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No.1111 カレーの味

孫たちの顔を見たさに、昨年12月28日に、夫婦で長男の4人家族が暮らす埼玉県三郷市を訪れて2泊し、12月30日に、その長男家族と一緒に長野県安曇野市に住む長女の3人家族宅に伺い、4泊も逗留させてもらいました。長女の旦那さんも、長男の嫁さんも、我々には過ぎた人たちです。
 
1月1日の午後、車2台で外出した帰りの午後4時すぎに、スマホの緊急地震警報が鳴りました。「石川県地震震度5強」とありましたが、「震度6」「震度7」と刻々と情報が変わっていきました。娘の運転する我々の車は停まりませんでしたが、旦那さんが運転していた車はすぐに停めたそうです。
「ハッキリわかったし、結構長く揺れました。」
と帰ってきて話してくれました。松本市は、震度4でした。
 
清々しい気持ちで新年を迎えて祝い、家内安全や健康第一や商売繁盛を祈った正月1日だというのに、北陸地方は大地震・津波という天変地異に見舞われてしまいました。被災された方々のご無事を祈り、亡くなられた方々には謹んで哀悼の意を表します。

ひと昔前、「編集手帳」(読売新聞コラム)を読んで深く心に残り、書き留めたお話があります。敬愛するコラムニスト・竹内政明氏の筆になるものと思います。

〈玉葱の皮剥ぐ時に易々と人にも見せて涙流せる〉(富小路禎子)。別に理由があっての涙を、タマネギにこと寄せて流した経験は歌人に限るまい◆17年前の1月16日、兵庫県芦屋市の米津漢之(くにゆき)君(当時7歳)と深理(みり)ちゃん(同5歳)は生まれて初めて、翌日の夕食用に二人でカレーを作った。兄と妹はこの記念すべき合作のカレーを口にすることができなかった。二人は翌朝の地震で亡くなる…◆「私には会ったことのない兄と妹がいます」。2年前、震災の追悼式典で小学6 年生・12歳の米津英(はんな)さんが挨拶した。「我が家では毎月17日にカレーを食べます」。今夜もそうだろう◆阪神大震災からきょうで17年になる。歳月は流れても、親御さんの耳には幼い二人がはしゃぎながら料理をする声がいまも聞こえるであろうことを思うとき、タマネギをむくお母さんの目頭は想像するまでもあるまい◆カレーか、ハンバーグか、亡きわが子の好物で献立を考えているお母さんは多いことだろう。1月17日のタマネギは、3月11日のタマネギは、普段にまして目に染みるはずである。

読売新聞コラム「編集手帳」2012年1月17日

その日の夕飯は、孫たちの好きなカレーと鍋料理でした。長男の子どもたちは、8歳の男の子と5歳の女の子、長女の息子は、来月で2歳です。

そんなこともあって、一昨日の大地震の時には、幼い子供も犠牲になったのではあるまいかと一層胸が熱くなりました。お代わりをした子どもたちのカレーは甘口でしたが、その笑顔を失う悲しみはいかほどかと思うと、心が乱れます。これからは、1月1日の玉ねぎも目に沁みそうです。


※トップの画像は、娘の家から15分ほどの犀川にかかる田澤橋の上から北アルプス(白馬岳)をのぞんだ私のスマホ撮影の1葉です。