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No.360 ボッコちゃんの心で

 ちと古い話になりますが、在職中に弁論部で活躍した卒業生から手紙をもらいました。自らの苦しい体験を通して、臨床心理士になる夢を持ち続け、国立大学の大学院を修了し、数年前に県の上級試験に合格したという内容でした。

 彼女の手紙の中に「感情の反射」という言葉がありました。クライエントさん(相談者・依頼者)の内省(自身への気づき)を促すやり方の一つだとかで、クライエントさん自身が語った内容をもとに「反射」する、つまり「鏡」となることが大事なのだとか。

 自分だけの「部屋」を持つ大人が、自己形成し始めて今まさに「部屋」を持とうとしている思春期の子どもに対して、
 「私はこうだったから、こうした方が良いよ。」
 「今までこのやり方をしたら効果があった。だから、やってみなさい!」
などというのは、指導者主体の考え方であって相手を「操作」することになりかねません。子どもの発する言葉を受け入れ、繰り返しながら内省を促したいという話は、とても示唆に富んでいて、何か私自身が得心し教えられるものがありました。

 ふと星新一の『ボッコちゃん』を思い出しました。飲み屋のお嬢、ボッコちゃんは人造ロボットです。客の言葉を受け入れて、繰り返すことしか出来ない設定です。
 「きれいな服だね」
 「きれいな服でしょ」
 「お客の中でだれが好きかい」
 「だれが好きかしら」
 「ぼくを好きかい」
 「あなたが好きだわ」…

 同調されれば話しやすいし、相手の気持ちも良くするようです。認知症の人との対話方法として、誤りを指摘したり、否定したり、叱りつけたりすることを避け、寄り添う姿勢で穏やかに接するのが基本だそうですが、ボッコちゃんに、学べるものがありそうです。野暮な説諭よりも、受け入れたり、同調したりして、「本人の尊厳を保つ」ことの魅力を優先するのが、認知症のケアにも有効だといいます。

 若年や老人が惚けてゆくのを間近で見、接する家族にとっては、身内であることの悲しさと身内であることの悔しさから、ついつい厳しく当たってしまいがちです。良かれと思って叱咤激励するのですが、意に反して、認知症になった人の尊厳を傷つける行為かも知れません。感情の反射鏡を磨かねばならないなと思った次第です。

 『ぼっこちゃん』は、1958年(昭和33)年に発表された星新一の諧謔的でブラックなショートショートでした。今から63年も前の、ある意味預言的な作品でした。