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No.1285 こころもむすぶ

1947年(昭和22年)に発行され、「斜陽族」(没落する上流階級の人々)の流行語まで生んだ太宰治の小説『斜陽』(一)の最初のあたりに、こんなことが書かれています。
 
「スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、頗る礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。そんな野蛮な仕草も、お母さまがなさると、可愛らしいばかりか、へんにエロチックにさえ見えるのだから、さすがにほんものは違ったものである。骨つきのチキンの場合だけでなく、お母さまは、ランチのお菜のハムやソセージなども、ひょいと指先でつまんで召し上る事さえ時たまある。
『おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ』
とおっしゃった事もある。」(青空文庫より)
 
主人公のかず子の母は、元華族夫人です。1945年(昭和20年)華族制度の廃止により夫を亡くした母と娘のかず子は、戦争から帰って来た放蕩な弟・直治の世話を焼きます。子どもたちにとって、母は「最後の本物の貴族」の矜持を見せる存在でした。
 
2008年(平成20年)、私は高校2年生のクラス担任をしていました。55歳でした。その年の4月16日発行の毎日学級通信のコラムに、こんなことが書いてありました。画像は、その一部です。
 
「昨日、嬉しいことがありました。
去年の教え子のお母さんが、こんな大きな『おむすび』を作ってくれたのです。高さ12cm、幅10cm、厚み4cmもありました。その具はと言うと、鮭でしょ、昆布でしょ、梅でしょ、そしておかか入りという、四種類の見事な味のコラボレーションに、もう、満腹中枢はMAX状態になりました。四つのおむすびを一個に丸める「併せ技」に心も胃もすっかり魅了されました。
 おむすびとは、人の手と手で結ぶから美味しいのでしょうね。思いやりのいみじくて…。」
 
「おむすび」「おにぎり」の呼び方は、東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」に大別されるように言われています。もっとも、近年は全国的に「おにぎり」と呼ぶ例が増えているとのことですが、太宰の故郷青森では、どちらで呼んだのでしょう?どなたか、お教えいただければ、有り難く存じます。
 
『万葉集』巻第二・141番は、有間皇子(640年~658年)の挽歌です。
「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」
(磐代の浜にある松の枝を引き結んで、運よく無事であったなら、また帰りにこの枝を見よう。)
 
この句は、孝徳天皇の御子の有間皇子が詠んだものです。斉明天皇の時代に有間皇子は中大兄皇子と不仲で、皇位継承争いの渦中にありましたが、謀反の計画を蘇我赤兄にそそのかされ、挙句には裏切られ、計画が露見し捕まってしまいます。移送されているときに、紀伊国磐代(和歌山)の地で詠んだ句とされていますが、この松の枝を再び見ることは叶いませんでした。

有間皇子のこの歌は枝と枝を「むすぶ」行為が、単に枝と枝を掛け合わせる意だけではなく、移送されてゆく今後の無事を祈り願う意味を込めていたということです。「思いを込め、祈りを込める動作」が「むすぶ」なのだと思います。

食べ物でも同じことです。片手で「にぎる」のではなく、両手で「むすぶ」動作の中には、「愛情」や「思いやり」や「優しさ」や「励まし」や「祈り」や「願い」が、それこそ具のようにギッシリと詰まっているものだと思います。「今日も一日元気であれ!」と。

私は、九州大分の産で、「おにぎり」と子供のころから呼んでいますが、「おむすび」の言葉が生み出す味わいを捨て難く思う者です。私は、あの日のお母さんの心が嬉しくて一粒残らずいただきました。ごちそうさま!