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No.1268 こと・むけ・やわす

6月2日、私が心から慕うkikuzirouさんのnoteは、
「JW602 新羅を襲う民」【垂仁経綸編】エピソード24 新羅を襲う民
というタイトルでした。その中に、
「言向け和し(ことむけやわし)」
の言葉があり、とてもゆかしく思いました。
 
この言葉は『古事記』に書かれており、天孫降臨の時に初めて使われた天照大御神の言葉だそうです。天照大御神が天孫(ニニギノミコト)を高天原から地上に降臨させる時に
「地上の荒ぶる神々を、言向け和して一つに統一して治めなさい。」
と使命を与えたといいます。どうやら、
「言葉で説いて、人の心を和らげ、双方に益するやり方を。」
という意味合いが込められているように思います。
 
しかし、
「話せばわかる」
の「言向け和す」という願いは、
「問答無用!」
の一言で切り捨てられ、流血の引き金を引く日本の悲劇の歴史の一場面もありました。武力によって鎮圧し平定しようとする動きは、古今東西を問わないことを、幾多の人間の歴史が証明しています。
 
『古事記』は、712年に完成した日本最古の歴史書です。1300年以上も前から「言向け和す」という言葉が生まれ、その尊い精神が産声を上げていたのだという驚きは新鮮でした。
 
ところが、21世紀にいたっても、血で血を洗う紛争が絶えません。既に第3次(大惨事?)世界大戦の不安を指摘する声もあります。核戦争が言葉の独り歩きをしているだけでなく現実味を帯びてきていることを、憂慮しない人々はいないはずです。
 
「言向け和す(ことむけやわす)」
という、時代を超えて尊ばれるあり方が、改めて問い直される今ではないかと思います。私は世界の作家や表現者が、作品を通して、そのメッセージを人々に広げて心の土壌に種を蒔いてくださることを望みたいと思います。
 
武力による解決が禍根を生むことはあっても、信頼や敬愛を生むことは決してないでしょうから。


※画像は、クリエイター・悟塔雛樹さんの奈良・古墳巡りから「法起寺、十一面観世音」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。法起寺は、舒明10年(638年)、飛鳥時代の創建でした。