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リンとメグ(8月)

 1.
 
 8月の屋上。夏休みにも関わらず登校日の学校は、授業中だ。
 誰もいないんじゃないかと思うくらいの静寂で、世界には私と、隣で寝っ転がってる女の子しかいない。そう錯覚する。
「リン、あのさ」
 女の子、メグが私に話しかけてきた。
「なに?」
 暑くて相手するのが少し億劫だからか、気怠げな返事が私の口から出た。
 メグは私のような後ろ向きの人間とは本来接点のない人だと思う。
 クラスの中心にいながら誰とも分け隔てなく接するし、溌剌な性格だし、友達も多い。
 みんなから好かれてる人が、どうして私と一緒にいるようになったのかはわからない。
 サボり仲間にならなければ、たぶん一生関わりはなかったのだろう。
 これで好きで一緒にいるんだって言うのだから本当に物好きだ。
「リンは死ぬの怖くない?」
 メグは世間話の流れで言った。
「突然どうしたの?」
「うーん。なんとなく? 理想の人生の最後ってなんだろうなぁって考えたんだよね。死って存在が消えるわけじゃないじゃん。私がしてきたこと、伝えてきたこと、出会った人、みんなが私のことを覚えててくれたら、私は死んでもいいと思うんだよね」
 メグは時々、こうして訳もわからず話を振ってきて、私を困らせる。
「何それ? カッケー」
 私のつれない反応に、メグはあははと大口を開けて笑った。
 私はどう思うだろう……。言葉にして考えることにした。
「私は……そんな善人みたいなことしてきてないから、精々覚えてるのは家族か、メグくらいだろうな」
 一点の曇りもなく、晴れやかな表情で口から言葉が出た。たぶん、本心からそう思ってるんだろう。
「フツーに老衰とか病死だと思う。自殺はしないだろうけど、それも可能性がゼロってこともないだろうから無いとは言い切れないかな。ま、フツーの女子高生が突然死ぬなんてよっぽどのことがなければ無いだろうし、私は理想の最後とか考えられないや」
 私は一笑に付し、会話を終点に導いた。
「だよねぇ。ごめんね、馬鹿な話して」
「いつものことでしょ」
「たしかに!」
 二人して笑って空を見上げる。
 空にはおっきな入道雲。それが飛行機雲の出発点になっている。
 近くの雑木林からセミの鳴き声が聞こえてくる。
「アイスでも買いに行く?」
「校則違反じゃない?」
「質問を疑問で返すなんて、まったくリンは意地悪だね。授業サボってるから今更でしょ」
「それもそっか」
 私とメグは立ち上がって屋上を出たものの、校門を出ようとしたところで教師に見つかり、捕まった。
 こってり叱られるのはいつものことだ。
 それでも私とメグは懲りないのだから、どうしようもない筋金入りの不良生徒だと思う。
 
