本末転倒

何のために勉強をするのか。将来の自分のため、世間体のため、感性を豊かにするため…様々な意見があって、そのどれも否定されるべきものではない。勉強は本来誰のものでもないのだから。

ただ、これが学校という空間になるとそうはいかない。勉強ができない=不真面目、劣等生というレッテルが貼られる。スポーツ推薦で入った人すら、赤点を取ったら怒られるのだ。

よく詩的な表現で「学校は大切なことは教えてくれない」というフレーズを見ると思う。それはど真ん中、的を射ている。なら、学校では何が教えられているのか?それは「学校の中でどう生きるか」ということに過ぎないのである。

高校時代、俺は典型的な「高校デビュー」というやつだった。中学時代まじめに勉強したおかげで特進クラスに特待生で入れたものの、学級委員や運動部員といった縛り全てから解放され、バンドという新しく素晴らしい世界に触れ、練習も週一しかないような軽音楽部に入り、暇を持て余している割には勉強もしなかった。

なので、2年に進学する時には特待生の免除額を下げられた。結局卒業まで免除額が上がることはなかったし、そもそも授業態度も不真面目だったので一部の教員以外からは冷たい目で見られていた。が、実際のところ模試や受験ではある程度の結果を出すことに成功したし、その時の掌返しと言ったら笑いが出るほどだった。

結局何が言いたいかというと、組織というものはその組織の中での常識しか教えてくれないということである。それは学校という主語を会社に変えても同じこと。視野や素養、感性を豊かにするための勉強のはずが、その組織の言う通りに勉強していたらいつの間にか視野が狭くなってしまうという本末転倒な話。だからこそ、あらゆる手を使って色んなコミュニティに属した方が1番「勉強になる」と俺は考える。

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