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No.597 教え子と、その娘たちに背中を後押しされながら…

宇宙開発競争が急速に進み始めた昨今ですが、やはり、21世紀は「情報化と革命の時代」と言えるのでしょうか?

その15歳の女生徒は、新設なった音楽コースの2期生として1994年(平成6年)に入学してきました。私は彼女が1年時に毎週2時間「古典」を担当しただけでしたが、29年経った今もお付き合いを頂いています。

彼女はピアノを専攻の女学生であり、東京の音楽大学からドイツのエッセンにある音楽大学に編入しました。21世紀の始まった2001年のことで、この時から、彼女との近況報告のメール交換が始まりました。その後、大学院への進学を目指しましたが、試験に合格しても指導教官の生徒枠に空きがなければ入れないと言う理由のために、傷心を経験しました。

このままの状態で1年間努力を続け親からの支援に甘えるか、それとも、日本に戻るべきか悩んでいた時に、ロシアから声楽を学ぶために留学していた仲間の女性から、
 「ロシアの諺に『神は、欲しいものを与えるのではなく必要なものを与える』というのがあるわ。今のあなたに必要なのは、その時間ではないか」
と言われたそうです。彼女は目が覚めたように自分を取り戻し、立ち直ることが出来たと言います。私は、その話を聞いて凄く感動しました。。

ロシア正教がありますから、ひょっとしたら「諺」と言うよりも、「聖書(福音書)」の一節かも知れません。しかし、私は、まだ探し当てられずにいます。もしご存知の方がおられましたらご教示ください。

さて、彼女は1年間よく耐えて、念願の大学院への進学を果たし、さらに努力の甲斐あって無事に卒業しました。そして、当地で音楽活動をしながら、2007年に白馬の王子様のようなドイツ駐在の日本人男性と知り合い、結婚してミュンヘンで生活するようになりました。また、2011年に起きた東日本大震災支援のためにドイツの仲間たちと教会でチャリティコンサートを行ってくれた、心優しく活動的な日本人女性でもあります。

今年7月、久々に10歳と5歳のお嬢二人を連れて帰国し、大分に里帰りしました。つい先日、大分のお婆様と一緒に、教え子と娘さん二人が我が家を訪ねてくれました。とはいえ、娘さんたちとは初対面です。こちとら爺さん婆さんの二人組、果たしてトーンダウンしないか?リアクションやいかに?と内心不安ではありましたが、全くの杞憂に終わりました。

お嬢二人は、やって来た車の中から出迎えたマスク姿の我々翁媼を見るや、にっこり微笑んで軽く会釈をしました。実に美しい笑顔でした。キュート!我々の目には、漫画のようなハートマークが浮かんでいたと思います。

初めの方こそ恥ずかしそうにお母さんにベッタリでしたが、おしゃまで、お喋り上手なお姉さんに引きずられて、妹さんもよく喋るようになりました。スマホを自在に操って、あちらこちらで撮った写真を見せながら説明をしてくれました。その表情は生き生きしていて、口角がよく上がります。これが、大陸的なコミュニケーション能力なのかなと思いました。惚れ惚れするような表情とその話しぶりに、脱毛ならぬ脱帽です。

1時間ほどの滞在予定でしたが、気づいてみれば2時間が経っていました。退屈するどころか、別れが寂しくなるような思いにさせられました。教え子の、口出しを控え、自主性を重んじ、愛情深く娘たちを見守る姿が輝いて見えました。勿論、飴と鞭を駆使してのことでしょうが、15歳の少女は立派なお母さんに、そして、演奏家に成長していました。いつの間にか、ドイツでの生活は人生の半分に達していました。

「真面目で地味なドイツ人の生活や性格が、私には合っていたのかもしれません。」
と彼女は言いました。よそ行きの装いではなく、カジュアルな服装でやって来てくれた自然体の彼女らしさにも心惹かれるものがありました。

新世紀の22年間、彼女と同じ時間を共有しながら、私は一体どんな成長が出来たのかと思うと恥じ入るばかりです。別れ際、お嬢たちは再会の約束をしてくれました。彼女たちから愛想をつかされぬよう、今度は爺力に磨きをかけて再びの日に備えたいと思っています。

情報の時代は一瞬にして世界と繋がります。功罪は多々ありますが、何ものにも代えられない魅力を「note」で証明してもらっている毎日です。

私は、教え子から勇気を教えられ、子どもたちからは待つことの希望を与えられました。親子2代で、こんな私に生きる力を与えてくれています。

玄関先のノウゼンカズラの花が、別れを惜しむかのように揺れていました。