 ∞ ∞ ∞
 
「センセー、あんなに怒ることないのにねぇ〜」
 メグはゲンナリ肩を落としながらいつも通りの気の抜けた口調で愚痴を溢したものの、本気ではないのは明らかだ。
「見放されないだけまだ愛されてるのかもね」
「まったく。余計な愛情だよ」
「……メグは」
「ん?」
 ──私に無理して付き合わないくてもいいのに。
 その言葉は喉まで出かかって止まった。
「……」
 吸った私の息は行き場を失い、口ごもるという形のない音として吐き出された。
「気にしなくてもいいのに」
 メグは私の心を見透かして笑った。
 そのまま教室の扉を開ける。
「うわぉ!?」
 奇声を発したメグの前にはガタイのいい男の子が立っていた。
 髪の毛は日に焼けた影響で少し赤茶けている。
「またサボってたのか? たまにはちゃんと授業受けろよ」
 キツイ口調で、聞く人によっては責められているとも捉えられる話し方の男の子は、野球部の笠原だ。
 こいつは馬鹿だ。それ以外特筆することはない。
 強いて捻り出すとするなら、こいつも私とは違う世界に生きる人で、明るい陽の下で生きるメグと同じ人種だということだけだ。
「なんか、リン、失礼なこと考えてねえか?」
「別に。考えてないけど」
「ようやく表情からリンの考えてることわかってきたけど、絶対馬鹿にしてたろ」
「よくわかったね。こいつは馬鹿だって思ってたよ」
「やっぱ思ってんじゃねえか」
 悪い笑みを浮かべる笠原は、その顔のままにじり寄ってくる。
 体格的にどうしようもない私は、金的でも食らわせて退けてやろうかと考えた時だった。
「笠原。距離が近すぎだ」
 静かな口調で、黒髪の男の子が笠原を注意した。
 帰宅部の風間くんだ。
 暑苦しい笠原の襟首を掴んで引っ張ったせいで、笠原は轢き殺された蛙のような声で鳴いたあと、ゲホゲホと咳き込んだ。
 そうとう強く引っ張ったのだろう、首筋に赤い跡がついている。
 私とメグと笠原と風間くん。
 私はそこまで魅力的な人間ではないのに、なぜか私の周囲には、この人たちが集まるようになっていた。
 いつからと聞かれたら、明確にメグと関わりを持つようになったからと言える。
 メグがいなければ、幼馴染同士の笠原とも風間くんとも関わることなく、私はボッチだっただろう。
「嫉妬すんなよ風間」
「してない。お前が無遠慮に近づくのが悪い」
「チッ……。んだよ。別にいいじゃんか」
「リンは嫌がってたぞ」
 幼馴染という気を許しあった関係だからこそできるやりとりだ。
 私はそれをただ見ているだけなのに、笠原が話題に引き出してくる。余計なお節介だ。
「は? リン、そうなのか? もう俺ら友達だろ?」
「確かに話すようになったし、側から見たら友達なのかもしれないけど、メグ以外に近づかれるのは普通に気持ち悪いし、さぶいぼ立つ。金的蹴ってやろうかと思った」
 私の発言に、会話に入らず微笑ましい視線で私を見ていたメグが「あっはっは」とお腹を抱えて身を捩った。
「いつも悪いな」
「大丈夫だよ風間くん。助けてくれてありがと」
「気にするな」
 よく会話するようになったから分かるようになったけど、風間くんは結構笑う。
 と言っても僅かに口角を上げる程度だけど。
 恋とか愛とかは別にして、友情的な意味合いで私は笠原も風間くんも結構好きだ。
 でも、周囲はそうは思っていないみたい。
「リンは言葉をオブラートに包まないけど、それを気にしない笠原って、やっぱり相性良さげだよね」
 どちらかといえば風間くんの方が気が合うのに、メグは決まってそう言う。
 風間くんも同意すると頷いていた。
 理由は、推測でしかないけれど笠原と話すことの方が多いからだろう。
 あと、たぶん呼び捨てにしているのも関係あるのかもしれない。こんな馬鹿は呼び捨てがお似合いだ。
「こいつと相性いいとか、死んでも嫌」
「うわ〜。リン、辛辣ぅ〜」
 メグは笠原を肘で突っついて遊んでいる。
「そりゃねえよ……」
 当の本人は何故かショックを受けて、叱られた私たちよりも落ち込んでいた。
「ただ、笠原の言ったことは俺も同意する」
「なんのこと?」とメグ。
「授業は受けた方がいい」
「親友のリンがサボってるんだから、私もサボるのが友情ってものでしょ?」
 風間くんはメグに何も言い返せない。はぁとため息をついて諦めた。
 その表情には優しさが滲み出ている。
「二人は夏休み何する予定なんだ?」
「私は友達と遊びまくるつもりだよ〜」
「よかった」
「高校生活最後の夏休みだからねぇ!」
 ふふんとメグはのけぞった。
 はしゃぐメグを見守る風間くん。テンションが正反対の二人。
 私と笠原のことは置いておいて、メグと風間くんは相性最高だと思う。
 そういうことには疎い私だけど、たぶん二人は両思いだ。
 付き合ってないことが謎だけど、幼馴染ながらに色々あるんだろう。
「おっと……」
「大丈夫か?」
 メグがふらついて壁に手をつくと、風間くんは側まで寄って暖かい言葉をかけた。
 独特の2人の世界があるように見えた。そんな貴重なものを邪魔するのが笠原だ。
「そうだ! 俺ら4人で夏祭り行こうぜ」
 さっきまで落ち込んでいたのに、もう立ち直ったみたい。笠原は会話に無理矢理入り込んできて余計なことを言った。
 夏休みは特に人と会うつもりも無かったのに。
「突然なに? 静かでいいなと思ってたのに」
「夏休みの話題が出たから思い出したんだよ。釣れないこと言うなって。リン、俺ら友達だろ?」
「友達の頼みでも聞けないことはいくらでもあるよ」
「なんか予定あんのか?」
「ない、けど……」
「けど、なんだよ?」
 それがささやかな抵抗だということは私も分かっていた。なんとなく笠原の意見には同意したくないという抵抗があるだけだ。
 あとは、私がいると空気が悪くなると思うし、邪魔者だろうから。
 でも、メグだけはそう思わないのかもしれない。
「いいじゃん! 行こう行こうっ!」
 ほら。やっぱりメグも話に乗っかった。
 風間くんは静観しているけど、メグの意思を尊重するから、絶対に断るはずがない。
 こうなると、もう決まりだ。
「リンも行くよね?」
 私も当然行く流れになっている。
「……わかった」
 渋々、という意思をうまく隠すこともできない私の返事でも、みんなは喜んでくれた。
「メグ……体調は」
 風間くんがメグに耳打ちしていた。体調って何のことだろう。
「だいじょぶ」
 笑って答えるメグはとても元気そうだ。
 風間くんはそれ以上何も言わなかった。
 
 ∞ ∞ ∞
 

 2.
 
