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No.1325 答えなき問い

「カルネアデスの舟板」とは、紀元前2世紀ごろの古代ギリシアの哲学者・カルネアデスが出題したという「思考実験」の問題だそうです。
「船が時化で難破した時、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。男は罪に問われるか否か?」
結論は、「罪に問われない」ということでした。尤も、現代の法解釈は存じませんが…。
 
松本清張は、この事件にヒントを得て小説「カルネアデスの舟板」(「文学界」昭和32年8月)を発表しています。私は、『松本清張 短篇総集』(講談社、昭和46年4月発行)で初めて読みました。お楽しみいただければと思います。
 
では、次のお話はどうでしょうか?
 
『今昔物語集』の巻19第27話「住河辺僧値洪水棄子助母語」(河辺に住む僧の洪水に値〈あ〉ひて子を棄て母を助くる語〈こと〉)は、こんな興味深いお話です。
 

 今は昔、高潮が上がって、淀川の水かさが増し、河辺の多くの人の家が流れました時に、年のほど五、六歳くらいで、色白く見た目も端正な、気配りもしっかりできる男の子をもって、片時も身も離さず可愛がっている法師がいました。
 そうしている間に、その洪水に、この法師の家も押し流されてしまいました。その家に年老いた母がいるのも知らず、愛する子どもがいるのも知らず、騒ぎ迷っていると、子どもが流され、さらに一町ほど下ったところで母が、浮きつ沈みつ流されていました。法師は、色白の子どもが流されているのを見て、「あれは我が子にちがいない」と思って、流れに身を躍らせ、水をかいて泳ぎ、なんとか行き合わせて見ると、確かに我が子であったので、喜びながら、片手に子どもを抱いて、片手で泳ぎ、岸に辿り着こうかとしましたときに、また、母が、水に溺れて流されていくのを見て、二人を助ける術はありませんでしたので、法師は思いました。「命があれば、子はまた儲けることはできるだろう。母は、たった今別れてしまったら、また出会う術はない」と、子を打ち棄て、母が流れる方へ泳ぎ着き、母を助けて岸に上げました。
 母は水を呑んで腹が脹れていましたので、水を吐かせて手当てをしていますと、妻が寄ってきて言いました。「あんたはあきれるほどひどい人だね。二つある目のように、たった一人真珠のように愛する我が子を殺して、朽木のような婆さんの、今日明日にでも死にそうなのを、なんと思って助け上げたのさ。」と、泣き悲しんでいますと、父である法師は「いま言った事はもっともなことだけれども、明日には死にそうだと言っても、どうして母を子と変えることができようか。命があれば子はまた儲けることもできよう。お前さん、嘆き悲しむことはないよ。」となだめすかしましたが、母の悲しみはとどまることを知らず、声を上げて泣き叫んでいましたところ、母を助けたことを仏様も哀れとお思いになったのでしょうか、その子どもを下流で人が取り上げましたのを聞き付けて、子どもを呼び寄せて、父母ともに限りなく喜んだということです。
 その夜、法師の夢に、見たこともないような高貴な僧が来て、法師に告げておっしゃいました。「あなたの心はとても貴いものです」と、お褒めになったのを見て、夢から覚めました。「実にめったに無い法師の心であることよ」とこれを見聞きした人は、皆、法師を讃え、尊んだと語り伝えたということです。

今昔物語集 現代語訳(松元智宏氏)による

究極の「二者択一」は、「平安時代版カルネアデス」とでも言いましょうか。母と子の命という極限状況の中で、僧は「子はまた儲けることが出来ても、母はこの世に一人しかいない」という価値観で母を選びます。尤も、子どもも後で人々から助けられましたが…。

紀元前7世紀から6世紀ころに生きた釈迦は仏教を開き、紀元前6世紀から5世紀にかけて生きた孔子は儒教の祖と言われます。この仏教と儒教との影響関係の有無はどうなのでしょうか?

仏教には、儒教的な「年長者を敬え」という基本的な教えはなく、むしろ「命は平等」だと説くといいます。その解釈は合っていますか?ところが、儒教では「仁」や「忠」や「孝」を重んじ、長幼の序などは、特に大事にされる考え方です。ある意味、仏教の世界に儒教の精神が取り込まれ、流れ込んだことから、僧の言動を尊ぶような解釈に繋がっていったのでしょうか。一方的ではなく、相互に影響し合っている可能性も十分に考えられますが、説得力のある話が出来るほどの根拠を持ちません。スミマセン。

極限の話や究極の話は、現実味がないとお叱りを受けるかも知れません。しかし、日本は古来より、大地震、大津波、大飢饉、大火事、豪雨台風、疫病ほかの大災害に見舞われ、血の涙を流しても足りない選択を迫られた人々が、どれほどいることか。決して「他人事」としていてはいけないのだと思います。

昨日、16時43分ごろ、宮崎県日向灘(震源の深さ30km)で震度6弱(マグニチュード7.1)の地震が発生しました。隣県である大分県は震度4でしたが、長い横揺れが続き、いつ孫を抱いて飛び出そうかと身構えたほどです。予兆もなく、唐突にやって来た地震の前に、アタフタし、オロオロするばかりではならないと思いつつも、己のふがいない態度をまたしても思い知らされた次第です。

古典のお話に、様々な思いを抱きながらも、答えなき問いかけに窮しているところです。


※画像は、クリエイター・NPO法人あおぞらさんの、「『ふく』と松本清張作品集(=^・^=)💖」の1葉をかたじけなくしました。読書猫(家)ですね。お礼申し上げます。