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No.1176 鞭をくれてやりたい心

「私の日記から」という投稿のページを持った読売新聞だったかと思います。1995年(平成7年)の夏頃の記事で「長女の50回忌 思い出に涙」と題する短い随想がありました。

 昭和20年1月7日の朝、亡くなった長女の50回忌の法要を1月にした。50年経った今もあの子は5歳のままである。正しくは3歳7か月。あの子の思い出はわびしいがすべて戦争と飢餓につながる。
 飢えて亡くなったあの子のためにキャラメル、パン、リンゴ、バナナ、ついに食べることのなかった白いご飯のおにぎり等々、食べさせてやることの出来なかった物を取りそろえて供えた。読経を聞きながらビデオでも見ているかのように50年前のことがありありと思い出される。「ただ今」と廊下を走る足音もはっきり耳に残っている。
 空襲警報が発令されると、リュックを背負って共同の防空ごうに急ぎ「お母さん、早く」と手招きしているピンクのずきんがはっきり脳裏に映し出されるとぬぐってもぬぐっても涙が出るのをどうすることも出来なかった。あの子のことをしみじみ語りたいと思うのに主人はもういない。

(山口県玖珂町、女性、77歳の記事より)

食べられない時代がありました。飢えた時代がありました。「欠食児童」は、昭和の恐慌期や戦後の食糧難の時代に全国で見られたそうですが、1947年(昭和22年)に給食制度が始まると、その姿は減少していきました。
 
1960年代の高度成長期により日本社会が発展すると、食べ物が満ち溢れた「飽食の時代」を迎えました。ところが、子どもの相対的貧困率は決して無くなったわけではなく、むしろ、1990年代半ば頃から上昇し、2015年(平成27年)には、その比率が13.9%(子どもの7人に1人が貧困)にもなったとのことでした。それは、驚きの数字でした。
 
他方で「飽食の時代」はというと、日本で出回っている食料は、2013年度(平成25年度)の推計で約8,300万トンといわれ、そのうち約2,800万トンが廃棄されています。さらに、廃棄されているうちの約630万トン(22.5%)は食べることが可能なのだそうです。
 
この630万トンという数字は、世界全体の食料援助量の2倍で、国民1人あたり1日茶碗一杯分に相当するのだということを「生活困窮者支援のための日野市フードパントリー事業」のホームページに学びました。「もったいない」の精神は、どこへ?
 
二度と繰り返してはならないあの幼い命をなくした時代と社会ですが、戦後復興を果たし、平和と安全が謳われて久しい日本ですが、食の傲りの心に鞭をくれてやりたいものです。
 
古代ギリシャの医師・ヒポクラテス(紀元前5世紀)は、
「食は命なり」
「食べ物を汝の医者とも薬ともせよ」
と言い、食の重要性を説いていました。

日本で「食育」というと、今から126年も昔の明治31年(1898年)に石塚左玄氏が書いた『通俗食物養生法』という本が、その初めだそうです。
「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき」

「食」という字は21世紀の前後の頃に、食育の機運が高まり「人」を「良」くすると説明されてきました。「亼」と「皀」からなるとあります。どちらもあまり見慣れた字ではありませんが、「亼」は「ふたをかぶせること。合わせること」から、「皀」は「皿に盛ったごちそうの姿」から出来ているそうです。

4月19日は「419」で「食育の日」という語呂合わせのようです。また、2005年6月10日に「食育基本法」が成立したことから、毎年6月は食育月間と定められています。
「食育によって国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的とする。」
という尊い理念を堅持したいものです。


※画像は、妊娠中から子育てを学べる助産院〜つみき助産院〜さんの、タイトル「『まごわやさしい』はココロが元気になる合言葉」の1葉をかたじけなくしました。「食べることは生きること」本当にその通りですね。お礼申し上げます。