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「料理をする」は私の主軸ではなかった・・・

昨日は音声配信アプリ「stand.fm」の個人チャンネル『まりこレディオ』にて「スタエフバトン(発起人 eico38 さん )」という企画に参加しました。この企画は、スタエフという音声配信を通じて「信頼」というエネルギーのネットワークを循環させる遊び。自分が配信したあとは、信頼する友人知人へ翌日の配信を託して、バトン形式で配信を繋いでいきます。配信では各自、自己紹介を兼ねた自分史を語ります。普段、幼い頃や思春期時代のことをじっくり誰かに話すなんてないので、とても新鮮で面白い体験でした。聴いてくださった方々、おかわり希望してくださった方々(笑)、ありがとうございました!

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配信中に触れた実母は料理がとても好きで、1日の大半をキッチンにいても楽しめるそうなのですが、残念ながら私にはそのDNAは継承されなかったようです。母はいつも感覚的に物事を決めていくような人(12ハウスのワンダー民&ダブルライジングのキャラ強め)で、今から40年以上も前からオーガニック食品に興味をもち、質のいいオイルや調味料、食材にそれなりにこだわっていたそうです。おかげさまで私の舌は肥えました。料理をすることには興味がないのに、厄介なことに味にはうるさい人間が出来上がりました。

ただ会社員時代は外食が多かった私も、体調を崩したことをきっかけに一時期は自炊を心がけるようになりました。忙しい激務の日々をおやすみし、身体を労わる生活。当時の私にとっては新しいライフスタイルの日々で、料理をすること自体が療養に繋がったと感じています。休職中で他にやることもないので、もうこのまま料理をしながら、のんびり暮らすのもアリでは?と思うほど(現実逃避ともいう)、さまざまな料理を楽しんだ時期でもありました。

そして数年後、子どもが生まれてからは離乳食をはじめ、毎日のように食事を作る生活に突入します。それまでの「気分がのったら料理をする」「誰かが遊びにくるから、おもてなし料理」などではなく、料理が「毎日の義務」になります。保育園の帰り道でスーパーに立ち寄り、買い物をして帰宅し、料理を作る。仕事のペースを落としていたためできたことでしたが、いま思うとよく頑張ったな、と。子どもを育てるがほぼイコール食べさせる、な日々でした。

思い返せば、それはそれでとても楽しい思い出でもあるのですが、私にとっては一時的だからできたこと。他に頼ることができる選択肢があれば、そして他に夢中になることがあれば、あそこまで自分で頑張らなかったかもなぁ、とも。私自身が母との共依存に気づき、2〜3年かけて大きな手放しとともにお互いの自立を育んでいくなかで「料理をする」こと自体、私の人生の主軸ではないことを(わかってはいたことだけど。笑)より自覚していくようになりました。

世界をみても珍しいくらい、日本では料理をすること、自炊をすることが尊ばれている国です。それはとても素敵な文化でもある一方、誰もが当たり前にするもの、もしくは、それをするのが理想の母親である、理想の親である、という集合意識も色濃く残っています。例え料理が得意でなくとも、興味の矛先としてど真ん中ではなくとも、当たり前のようにやるものだ、という前提はときに無意識的な圧となり、苦しみを生んでいるかもしれません。

生まれてこの方、料理が私の領域だと確信したことは一度もなかったのですが、それでも料理すること自体は嫌いではないし、子育てをする上で大切な部分ではあると感じていて、無意識のうちに充分にできていない自分を責めたり、周囲の手を借りずに自分でやるものだと勝手に力んで必要以上に背負ってしまったり、「いい母親像」というローカルの根強い集合意識に苦しんだときもありました。それは自分がやりたいこと、魂が望んでいることがどんどん明確になっていくというプロセスだったからこそ湧き出てきた違和感でした。現実逃避をして暇つぶしをしている状態だと、気づかないものだったのかもしれません。

ブロックしているものを手放していくと、私の潜在意識が「料理をする」ことは私の主軸ではないよ、と伝えてくれるかのように、いくつもの肯定的な言葉が私に届くようになります。

「料理は私の(得意な)ヤツじゃないから!」。あるとき、4人の子どもをもつフランス人ママ友が放った言葉です。茶目っ気たっぷりに、あっけらかんと料理をしていないことを話す彼女の雰囲気と言葉に私も「だよね〜」っとスッと心が軽くなったのを覚えています。海外の方と話すと、ローカルの集合意識が皆無で面白いほど俯瞰できます。他にも「そもそも日本人は料理や食事への関心が多すぎない?他にも文化的なことをもっと楽しめばいいのに」とか、“手のひらで読む”の加茂谷真紀さんには喫茶店でお茶しているときに「まりこさんは料理はやらんでいいですよ。もっと外に出ていく人なので。ファミサポさんとか、いろんな手を使ってね」と、ありがたい具体的なアドバイスまで。あの『愛のエネルギー家事』の真紀さんが、私の愛のエネルギーは家事じゃないと伝えてくださる!?最高です。

さらにMOTOKOさんの講座で、アーユルヴェーダでは食事は何を食べるかより「どうやって食べるか」がいちばん大事と教わります。仕事脳フル稼働のランチョンは胃が正常に働かず、うまく消化できないとか。リラックスして楽しく食べることで食事の栄養をきちんと身体が受け取ることができる。そして出来立ての食事にはオージャス(生命素)が宿っているけれど保存食にはない、など。保存食作りも苦手な私には朗報でした。どんな気持ちで、どうやって食べるか。気が大事!何よりそこを大事にしよう、と。

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ステイホーム期の大きな変革を経て、今ではUberや外食などにも気軽に頼りながら、自分が料理をしたいときに料理をする、という自分に合ったスタイルを自分自身が受け容れた、「それでいいよ」と肯定しているという状態です。そこでは何の気負いもなく、料理も食事も楽しい時間になります。私のなかで一種の「許し」が起こったことで、そんなひと時になりました。息をするように料理することが好きだったり、とても上手だったりする方には憧れもあるし、心から尊敬しています。料理をしているときの音が心地よくて、よく料理のyoutube動画を見ちゃうほど。そんな料理好きな皆さまにはぜひその得意なところをたくさんシェアしてください!と願うばかりです(笑)


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*タイトル画像は、私がオージャス(生命素)をいつも感じる代々木上原『桉田餃子』のラゲーライス定食。ほんっと美味しいです!いまサイトを見たら餃子だけでなく「ラゲー煮込み」も買えることを発見。嬉しい!


いただいたエネルギーは大切に循環させていただきます🙏✨