みや西洋風の洒落た街並みに置かれても、公衆電話は景観を害することも、そこを歩きながら「非日常」に浸る私を興ざめさせることもない。公衆電話は周囲がどんな景観であれ周囲の雰囲気に調和し溶け込む。そう考えると、公衆電話のデザインは実はとても絶妙なのではないかと思うのである。どこの公衆電話を撮っても、いい写真(美しいもしくは面白い写真)に仕上がりやすいのは、公衆電話が周囲の景観ときちんと調和できることで、フォトジェニックな雰囲気になりやすいからである。もしくは、公衆電話が、普遍的、日常的、無機的でありながらフォトジェニックという、絶妙な境地のデザインであるのかもしれない。
ちなみに、透明なガラス4面の四角いボックスには入れられていない公衆電話も多い。例えば、ボックスではなく「台」に置かれ上部は覆われていないものや、電話ボックスの形が独特なものもある。
そして、公衆電話の写真がそれぞれの場所の雰囲気を反映して個性的に仕上がるのは、公衆電話が個性的ではないからだと思う。「個性的ではないから個性的になる」というパラドックス。私がここで思い出すのが、小・中学校の理科で習った「対照実験」である。ある条件による効果・影響の違いを調べる実験で、効果を調べる一つの条件以外の条件は等しくしなければならないというものである。複数の公衆電話(の写真)を見比べるとき、どの公衆電話も電話機は同じである。電話機という「(どの写真においても)等しい条件」があることで、各公衆電話の周囲の景観という「異なる条件」による効果の違いがはっきりわかる。つまり、公衆電話が各所共通のデザインをしていることで、それぞれの公衆電話の置かれた場所の違いがより際立つということである。
公衆電話は、多様な景観に調和し、溶け込み、そして普遍的なデザインによって、いろいろな土地でいろいろな顔・個性を見せている。そんな公衆電話を撮っていると、面白いことがしょっちゅうある。公衆電話は、私の持ちネタの一つである。
おわりに
私の主要テーマの一つである公衆電話について語らせていただきました。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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