 笠原に言い返せなかったように、私の夏休みの予定は特にない。
 家のことを時々手伝ったり、本を読んだりするだけだ。
 誘いがなければ、多分一ヶ月と少しを一人で過ごしていただろう。
 私はそれでもよかったのだけど、今日はレンタルの浴衣を着て待ち合わせ場所に向かっていた。
 慣れない下駄は歩きにくい。
「リン〜!」
 待ち合わせ場所でメグが手を振っている。
 既に笠原と風間くんもいて、私が最後だったみたい。
 全員揃ったことで、私たちは縁日のある場所まで向かうことになった。
「ねえねえ、風間」
「なんだ?」
 メグと風間くんが並んで歩いている。
 メグがふらついた時は風間くんがそっと背中に手を添えていて、側から見てもお似合いだ。
 私の隣には何故か笠原がいる。
「……さっきからこっち見てるけど、何?」
 棘のある言い方になってしまったかもしれないと思ったけれど、どうせ笠原だからいいかと思い直した。
「いや……。えっと、浴衣。似合ってるな」
「吃りながら褒めるとか、ダサ」
「う、うるせえな!」
 なんか今日の笠原は変だ。
 リンと風間も協力して私と笠原を一緒に歩かせようとしていたのもおかしい。
 笠原が距離が近いのはいつものことだけど、進んで私の隣を歩いているような気がするし、すぐ目を逸らすし、どこかよそよそしい。頬も赤らんでるし、体調悪いのかな。
「笠原らしくないよ」
「俺らしいってなんだよ」
「ガサツで、失礼」
「ひでえな!」
「事実でしょ?」
 楽しくないわけじゃないけど、私は無表情のまま。
 笠原もきっと私と一緒なのはつまらないと思う。
「メグのとこ行ってくれば?」
「は? なんでだよ」
「あっちの方が楽しいだろうし」
 笠原は大きなため息を吐いた。やっぱりつまらないんじゃん。
「俺はリンの隣がいいんだよ。俺の意思でここにいるの。わかるか?」
 人の感情の機微に鈍い私には、リンと風間くんの意図も、笠原の意思も、みんながどうして私を誘ったのかも分からない。
「変わり者だね」
 笠原は「それでいいや」と何かを諦めた。
 その後はずっと無言だった。
 私たちの仲の悪さを見かねたのか、縁日が開かれている場所に着いた時、メグがやってきた。
「リンは私と一緒にまわろ?」
「わかった」
 笠原は風間くんと一緒に回るみたいだ。
 グループで別れて散策することになって、私はついにメグと二人きりになった。
「……ごめん」
「どうしてリンが謝るの?」
「みんな、私といてもつまらないでしょ」
「それはリンが決めることじゃない。みんなが決めることだよ」
「リンはそう思うかもしれないけど、笠原と風間くんは違う」
「どうしてそう思うの?」
「だって……」
 私は自分がつまらない理由を探した。
 声は女の子にしては低いし、性格だってサバサバしているし、思っていることを口にしているだけだけど口だって悪い。別に楽しい話題を提供できるわけでもない。
 何もできないのだ。
 メグの可愛い声とも、愛想の良い性格とも、何もかも私とは違う。 
 だから、みんなメグと一緒に縁日を回りたいと思う。
 でも、それを口にすることは何故かできなかった。
「なに考えてるのかなんとなく分かるけど、リンが心配する必要ないよ。笠原も風間も、リンが来ることになって喜んでたし。……特に笠原」
「なんで笠原?」
「どうしてだろうね?」
「メグ、とぼけるの下手だから隠し事できないよ」
「嘘っ!?」
「ほんと。顔に書いてある」
「そんなぁ〜……。あ、でも正直者って好かれやすいって聞くし、別にいっか」
「都合がいいね」
「ポジティブなのは私の特技だからね。そういえば、リンは好きな人っているの?」
「いるわけないでしょ」
「うわ〜。女子高生なのに枯れてるねぇ」
「みんな、ほんと恋とか愛とか好きだよね。いったい何が楽しいんだろ」
「うわぁ、辛辣〜」
「起こってもない妄想をつらつらと語るより、本音を言う人の方がマシじゃない?」
「リンはほんっとうに素敵な性格してるよね〜」
「メグは? いるの?」
「うーん。内緒」
 メグは人差し指を唇に当てて、内緒の姿勢をとった。
 私ははしゃぎ回るメグについて回って、というか底無しの体力のメグに終始連れ回される形で縁日を見て回った
 
 ∞ ∞ ∞
 

 3.
 
 夏祭りも終わり、夜も更けてきたところで、解散することになった。
「じゃ、笠原はリンのこと頼んだ」
 風間くんが私の隣に立つ笠原に、夏は変な人が増えるとしつこく言い聞かせている。もう三回目だ。
「わかってるっつうの」
 流石に笠原も何度も言われてしつこいと思ってるみたいで、しっしっと手で払っていた。
 私たちは、風間くんがメグを送るために帰路につくのを見送ってから歩き出した。
 しばらく無言の時間が続くと、笠原はソワソワしだした。
「気持ち悪いよ」
「うるせえな。きめえ自覚はあるよ」
「言いたいことがあるならはっきり言ったら?」
「別に……ねえけど……。いや、一つだけ聞きたいことはあるか」
「何?」
「リンは、好きなやつとかいるか?」
「またその話?」
「また……? って、誰かから告白とかされたのかよ!?」
「暑苦しいから叫ばないで。私のことを好きになる物好きなんているはずがないでしょ?」
「……じゃあ、誰から聞かれたんだ?」
「メグだけど?」
「よかった……。ライバルが現れたのかと思った」
 笠原はほっと胸を撫で下ろし、安堵した。
「ライバル?」
「……何でもない。失言だから気にすんな。あ、今度いっしょに……!」
「わかった。私の家ついたから、もう帰っていいよ」
 私は笠原の言おうとしたことを遮った。
「あ、ああ……」
 笠原にお礼をして背を向ける。
 別に長々と話すような関係性でもないだろうし、笠原も早く帰った方がいいだろう。
 そう思って玄関の扉に手をかけ、開けた時だった。
「リン!」
 家に入ろうとした私を、笠原が大声で引き止めた。
 近所迷惑だよ、と言おうとしたけど笠原は真剣な表情だったから茶化すみたいでやめておいた。
「一つじゃなかった」
「……?」
「言っておきたいことがあるんだ」
 まっすぐ私の目を見つめる笠原から言われたのは、よく分からないことだった。
 
 ∞ ∞ ∞
 
「リン」
 不思議なことは続くもので、夏休みが明けて登校すると、風間くんに呼び止められた。
「風間くん一人? 珍しいね」
「夏祭りは楽しめたか?」
「そんな前のこと今聞くの? まあ……。楽しくなかったと言ったら嘘になるかな」
「そうか。よかった……」
 何か煮え切らない様子だ。続ける言葉がありそうなのにその先を言わない。
 言いにくいことでもあるんだろうか。
「今日、メグは学校休んでるだろ?」
「うん。珍しいよね」
「そうだな」
「……?」
 風間くんの態度の方が珍しい。どこか苦しそうで、葛藤しているみたいだ。
「何か、言いたいことがあるの?」
 言いにくそうだったけど、普段の風間くんの態度とは違うことに違和感を抱いて、私は自分から聞いていた。
「笠原から何か聞いてないか?」
「何かって……。あぁ、メグのことか」
「やっぱり笠原から聞いていたか」
「うん。夏祭りの帰りに」
「どう思った?」
「?? 別に……不思議なこと言うなと思ったくらい」
「そうか」
 風間くんは、これ以上はいいと言って私から離れた。
 笠原といい、風間くんといい何が言いたいんだろう。
 
 ∞ ∞ ∞
 

 4.
 
