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No.1288 「御飯の時間」ですよ!

「『御飯の時はテレビをつけてはいけない』という決まりがうちにはある。地震があったとか台風が来ているとかでない限りめったにその決まりが破られる事はない。物心ついた時にはすでにそうなっていたから、別に嫌ではなかったし、友達のようにテレビをつけて御飯を食べたいと思った事もあったけど、我が家の決まりは変わりそうもなかったので、そのうち諦めた。
 御飯の時は、ニュースを聞く為にラジオがついている。ニュースを聞きながら家族がそれぞれに意見を言うので軽く討論会のようになる。私も妹も口だけはいっちょまえなのでなかなかおもしろい。でも、政治のニュースになると、お父さんは無口になる。お父さんが解説を入れつつアナウンサーの話を通訳してくれる。これがなかなか解りやすくて、公民が死ぬ程苦手な私でも理解できる。最後にそれぞれの一日の予定を言ってだいたい朝ご飯の時間が終わる。
 昼はそれぞれの学校や仕事場で食べるので、次に皆が揃うのは夜だ。朝と違う事はお父さんがいない事とラジオがついていない事。拠る御飯の時は、私と妹の学校での話がだいたいメインになる。クラスの事、部活の事、友達の事などで特に隠し事はないと思う。食べ終わっても30分くらいは話している事が多い。そこでアドバイスをもらったり、逆にしたり、三人で悩んだりして夜御飯が終わる。
 何気なく過ごしている毎日の中で、自分の家の『御飯の時間』の事なんてなかなか気にする人はいないと思う。でもちょっと考えてみたら、うちの『御飯の時間』は家族にとってかかせない『大切な時間』になっている事に気付いた。
 家族そろってテーブルをかこんで、みんなで何だかんだ言いながら御飯を食べる時間。これが今の私の一番大切なものだ。」(福岡県の女子高校生の「高校生エッセイフォーラム」最優秀作品)

私は、「御飯を食べる時に話はするな」「御飯を食べながら話すのは行儀が悪いこと」と言われて育ったせいか、ついつい黙々と食べてしまう癖があります。料理を作った人への感謝の思いを忘れずに食べることに集中させようという気遣いでもあったのでしょう。

私が子育てをする時にも、テレビはつけっぱなしでしたし、ニュースの解説をしてやれることも一切ありませんでした。朝ご飯は、時間に追われながら過ごす毎日の繰り返しでした。

しかし、この「御飯の時間」のエッセイには、ご両親の明確な意図がうかがわれ実践されていることがわかります。我が家では叶わなかった食事の時間が綴られているにもかかわらず、どこか、懐かしいようなアットホームな時間に目を細めながら読んでいるのです。今よりも密だった家族の「御飯の時間」は、どこへ行ってしまったのでしょう?

この作品が発表されたのは2008年(平成20年)のことでした。前年の2007年にAppleが「iPhone」をアメリカで発売し、「スマホ」の時代が始まりました。翌2008年、日本でもiPhoneの発売がスタートし、2009年には国内スマホの出荷台数のおよそ7割をiPhoneが占め、日本でも一気にiPhoneが広まったそうです。
 
具体的にスマートフォンの比率を見ると、2010年には4%程度だったものが、2015年に5割、2019年に8割、2021年に9割超えて2022年は94%にも達しているといいます。10年間で爆発的に飛躍した背景には、時代や社会情勢がそれを望み、その機能の進化や充実がますます拍車をかけてきたように思います。
 
今や大人から子どもまで1人が1台所有していると言っても過言ではないくらい普及しています。その影響からか、食事の時にもスマートフォンを離せなくなりつつあります。勿論、スマホのせいではなく、使う側の心一つの問題でしょうが、ますます「家族の食事の時間」は「家族の会話の時間」ではなく「単に食べる時間」に変わりつつあるようにも思えます。
 
家族の絆と食事とは、切っても切れない間柄です。この歳になってエッセイを読み返し、心のためにも身体のためにも「食事の時間」のあり方について感じさせられている次第です。


※画像は、クリエイター・ゆかさくらさんの、「とりあえず日記書いとかなきゃ」の1葉をかたじけなくしました。ウサギの食事の時間も微妙な間があるようです。お礼申します。