No.846 反省しきり、後悔しきり。
「もう5、6年も同じ靴である。雨の日も風の日もその靴である。このところの雨で、すっかり汚れていたのを憐れんでか、今朝、娘が私の靴を磨いていたようである。
父の日にお使い券・肩たたき券・背中流し券など5枚も6枚ももらったが、
『それよりも、今日だけは父さんから叱られないようにしてくれるのが一番嬉しい』
と言ったことが守れなかった。
今朝の靴磨きは、そのわびのような気持ちも含まれているのかもしれない。しかし、靴が軽く感じられたのは親バカだからなのかもしれない。」
30年以上前の毎日学級通信のコラムに、こんなことを書いてありました。私はプレ40歳、娘は小学校1、2年生の頃の6月某日のお話です。
「父の日」の娘の優しい心(プレゼント)に感謝することを忘れ、平生の子どもの生活ぶりの方に茶々を入れて諭すという、あざとくて度し難い父親の顔が思い浮かびます。
その内容から察するに、娘は何か叱られるようなことをしでかしたようです。ところが、それが何だったのか思い出せもしない他愛ないことに、親として一席打(ぶっ)て溜飲を下げていたのでしょう。愚かなのは、私の方だったのです。
「靴磨き」をしてくれていた娘は、自分の心も磨いたのでしょうが、私の心は汚れた靴そのものだったのかもしれません。「ありがとう」と言ってやればよかった、娘の頭をポンポンしてやればよかった、いや、素直に抱きしめてやれば良かったと、今頃になって後悔することしきりです。
40歳前後と言えば、何かと責任の付きまとう仕事を与えられ大変さが身に添う時代で、毎日カリカリしていたのかもしれません。そんな気持ちが、子どもを見る目を曇らせたり、思い込みで決めつけたりしていたこともあっただろうと想像します。
「しっかりしろよ、40歳!」
当時の私に、そう言って叱りつけてやりたいようなコラムでした。書き残す事は、時に大事ですね。私は、「親バカ」どころか、「バカ親」でした。
娘が、あの頃の私の年齢に近づいてきましたが、父親には似ぬ出来のようであります。
※画像は、クリエイター・sumica4uさんの、揺らぐ子供の気持ちを描いたような絵をかたじけなくしました。娘のこんな顔にもっと気づいてやればよかった!お礼申します。