 私は珍しく授業を受けていた。
 もう何日もメグは学校を休んでいる。夏風邪が長引いているのかもしれない。
 いつも元気なメグでも、風邪には流石に勝てなかったようだ。
 メグがいないと退屈だ。笠原と風間くんもどこか私を避けてる風だし、やっぱり私はメグのおまけなんだろう。
 別に、それが悲しいわけじゃない。ただ、一日が長く感じる。
 窓の外を見た。青空には雲ひとつない。
 メグと出会ったのは、今年の春、後輩の入学式の日だった。
 私は相変わらず友人がいなくてクラスから浮いていて、その日も屋上で寝っ転がって空を見上げていた。
 目を瞑って何も考えないようにした時、ふと、ゆらめくスカートに視界が遮られた。
 女の子が立っていた。
 去年は別クラスだったから関わりなんてなかったけれど、存在くらいは知っていた。
「パンツ、見えてるよ」
「女の子同士だから気にしないよ」
「私が同性愛者でも?」
「あ、それは恥ずかしいかも。てか、あなた受け答えが捻くれてるねぇ」
「そうかもね。私はかなり嫌な性格だよ」
「あはは。言うな〜。ねねね! 名前教えてよ」
「……リン」
「そっか。リンっていうんだ。私はメグ。よろしくね」
 メグは私の隣に腰掛け、自己紹介した。
「名前くらい知ってるよ。メグは有名人だから」
「あはは。噂されてるんだ。ちょっと嬉しい」
「変わってるね。私は絶対に嫌……って、なんで隣に座るの? 許可してないんだけど」
「許可がいるの? じゃあ座ってもいい?」
「もう座ってるじゃん。別にいいけどさ……」
 この子は初対面でもパーソナルスペースにずけずけと入ってきて、人との距離感が近いみたいだ。
 こういう人は無遠慮に人の嫌なところまで踏み込んでくるに違いないと決めつけ、私は自分もその餌食になるのではないかと杞憂した。
 でも、メグは違った。
 私から話しかけない限りはずっと無言で、私と同じように寝そべって空をぼーっと見ていた。
「後輩の入学式の日にサボるなんて、メグはよっぽど学校のことが嫌いなんだね」
「サボりじゃないよ。遅刻したの」
「無断で?」
「ううん。ちゃんと病院に行くからって言って先生の許可も貰ったよ」
 私もメグも、それ以上会話をすることはなかった。
 それから今まで、何故か不思議な関係が続いている。
 チャイムの音が聞こえて、私は突っ伏していた体を起こし、目を開けた。
 いつの間にか眠っていたみたいだ。
 授業に出ていてもサボってる時とすることは変わらない。
 でも、どうしてメグと出会った日のことを夢に見たんだろう。
 笠原と風間くんにメグについて言われたからかもしれない。
「でも、『メグを説得して欲しい』ってどういうことだろう」
 なんとなく、気まぐれで、私はメグに連絡をとって家に行ってみることにした。
 
