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奪う言葉、救う言葉

今日は午前中の予定を済ませたら何もしないぞー!!と意気込んでましたが、無理でした。

遅めの昼食を済ませ、食後のティータイム。
なんとなく某アプリのTLを振り返りる。
『なんじゃこりゃ。』
TLで戻っても戻っても溢れる言葉たち。
荒れ狂う日本語の羅列、ただの羅列。
美しい日本語の情緒も間も思いやり等どこにもなく
感情のままに書き連ねられた文字たち。

彼ら文字たちは文字として産み出された瞬間から
ヒトの意識、認識に当てはめられた記号としての存在としてこの世に、誕生する。

やがて文字たちはその役目を終えるとひっそりと
いなくなる。はずだった。この世界を一瞬にして繋げてしまうインターネットの普及がなされていない頃までは。
今やインターネットは在って当たり前であり、その電脳的とも言える世界の繋がりが現実世界を生きる我々にまで影響を及ぼしている。

さてさて、某アプリのTLで羅列されていた文字たち。彼らはインターネットの世界があり続ける限り書いた人間が天寿を全うしても尚、残り続ける。

剣や銃と言われるような『武器』による殺傷能力ほ高い。ただし、目の前に存在していなければ効果はない。

では文字は?

目の前にいる相手に直接文字を届けられれば、
相手を殺す事も出来るかも知れない。
剣や銃と違うのは自身が直接殺していないことだ。
剣や銃のそれが直接的なものであるのなら、文字のそれは間接的なもの。ただし、効果範囲は世界中。
どちらがより恐怖なのかは押して図るべきであろう。

人間が産み出した最大最強の
殺戮道具
それが文字なのかもしれない。

『あなたは文字で殺しますか?』
『この世界のどこかにいる誰かを救いますか?』

私は、私の文字で誰かが救えるのならば、
存分にその文字を届けたい。

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