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No.382 「とりつくしま」がありました。

 その時にやれば良いのに、その時に書けばよいのに、なかなか出来ないのが私です。この人の言葉に出遭った感動も今頃になって書いているのです。
 
 「歳時記には、季語が標本のように並んでいます。」
 そう言ったのは、歌人であり、小説家であり、脚本家でもある東直子さんでした。12月5日、午前6時35分から放映された「NHK俳句」の「綿虫」(「雪虫」、「シロバンバ」とも)の句の回でゲスト出演し、歳時記のことについて質問を受けた時に、この見事な比喩表現を用いて68歳の前期高齢者の心を捉えました。忘れないようにと、ちゃぶ台の上に置いてあるメモ用紙に走り書きしておきました。

 江戸時代後期に刊行された『俳諧歳時記栞(しおり)草』という本には、約3,400個の季語が載せられているそうですが、現在、『図説俳句大歳時記』(角川書店)に収載されている季語は、約、6,000個もあるのだそうです。俳人になるのも、やえーこっちゃありません。整然と並んだ、まさに「季節の栞」のような季語なのですが、虫や、蝶や、植物などの標本採集に夢中になった子ども時代を経験した人々は、画像として認識できたのではないでしょうか。私は、東さんのその雄弁な見立て、豊かな感受性にシビれました。

 その東直子さんの小説『とりつくしま』を読みました。
 「死んだあなたに『とりつくしま係』が問いかける。この世に未練はありませんか。あるなら、なにかモノになって戻ることができますよ。」と。

 40歳で病没した母親は、野球少年である息子と少しでも一緒にいたい、見守ってやりたいと考え、野球のロージン(松脂の粉でできた滑り止め)の白い粉になりました。
 夜中にコンビニに自転車で出たところを、交通事故に遭って死んでしまった2年前に結婚したばかりの女性は、夫の好きなトリケラトプスのマグカップになりました。
 幼稚園での昼食後の果物を食べている途中で急逝した男の子は、いつかはママに会えるからと、ばった公園の青いジャングルジムになりました。
 16歳の女生徒の時に運命的な出逢いをし、弟子にまでなって一途に書道の師を慕った女性は、夏には必ず会えると信じて、生前、師に贈った白檀の扇子になりました。
 何もかも無くして死んだ老人は、一番近くで見ていられるようにと、よく通った図書館の、温かくて優しくてよく気の利く大好きな受付嬢のプラスチックの名札になりました。
 離婚して実家に戻った娘は、病没後、耳の悪くなった母親を支えようと補聴器になりました。それなのに、ラストは悲劇が待っていました…。
 妻と幼い娘を残して死んだ夫は、妻の言葉を読み取り、妻の指に触れ、妻の顔を見つめられるようにと妻の日記になりました。しかし、妻に恋人ができ、日記は焼かれます…。
 病没した男は、リビングにあるマッサージ器になって家族をマッサージしてあげようと思います。だらしないと思われた娘に、最後は泣かされるマッサージ器のお父さん。
 重病で亡くなった14歳の少女は、大好きな先輩とキスがしたいばかりに、先輩の思い人の彩香先輩のリップクリームになりました。最後の大どんでん返しが笑えます。
 血は繋がっていないが、孫の翔太が欲しがったカメラのレンズからのぞく世界を一緒に見たかったからレンズになったのに、孫はカメラ屋に売却しました。さて、どうなる?

 「とりつくしま」は、何かのモノにとりついて世界を眺めることは出来ますが、生きものにとりついて自分の遺志で動いたり、働きかけたりは出来ません。非生命体にのみなれるのです。さて、あなたなら?そして、私なら?

 私なら、こうします。
「かの人の傍にいつでも居れるなら物言わずとも陰になりたし」