 ∞ ∞ ∞
 
 メグの家の前に立った私は、緊張していた。
 誰かの家に来ることなんて小学校以来かもしれない。
 それだけの時間、他人と過ごさずにいたのだから、私は夏の暑さの下、人の家の前で右往左往する不審者みたいになっていた。
 メグはいつも即レスなのに、連絡は返ってこなかった。
「メグの友達、ですか?」
「あ、えっと……。はい!」
 視界が狭まっていた私は、メグの家から誰かが顔を覗かせていることに遅れて気づいた。
「そう……。よかったら、メグに会ってあげてくれないかしら?」
 おそらくメグのお母さんらしき人が、私を家にあげてくれた。
 メグのお母さんはかなり疲れているように見える。
 家のことで何かあったのだろうか。それとも仕事が忙しいんだろうか。
 メグのように人の心に不快感なくスルスルと入ることなんて私にはできなくて、特に会話をすることなく二階のメグの部屋の前まで案内された。
 役目を終えたのか、メグに会いたくないのか、メグのお母さんは鼻を啜りながら階段を降りていった。
 ドアをノックして、一応メグがいるか確認をする。
「お母さん?」
 メグのくぐもった返事が聞こえた。
「私だよ。リン」
「あぁ〜……。来ちゃったかぁ……」
 来ちゃった? それはどういう意味だろう。
 私はドアを開けた。メグの部屋に入ろうとした。
 入ろうとしたところで、私の足は止まってしまった。
「え?」
 メグはベッドで寝ている。
 その姿は、痩せこけて、衰弱していた。
 病院のようにたくさんの機械があるわけでもない、点滴が繋がれているわけでもない。
 それでもメグの状態は、はっきりと病人であると確信できた。
「なに、それ……」
 喉が締め付けられる感覚を感じながら、どうにか言葉を絞り出した。混乱して何を言っているのか分からない。
「驚いた?」
 いつものように言うメグ。
 でも、明らかに前とは違う。数日会わなかっただけなのに別人のようだ。
 覇気がまるで無いし、目元の隈のせいで太陽のような笑顔は陰って見える。
 メグは寝た体勢のまま、鉛でも付けられてるのかと思うほど重たそうにゆっくり右手を上げて、私を手招きした。
 まるで傀儡師に操られているかのように、私は自分の意思とは関係なしに一歩だけ部屋に足を踏み入れていた。
「死んじゃうの……?」
「見てわかる通りだよ。私、病気で死ぬんだ。中学生の時にね、病院で言われたの。高校卒業まで生きられるか分からないって」
 メグが言ったことは、つまり余命宣告だ。
 言葉の意味は知っていたし、頭では理解できた。
 でも、突然の告白に感情が追いつかない。
 頭と体がチグハグなことによって、私は思考停止に陥る。
 本当にここは現実なんだろうか。何か悪い夢でも見ているんじゃないだろうか。
 何度、受け入れることを拒否しても、悪夢のような現実が続いているだけだった。
「まさか夏までとは思わなかった。高校卒業まであと少しだったのになぁ」
 メグの顔には悲壮感も、未練も全くと言っていいほどなかった。
 私は聞かずとも察してしまった。
 メグは、死を受け入れている。
「治療方法は、ないの……?」
「無いね。けど、延命方法はあるから待つことはできる」
「しないの?」
「私はそこまでするつもりはない」
 頑ななメグの意志は曲がることはない。
「……ど、どうして?」
「リンは、もうじき死ぬ私の気持ちを分かってくれるの?」
 その姿が恐ろしく、一歩後ずさる。それを皮切りに、駆け足でメグの家を出ていた。
 私は逃げ出した。
 どこまで走っても夢は覚めなくて、でも体は受け入れられない現実にふわふわしていて、地に足がつかない夢心地のままだ。
 息苦しくなって、私は遅れて自分が限界まで走り続けていたことに気がついた。
 心臓の鼓動がうるさい。呼吸が苦しい。吸っても吐いても苦しいままだ。
 それでも私は生きていた。それだけが分かった。
 
 ∞ ∞ ∞
 

 5.
 
 私の体は生きている。
 心臓は規則正しく動いているし、呼吸だってしている。食事も三食摂るし、夜になったら眠っている。
 メグの未来を知っても、私の生活は何も変わらなかった。
 私はもう何日も学校を休んでいる。
 休んで、何も知らないフリをした。
 きっとメグの悪戯で、嘘だったんだと何度も言い聞かせる。そんなことしても、メグの容態は良くならないのに。
 カーテンの締め切られた薄暗い室内で、私はぼーっとする。
 何をする気力も湧かない。外に出る気も起きない。
 この現実を受け止められない。
 私には、リンを説得するなんて役割は無理だった。
 きっと、この時間にもメグは衰弱しているのだろう。ふと、そんなことが頭によぎった。
 疲れ切った私は、何も考えることができない。
 家のインターホンが鳴って、部屋の窓から外を見た。
 風間くんと笠原だ。
 のっそりと起き上がって玄関を開けると、夏の暑い空気がムワッと私を襲った。
「……どうして?」
 何も言えないと思っていた私だけど、口から出ていたのは率直な疑問だった。
「笠原と風間くんは幼馴染でしょ? 私なんかより二人の言葉の方が届くよ」
 視界が滲む。声が震える。
 私の心が、メグを説得するという重圧に耐えきれず悲鳴をあげている。
 それは弱々しい言葉となって現れた。
 ただの責任転嫁だ。弱い私には、もうこの手段しか残されていない。
「俺らの言葉じゃ、メグには届かない」
 風間くんは言った。
「もう何度も説得してんだ。だが、リンは聞く耳を持たねえ」
 風間くんと笠原は、暗に逃げないで欲しいと言っている。
「無理だよ……」
「そんなこと……」
「無理なんだよ! 暗くて、陰気で、自分の意見を言えなくて、人と関わってこなかった私なんかに出来っこないんだよ! ようやく追い詰められて出てきたこの気持ちも、不明瞭で、ボロボロなんだよ!? それだけ長いこと他人との関わりを避けてきたんだから、私なんかにできるわけないでしょ!!」
 心の防波堤が崩れ、堰を失った感情が溢れていく。
 それを処理できる上手さを持たない私は、その場にしゃがんで泣きじゃくった。
 風間くんが気遣う息を吐いたのが聞こえる。それを止める笠原の声が聞こえる。
「どうして……? どうして私なの? こんなの、無理だよ……」
 たくさんの涙に溺れて、私という人間が、なぜこんなにも臆病なのか考えた。
 
