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No.874 大江健三郎の残したもの

「大分合同新聞」(5月3日)の投稿コラム「灯」欄に、高校時代の恩師である後藤宗俊先生の「大江健三郎さんの訃報に寄せて」が掲載されました。是非、ご一読ください。

去る3月3日、作家の大江健三郎さんが逝った。私は大学1年の時、「東京大学新聞」紙上で大江さんの作品を初めて読んだ。「奇妙な仕事」という短編小説だった。一読して感性のかたまりのような文章に衝撃を受けた。その後、大江さんの著作は長く私の愛読書となった。
 私は高校教師となって7年目の1967年5月、体調を崩して入院生活をした。その病床で当時雑誌連載中の「万延元年のフットボール」を読んだ。退院後この長編を巡って「大江健三郎覚え書」と題した小論をまとめ「九州大学新聞」の懸賞評論に応募、同紙に全文が紹介された。この小論について横浜に住む兄が「君がようやく本当に教師として生き始めたことを喜ぶ」という感想を寄せてくれた。
 周知のように大江さんは94年にノーベル文学賞を受賞した。私はかねがね大江さんの作家活動は三つのテーマに集約されると思っている。「家族」「平和」そして、「故郷」である。
 大江さんは子どもの頃、愛媛県内子町大瀬の森で大樹の下に寝転んで夢想にふけった。スウェーデン・ストックホルムでの授賞式での講演でこう述べている。「私はアジアの中でも周縁にある日本の、その周縁の土地に生まれ育った。そこに根差しながら普遍性に至る表現の道を探ってきました」と。
「家族・平和・故郷」。それは世界の多くの人々が心に抱いているテーマであろう。一見難解な大江さんの文章が、国境を超え、言語の壁を超えて世界の人々の心に届いた理由はこの辺にあると思う。(別府大学名誉教授)
 

大分合同新聞2023年5月3日「灯」

その翌日の5月4日、亡くなった大江さんをしのび、NHK総合テレビ(午前10時05分~午前11時24分)で「あの日 あのとき あの番組 大江健三郎さん 日本人へのメッセージ」という番組が組まれました。1994年(平成6年)のNHKスペシャル「響きあう父と子~大江健三郎と息子 光の30年~」の再放送でした。

番組のゲストだった小説家の平野啓一郎さんは、
「文体の非常に瑞々しい感受性と強靭さ、社会問題を扱う時の社会との間の緊張感」
に大きな衝撃を受け、
「小説は、こういう人が書くもんだなと思わせるくらい一文一文が強烈で、やっぱ圧倒されます。」
と印象を述べていました。

番組の最後で、平野さんは、大江さんが広島・沖縄に取材したノートから、
「(障害を持って生まれた息子を持つ)親として、作家として、困難な状況下で生きようとしている人々への共感と敬意を抱いている。」
「当事者の声に耳を傾け、対話を通じて思索し苦悩した作家である。」
ことなどを挙げられ、
「対話と行動を通して我々に問いかける姿を示した。」
そんな作家であることを強調されました。

偶然ですが、私には遥かな存在だった大江健三郎について、二日間にわたり思いをはせる時間を頂くことで、親しみと尊敬を覚えることができました。


※画像は、クリエイター・川中紀行/コピーライターさんの、大江健三郎さんの言葉を紹介したユニークなタイトルがついた作品をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。そのタイトルには、
「僕は、あらゆる職業の人間が、基本的な人間として畏れをもたなければならないと思っています。ところが、このところ政治家が、自分の仕事にそうでない。妙に大きいことを言う。畏れを感じない人たちが言い始めるのが、伝統とか文化とか、歴史とかについての『美しい言葉』です。言ったことが実現しなくても責任は問われない。その間、細かな現実で苦しむ弱い者は、何もしてもらえない。」
とありました。これは、サンデーモーニング(2023年3月19日 放送)でも流された、在りし日の大江さんが語った映像にあった言葉でした。