No.574 懐かしい教え子の顔が思い浮かんだ感想文
今年35歳になる女性が、高校2年生の時に書いた読書感想文が出て来ました。読み返してみたら、我が老いのすさびに活を入れてくれるものでした。一人だけで味わうのはもったいないと思い、長文ながら紹介する次第です。
「 『斜陽』を読んで M・T
人は何のために生まれてきたのか。この小説には、そんな問いかけが多かったように思えました。
主人公のかず子は、貴族の子として母と弟と三人で暮らしていました。かず子は、母を最後の貴婦人として非常に尊敬していました。父が亡くなり、お金が無くなり、住み慣れた家を売り、叔父の勧めで伊豆の山荘に移り住むことになるのです。そこで、私が考えさせられたのが、この言葉です。
『ああ、お金が無くなると言うことは、なんというおそろしい、みじめな、救いのない地獄だろう』
お金だけがすべてではないと思いますが、貴族の人、つまり働かないでも生きて行ける人々が、そういう状況になると、地獄のように感じるのは分かる気がします。そして、働いてお金をいただくことが、どんなに大変な事なのかがわかりました。
弟の直治は、戦争で南方へ行き、伊豆の山荘で母とかず子の二人だけの生活が始まりました。そこでのかず子の母への思いは、非常に大きいものでした。半病人のような母のために生きていたと言っても過言ではないと思うくらいです。そして、畑仕事を始めて、少し丈夫になった自分を、
『お母さまからどんどん生気を吸い取って太って行くような心地がしてならない』
と言って自分を追い詰めていました。かず子の、母に対する敬意が強く感じられました。今の私は、親がいて当たり前、親がしてくれて当たり前と思っていました。親の有り難さを感じた気がしました。
戦地から帰国した直治でしたが、麻薬に手を出していました。直治の借金を返すために、母とかず子は、着物やネックレスを売り、生計を立てます。しかし、直治は東京の作家、上原の元へ遊びに行くのでした。
そんな中、母が半病人ではなく、本当に病人になったのです。結核でした。そんな母を見て、かず子は思います。
『お母様は、いま幸福ではないのかしら。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではないだろうか』
この部分で、私は幸福というものがだんなものなのか考えさせられました。お金がたくさんあること、家族と一緒に暮らせること、いろんなことが浮かびました。しかし、それ以前にもっと大切なことを忘れていたのです。それは、人が人間として、健康に精いっぱい生きる事ではないかということです。少なくとも、私はそう思うのです。かず子にとって母の死は、幸福とは何かを考えさせられるものだったと思います。
母の葬式を済ませ、かず子は六年も前から思っていた弟の直治の友人の上原に会いに東京へ行きました。そこで、かず子は人生最大の幸福感を味わうのです。それは、かず子が生きがいを見つけられたからだと思います。人はいつも、目標や生きがいを追い求めて生きているといえそうです。辛い事、悲しい事、苦しい事、いろんなことがあると思います。けれども、それに立ち向かって乗り越えて行く事が、人が生きているという事ではないかと思いました。
そんな考えのかず子とは反対に弟の直治は自殺しました。彼の遺書には、
『僕は、自分がなぜ生きていかなければならないのか、全然わからないのです。生きていたい人だけは、生きるがよい。人間には、生きる権利があるのと同様に、死ぬ権利もあるのです』
とありました。生来の貴族気質だからか不良になり切れず、どこかで人との差を感じていた彼は、死を選んだのです。自分の身体に流れる貴族の血を恨んで死んだのです。この時、私は、人間はみな同じという考えを否定せずにはいられませんでした。人が生きている限り、平等といいながら、皆どこかで差別し区別しているのだと思いました。それは、私も同じだという気がしました。
生きることは難しい事なのかもしれません。しかし、この世界に生まれてくることほど幸福なことはありません。その幸福を無駄にして、生きることを放棄するのは、人として生きる者として、考え直してほしいと強く思いました。
この本を読むと、人はなぜ生きるんだろう、何のために生きているんだろう、自分が今何をすべきなのだろうと考えさせられます。人は、何のために生まれて来たのでしょうか。私は、誰もが幸福になるために生まれて来たのだと思います。」
「斜陽族」の言葉は、1947年(昭和22年)に発行されたこの太宰治の『斜陽』から生まれた流行語で、時勢の変化により没落し、落ちぶれて行った元貴族や華族などの上流階級の人々をいうそうです。
最後の貴婦人であった母、破壊衝動を持ちながらも「恋と革命」に生きようとする娘のかず子、麻薬中毒で破滅の人生を辿る弟直治、戦後に生きる自分を戯画化したような作家の上原等、滅びの美学と言うか、美しく滅亡してゆく姿を描いた作品でもあると思います。その半年後に、太宰治は玉川上水で入水心中をして、かえらぬ人となったのです。
いつの日かクラス会が出来るようになった時、この感想文を持参して、彼女やみんなと「生きること」について語り合いたいものだと思っています。