 ∞ ∞ ∞
 
 私は、転校続きで、作った友達とはすぐに離れ離れになって疎遠になった。
 仲良しだった子から連絡が来たことはなかった。
 何度友達を作っても、私から離れてしまう。
 なら、いっそのこと友人なんていらない。
 いらない私は、ずっとひとりでいい。
 そう決心した。
 小学校低学年までは明るい子だと言われていた私は、途端に根暗になった。
 人はキッカケひとつで変わってしまうものなのだ。
 学校へ行っても誰とも話さないし、関わりを持たない。
 みんなだって、いなくなる私と関わるよりも友達との仲を深めた方が有益だろう。
 そう思っていた矢先、何度目かの転校で転機が訪れた。中学のときだった。
 親友ができた。
 その子の名前は知らない。
 放課後にゲームセンターに行って、姿を見つけたら声をかけて遊ぶ。その程度の仲だった。
 学校が息苦しく、当時はサボるという手段を知らなかった私は、その時間だけが拠り所だった。
「あのさ」
 喧騒の店内で、いつも通り対戦ゲームで遊んでいた私達。
 その子は、私を呼んだ。
「なに?」
「いい加減、名前教えてくれないかな?」
「あんただって教えてくれないんだからお互い様じゃない? それに、今更野暮だと思う」
 思えば、私はずっと無愛想でぶっきらぼうだ。
「たしかに!」
 その子は私の小さな反抗に、大口を開けて手を叩きながら爆笑した。
「そんなに笑うこと?」
「だっておもしろいんだもんっ!」
 まだ、あははと笑っているし……。悪い気はしないけどさ。
「私たちってさ、不思議な出会いだよね」
「ゲーセンで暇つぶしてたら出会っただけのありきたりな出会いでしょ」
「うわぁ。辛辣だねぇ」
「取り繕いまくった上辺だけのお世辞の方が好み?」
「それはナシ」
 時間を確認すると、中学生にしては遅い時間だ。
「帰る?」
「そうだね」
「そっか……」
 続けようとした言葉は、私の口から出なかった。
 不安な顔をしていたのか、その子は何かを察した。
「私たちは輪っかみたいに繋がりあった存在なんだから大丈夫だよ」
 きっと、私が不安に思っていたことを、なんとなく気づいていたのだろう。
「また会えたね」
 その子は最後に決まってそう言うのだ。何故かそのことだけは覚えている。
「別れ際に言うことじゃないでしょ」
 私はいつも茶化していた。
 けど、ほんとは私も言いたかった。
 ──また会えたね。
 私は、自分の気持ちを伝えることが最後までできなかった。
 その子は突然いなくなった。
 理由は分からない。
 元々名前すらも知らない偶然の出会いによって繋がった関係だ。連絡先を知る由もなかった。
 それでも一つだけわかることがある。
 私みたいな人間と一緒にいるのは、きっと退屈で、離れてしまいたくなったのだろう。
 だから、私はより深く孤独を選んだんだった。
 メグだってその子と同じで、結局私から離れていくんだ。
 
 ∞ ∞ ∞
 
 涙の海から意識が浮上し、現実に帰ってきた私は、顔を上げた。
 変わらず笠原と風間くんが立っている。
 夜に移ろいつつある夏の夕の空が見える。
 メグは私の言ったことを拒絶して、固い意志を曲げることはしなかった。
 大切に思ってくれている母親がいても、絆で結ばれた幼馴染の笠原と風間くんがいても変わらなかった絶対的な意志だ。私なんかの言うことで変わるはずがない。
 延命をせず、死を選ぶという冷たい選択。
 それがメグなりの幸福な選択なんだろう。
 それを他人ごときが口だしして捻じ曲げるなんてこと、してもいいのだろうか。
 他人が出来ることなんてたかが知れているのに応援の言葉だけ投げかけて、あとは本人の努力を祈るだけなのだから、それが出来る人はひとでなしだ。
 メグの母親も、笠原も、風間くんも、本当は説得なんてしてないんじゃないの?
 責任から逃れたいがために私に押し付けてるだけなんじゃないの?
 こんなことを考えてしまうのだから、本当に私は捻くれていて、それでいて嫌な人間だ。
 私にはメグを説得するなんて無理だ。
「私が死ねばよかったのに」
 長い思考の波に揉まれていた私の息が吐かれた拍子に言葉がこぼれた。
「ふざけるな」
 普段からガサツで、気遣いのカケラもない癖に、本気で怒りを露わにすることなんて滅多にしない笠原が、私の肩を掴んでいた。
「そんなこと許せねえよ!」
 笠原は怒っている。何故か冷めた頭が、現実を正常に認識し、分析していた。
 ……あぁ、こんな性格だから私の元からみんな離れてしまうんだな。
 でも、その方がみんな幸せだと思うよ。
 こんな嫌な人間と関わらない方がいいよ。
 諦めが通り過ぎ、私の瞳から感情が消え失せた。
 肩強く掴みすぎだよ。痛いよ。
 振り払おうとした手を、笠原は掴んだ。
 衝撃が、私を襲った。
「俺はお前が必要なんだよ」
 真っ直ぐに見つめてくる笠原。手首はガッチリ掴まれている。
「……え?」
「俺だけじゃない。風間も、もちろんメグだって必要としてんだよ!」
 笠原は今にも泣き出しそうに両の瞳を揺らした。
「お前が死ぬなんて言うなよ。悲しいだろ……」
「笠原」
「んだよ。横槍入れんなよ」
「邪魔はしない。ただ、強く掴み過ぎだ。手を離せ」
 笠原は渋々手を離した。
 笠原から掴まれた手首は赤く跡がついている。
 脳が痛みを認識し、じんわりと体中に広がっていく。
 言葉の熱が浸透して、感情が戻ってくる。
「こんなどうしようもない私なのに、私のことが必要なの?」
 きっと、私は何かに縋る子供のような目をしているに違いない。
 それでも、その答えを聞きたかった。
 ああ。と短く笠原と風間くんが頷いた。
「俺らはお前のことが必要だ」
 二人のその言葉に、私の視界が晴れた。
「私はいらない子なんかじゃないの?」
 もう一度、同じように二人は頷く。
「母親の説得も、笠原と風間くんの説得も聞かないのに、どうして私の説得を聞いてくれるなんて思うの……?」
「メグは答えてくれなかったんだ。ただ、リンだけには教えるって言ってた」
 風間くんが言った。
「リンの心からの言葉なら、メグに届くかもしれないんだ。まだ、間に合うかもしれないんだ。……だから、頼む」
 
 ∞ ∞ ∞
 

 6.
 
