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No.858 象が来るぞぉ!

2022年3月20日の「毎日新聞」のコラム「余禄」(東京朝刊)に、次のような興味ある記事が載っています。

日本に初めてゾウが渡来したのは室町時代の1408年。若狭国(わかさのくに)(福井県)に南蛮船でもたらされたという記録が残る。徳川八代将軍・吉宗はアジアゾウを飼っていたそうだ。江戸ではクジャクなど珍しい鳥獣を集めた「花鳥茶屋」が人気を集めた▲「動物園には生きながら禽獣(きんじゅう)魚虫を養えり。……世界中の珍禽奇獣皆この園内にあらざるものなし」。近代的動物園を紹介したのは福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)である。幕府の遣欧使節団で本物を見学した福沢が「西洋事情」で「動物園」の言葉を初めて使った▲
(以下、略します)

上記コラムにもあるように、歴史上、日本に最初に象が上陸したのは、1408年7月15日(旧歴、応永15年6月22日)だそうです。室町幕府3代将軍・足利義満(1358年~1408年)が死去し、4代将軍・足利義持が就任した頃にあたります。マレーシアの貿易船が若狭国(福井県小浜)に漂着し、その船に象が積まれていたのだそうです。 象は京都まで運ばれ、四代将軍・足利義持に献上されています。
 
さて、その300年余後の1728(享保13)年にベトナムからやってきた象は、徳川八代将軍・吉宗への献上品として中国商人からプレゼントされたものですが、長崎しか緒外国に開港していなかったからか、江戸までの約1400キロもの道のりを歩いて旅したそうです。
 
長崎上陸の際は、8歳(7歳とも)のオスと6歳(5歳とも)のメスの2頭でしたが、メスはその後3ヵ月ほどで死んでしまいます。オスの象は長崎で冬を越し、翌1729(享保14)年3月、長崎の役人やベトナム人の象遣いと共に旅立ちました。
 
途中、京都では中御門天皇に(1702年~1737年)謁見するのですが、無位無官のものが天皇にお目通りすることは許されないということで、宮中参内の折りには「広南従四位白象」という大名並みの官位と称号が授けられたといいます。日本人らしい権威主義的発想です。
 
その後、静岡県三ヶ日の引佐峠で「象鳴き坂」という不名誉な名前を付けられたり、「天下の険」と謳われた箱根では、ついにダウンしたりして、難行苦行の連続でした。
 
長崎を出てから74日目の5月25日、何とか江戸につき、将軍吉宗へのおまみえも果たしましたが、その後の象の扱いは涙を誘うものでした。維持管理に費用がかかるので幕府から厄介払いされそうになったり、見せ物小屋に囲われて逃亡して捕まえられたりしました。あまりのストレスからか、急病に襲われ、象の寿命は60年~70年だというのに、21歳という若さで命絶えました。象の瞼の裏に、故郷ベトナムの家族や空や大地が映ったことでしょう。
 
大分合同新聞では、4月24日から新聞小説「象が来たぞぉ」(作・風野真知雄、画・横田美砂緒)が始まるそうです。
「江戸享保時代、誰も見たことがなかったゾウがベトナムからわが国に渡来した史実を基に、痛快な大活劇が繰り広げられます。」
とあった連載案内の紹介文に心が躍ります。今年の春は、朝から楽しみが続きます。


※画像は、クリエイター・Hitominさんの、タイトル「何事も思いやりを」をかたじけなくしました。動物の世界にも、人の心に勝るとも劣らない心が見えます。お礼申し上げます。