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ほぼ趣味の博覧会資料研究について

2025年に大阪博が開催される。
個人的には1970年のリバイバル的なものだと思っている。
夢洲かぁ…ミャクミャク様か…と色々思いながら2025を訪れるのを待っている。

私は博覧会が好きだ。
2005年の愛知博にいったのがきっかけかと思うけどももっと深く関わっていたのだ。
そんな私の博覧会ヲタクっぷりと活動を深堀してみようと思う。

父も祖父も曾祖父も技術者

父方はみーーーーーーんな科学者で技術者だ。
だから私も技術者になろうみたいな感じで社畜時代までずっとやってた。
自動車が好きだから自動車をやってた。

元をたどると曾祖父は凄かった。何せ教授だし何かの学会を作ったらしい。なんなら銅像なんかもあったりするらしい。
祖父は留守電の元祖を作ったらしいし、某〇芝の技術者だった。
父もなんか色々科学館とかの展示物を作ったりしてた。だから私の家業は技術者。
みーーーーんな博覧会に関わっている。'70大阪も’85つくばも、なんなら'84とちぎもみーーーんな関わっている。

だから私が博覧会に興味を持つのは必然だったのかもしれない。

小学生のころ、研究保存活動を始める

思えば小学生のころから活動している。
ほぼ20年になるのね…と思いながらやっていることだけども、そりゃもう探すのも集めるのも骨がボキボキに折れるくらい大変。
更に昨今、レトロブームや2025大阪博も相まってオークションでは高値取引されているのも事実あって手に入りにくいものも出てきている。

私の活動の始まりは”岡本太郎”からだ。
小学生のころの担任の恩師が「これいる?」と渡してきた、よく学校の壁に掲示してあるポスターからだ。

恩師から貰ったポスターは大事に大事に取っておいてある。

そこから'05愛知博へ連れて行ってもらった。10回行った。
公式ガイドブックは後々手に入れたものだが、185日間の報道写真集は当時手に入れたものである。
私の万博節。「万博といえば沖野」と呼ばれるまで周囲に植え付けた個性は凄かったんじゃないか?'70ならまだしも、時は'05。珍しかったのではないかと思う。

もう20年近く前にもなる’05愛知博。
当時はTシャツなんかもしょっちゅう学校に着て行っていたし、
世界の国からこんにちは、も口ずさんで歌っていた(但し音痴)。

愛知博に行ってはパビリオンのパンフレットやスタンプを集めてスクラップしたもので、夏休みの自由研究に提出したほどのめり込んだものだが…
残念ながらこのスクラップ帳は残っていない。

10数年越しに見た太陽の塔の内部

太陽の塔。大阪博のシンボルである。
小学生のころに知った時からずっと内部に入りたいと思っていた。
写真でしか見たことが無いからだ。
'70のあの科学や世界に対する熱狂が好きで肌に感じたくて見たい一心だった。
2018にその太陽の塔の内部が整備され、一般公開で見られるようになったときは父が抽選に応募してくれた。10数年越しに叶った’70の想い。なんと想い深いものだったか。

ここで私はもうすでに20歳を超えており改めて博覧会に対する”好き”が爆発して同じ万博公園にある博物館にも足を運び、当時に想いを馳せた。
嬉しすぎてしょうがなかった。あの頃に子供でいたかった。本当に。

ひょんなことから”とちぎ博”に関わる

太陽の塔の内部が見れた数年後、昨年の夏。
'84とちぎ博の銅板レリーフをオークションで手に入れると思いもよらない出来事が起こる。

なんととちぎ博当時の事務局の方々と関わる機会を得たのだ。
レリーフを譲っていただいた方は当時最年少だったそうで、大事に当時の色々な資料や新聞、ましてや駐車許可まで取っておいていたのだ。
そして事務局の方は現在平均80歳半ば。当時を知る人がほとんどいなくなってしまったそうで、何かを残したかったが平出工業団地にある歩道橋の「'84とちぎ博」の文字を残すことしか出来なかったそうだ。

工事に関わる図面や当時の新聞、入場者記録、未使用のチケット…
ステッカー、紙袋…
入場ゲートに飾っていた旗や国旗とともに揚げていた旗までも譲っていただけた。
非常に貴重な資料たち。

とちぎ博を知らない方へざっくりと説明しますと、1984年現在の宇都宮・清原地区で開催された地方博覧会です。当時としては異例の黒字開催を記録した博覧会でして記念公園等は残ってはいないものの、後の1985年つくば科学博にも影響した凄い博覧会なんですよ。

好きを知ってもらう

博覧会とはいっても、非常に幅広く、国際的に開催されたものから地方の小さな開催規模まで様々。資料が残っていないものも多々あります。
私が古いもので所持しているのは宇宙博。1978年に開催された博覧会になります。今は閉館中(?)の台場・船の科学館も会場となったものです。
それから有名どころをメインに公式ガイドやメダルなどの記念品を探しては入手しています。

とちぎ博公式記録が一番分厚い資料ですねぇ…

こういった昔、「日本が世界へ」といったものに魅力を感じています。
高度経済成長期からバブルにかけては特に、自分がまだ生まれていない時代の日本。良き時代であり、苦労した時代のものを後世へ残すというのは次は私たちの世代が担うものかと思っています。

好きを知ってもらう。
次々と新しいものが生まれていくなかで先代の技術や知恵は大事にしていきたい。

とちぎ博を宇都宮の観光資源へ

せっかくなら何か残せないか?と模索しています。
なにせ’84とちぎ博は歩道橋の文字しかありません。
その後にあった’00とちぎ花博(壬生)については公園として整備されて残っています。

当時の観覧車は今はお隣群馬で活躍中。北関東道から見えます。

何でか?は当時の事務局の人たちもわからないそうで、何か残したいと思った時には歩道橋しか残せなかった…と伺いました。
うーん、もったいない。
何か出来ないかな、イベントでも、常設展示でも、できないか。
これだけ残っていても無いものは無い。
人を呼び込む、興味を惹かせる何かを見つけなければならない。

当然ながら私はいち、一般人のただの多趣味ヲタク()なので何かツテがあるわけでもないですし、コンサルとかもやったことないです。
まだまだ研究保存の真っただ中、模索中です。

地元の貴重な思いを大切に、後世へ。

古き良きものを現代にも後世にも

技術の進歩には日々驚かされています。
それは今駆け出し中のWebデザインにも言えることですが、頭がくらくらするほどに非常に目まぐるしい。
そんな昨今の世の中を創り出したのは紛れもなく影響したのは博覧会だろうと考えている。

新しいものに熱狂したあの時代。
今も昔もその熱意というのは変わらないと思う。
そんな熱狂を改めて見つめなおす、または後世の参考に、出来たら面白い。

いつの時代も、こんな熱狂を、好きを伝えていくことは重要な資産。
伝えていく人も後へ引き継ぐ必要がある。
そしてまた、伝えていく。

まだまだ始めたばかりのことだが少しずつ進めていこうと思う。

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