 笠原と風間くんと別れた私は、メグの家の前までやってきた。
 いまだに覚悟は決まっていないし、足だって震えている。
 それでも、メグの気持ちを聞きたかった。
 どうしてそこまで頑なに死を選ぶのか。
 どうして私になら答えを教えてくれるのか。
 そして、その理由を知りたい。
 どうしようもなく自分勝手だ。
「あはは……」
 そう思ったら笑ってしまって、乾いた笑い声が出た。
 メグの母親に挨拶をして、部屋まで辿り着く。
 変わらず、メグはベッドの上にいた。
 まるであの日から時が止まっているような部屋だ。
 一つだけ変化しているのは、メグがあの日よりも衰弱しきっていることだけだった。
 視線一つを動かすのもやっとで、自力で息をするのも辛そうだ。
 触れたら崩れてしまいそうなメグに、質問をして答えさせるという残酷なことを、私は今からする。
「メグは死ぬの怖くないの?」
 私は声を震わせて言った。
「だって……。死って、存在が、消えるわけじゃないじゃん。……私がしてきたこと、伝えてきたこと、出会った人、みんなが、私のことを、覚えててくれたら……私は死んでもいいと思ってる」
 その答えは、夏休みの屋上で言った答えと寸分違わず同じだった。
「何それ……?」
 ぽとりと私は涙をこぼした。
「私は、リンとは違って、善人だから……。たくさんの人が覚えてくれるだろうからさ」
 メグは一点の曇りもなく、晴れやかな表情でそう言った。
 あの屋上でサボった日とは正反対だ。
 冗談のつもりなんだろうけど、今は笑えない。
「余命宣告で覚悟はしてたけど、まさか……私みたいな普通の女子高生が、死ぬなんてことになるなんてね」
 メグは力なく笑った。以前のような元気さはもうなかった。
 笑うのすら精一杯の気力を振り絞っているんだろう。
「死亡フラグだったね」
「笑えないよ……」
 二人とも静かに目を伏して、俯いた。
「私は死んじゃうけどさ、それでも、みんなの中に記憶として残るんだよ。いつか忘れられても……命は、輪廻するって言うから。また、どこかで天文学的確率でなら、会えるかもしれないよ?」
「そんなのオカルト話だよ」
「あはは……。そうかもね」
 もう、今のメグには以前のような明るさはない。弱々しい笑みを浮かべるのが精一杯のようだ。それだけするにも辛そうだった。
 私がメグにできることは何もない。一介の女子高生ができることなんてたかが知れている。
 物語の世界のように特別な力があるわけでもないし、莫大な富があるわけでもない。
 夏の夜空に見える小さな小さな星粒のように、ちっぽけな存在だ。
 そうだとしても、私はメグに聞きたいことがある。
「私に説得してほしいんじゃないの?」
「風間と、笠原から聞いた?」
 私が頷くと、メグはお節介だなぁと笑った。
「説得して欲しいわけじゃないよ。ただ、リンには聞いてほしいことがあるの」
 メグは大きく息を吸った。きっと長い話をするのだろう。
「私ね、中学の時に自殺しようと本気で思ってたんだ」
「それって、やっぱり病気のことがあったから?」
「そう。どうせ死ぬなら今すぐでもいいじゃんって思ったの。それで、ゲーセンで最後に豪遊でもしようかと、中学生さながらの幼い思考で豪遊してるときに、一人の女の子と出会ったんだ。病気のことで塞ぎ込みがちになってた私を、周りは腫物扱いして気を使う態度だった。ただ一人、その女の子だけは私と対等だった。それがどれだけ救いだったか。……まぁ、その子とも結局私が遠くの病院に通院することになって離れ離れになっちゃったんだけどね」
 そこでメグは咳き込んだ。大丈夫? の言葉をかけるのは私の役割ではない。大丈夫であってほしいと願うしかなかった。
 メグは、今、突然心臓が止まってもおかしくないくらい弱々しい。それでも私に伝えるために言葉を紡いだ。
「死ぬのはね、生きることで家族に迷惑をかけて、幼馴染の二人には心労を重ねさせることが嫌なんだ。そんな我儘なの。私はね、もう終わりにしたいの。みんな、私がいると辛いだろうからさ」
 メグは既に生きる気がない。
「リンは共感してくれるでしょ? 自分がいることで周りの人が辛い思いをしたり、つまらないと感じるかもしれないって気持ちを、さ」
 気持ちの重さは違えど、私もそう思っていたことは事実だ。
 でも、それは私の本心じゃないかもしれない。
 笠原と風間くんに必要だと言われた時。
 あの時、私は自分で自分のことを決めつけているのだと思った。
 レッテルを貼ることで、人を遠ざけて自分が傷つかないための言い訳にしていただけだったと気づいた。
 無愛想で、暗くて、陰気で、自分の意見を言えなくて、人と関わってこなかった私なんか。
 それは私が勝手に決めていたことだ。
 誰だって、言葉を伝えることはできる。必要なのは伝えたいというほんの少しの勇気だけだ。
 私は人と関わってこなかったから、今でも他人の気持ちがわからない。
 適切な言葉がわからない。私らしさとはなんなのか。メグに必要な言葉はなんなのか。
 メグは本当に死にたいのかもしれないし、死にたくないのかもしれない。
 ただ一つ分かることは、私はメグに伝えたいという気持ちだ。
 わからないのなら、土足で踏み込むだけだ。
 怒られても、嫌われても、メグが生きてくれるならそれでいい。
 私は思いの丈をそのままに吐き出す。不恰好でも不器用でも、感情を伝える。
「人の記憶に残るなら死んでもいいって本気で思ってるの?」
「うん」
「生きて」
「やだ」
「どうして?」
「死ぬって決めてるから。治療してもどうしようもないし、延命して待つだけの人生なんて私の性に合わないよ」
「嘘つき」
「そうかな?」
「……ほんとは、メグは、このまま生きたくないだけで、死にたいと思ってないんじゃないの?」
「……それは」
「親友でしょ? 迷惑くらい、かけてよ。心配させてよ。私にはメグが必要なんだよ」
 嗚咽混じりに私はメグに縋った。
 本当に私は気持ちを伝えるのが下手くそだ。
 でも、仕方ないじゃん。知らないんだから。
「お願いだから、生きてよ……」
「……ねぇ、リン」
 メグは突然私を呼んだ。
「手、握ってくれる?」
 急いで私はメグの手を握る。メグの瞳はどこも見ていない。焦点が現実に合っていない。
「メグ……?」
 不安で声が震えた。それはメグに届いていなかった。
「私はさ……」
「うん」
「みんなが辛そうな顔してるのが見たくないの。それを見てしまうと私が辛くなるから。ただでさえ病気で辛いのに、もっと辛くなるから」
「それでも……。メグには生きてほしい」
「我が儘、だね」
「そうだよ。私は我が儘なんだよ。メグには迷惑をかけてほしい。頼ってほしい。泣きたくなったら泣いてほしいし、愚痴をいくらでも言ってほしい」
「私は……」
「うん」
「寄りかかってもいいの、かな?」
「いいんだよ。何回だって、何度だって聞くよ。だから……。だからっ……!」
「たくさん迷惑かけるよ?」
「友達なんだから、何も気にしなくていいんだよ」
 そっか。とメグは納得をした。
「お母さん、呼んで……」
 メグは息も絶え絶えにそう言った。
 一分一秒も惜しい。叫んで、声を振り絞って何度も何度も呼んだ。
 すぐにメグのお母さんは部屋にやってきて、メグは自分の本当の意思を伝えた。
 
 ∞ ∞ ∞
 

 エピローグ
 
 病院の屋上で、私はメグの車椅子の車輪止めを止めた。
 4つの季節が何度か過ぎ去り、私たちは成人していた。
「ごめんね」
「何が?」
「……ううん。なんでもない。私がきっかけだったのかもしれないな、なんて思ってさ」
「私が塞ぎ込んだのはメグがいなくなったせいじゃないよ」
「そうなのかな?」
「うん。私のせいだよ」
「なんか、リン成長したね」
「人の死を止めるなんてことをしたんだから、その責任を背負い切れるくらいには強くなるよ」
 私は自分にレッテルを貼っていた。
 そのせいで人を遠ざけ、関係を持つことを避け、自分だけの世界という殻に引きこもっていた。
 でも、もう違う。
 笠原と風間くん。何よりはメグのおかげで、私は成長したのだと思う。
「あは。今度は自分に辛辣だ〜」
 リンはケタケタと笑った。
「それより、あいつ、うまく言えたんだね」
「これのこと?」
 メグは私の薬指にはまっている指輪を見ていた。
「そうそう。昔からいざという時に行動できなかったからさ。でも、よかった……」
「メグは自分から?」
 メグの左手の薬指にも指輪がはまっている。
「もちろん。せっかく生きたんだから、気持ちに正直にいようと思ってさ。あいつは俺の方が好きだっていうけど、私の方が好きだもんね」
「本当に嬉しそうな顔してるね」
「だって、嬉しいもん。小さな頃から好きだったんだよ? 念願叶ったって感じ!」
「ほら。生きてよかったでしょ?」
「……そうだね。生きてよかった」
 夏の青空はどこまでも澄んでいて、飛行機雲が真っ二つにしている。入道雲はもうなかった。蝉の鳴き声も聞こえない。
「リンが無愛想だったのは、自分が醜い人間だって思ってたから、そんな自分から他人を遠ざけて守るためだったんでしょ?」
「今思うとそうだったのかもしれない」
「もったいないことしてたよね。リンは美人さんなんだから」
「私はメグと違って勿体無いって思ってないし、後悔もしてないよ」
「そうなの?」
「あいつだけが私の魅力を知っててくれたらそれでいいからね」
「うわ〜。惚気た。珍しいね。でも、ちょっと嫉妬する」
「今スルーしたでしょ」
「なんのこと?」
「とぼけても無駄。死のうとした癖して、そのことを勿体無いって思ってたり、後悔してることだよ」
「あれは〜……。あはは。相変わらずリンの言葉はぐさっと刺さるなぁ……」
 メグは言い訳しようとして失敗して、笑って誤魔化した。
「でも……生きてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 メグは笑った。
 私が説得したあの日、メグは緊急入院した。
 生きれるか死んでしまうか、本当に瀬戸際だったらしい。
 奇跡的に一命は取り留めたものの、メグには障害が残った。
 今も入院してるし、継続してリハビリを行なっている。
 そのことを、メグは「ほんとに辛くてやめたくなるけど、生きる選択をしたんだから、私が頑張らないとね」と言う。
 現実とはこういうものだ、物語のようなどんでん返しは起こらないし、なるようにしかならない。
 生きるのはメグの努力だし、私たちができることなんて些細なことだけだ。
 それでも私たちはメグにできる限りのことをしてきた。
 お見舞いに来ては楽しく笑い合ったり、時には慰めたり、励ましたりした。
 遅れてやってきたスーツ姿の笠原と風間くんもたくさんメグに会いに来ていた。
 私の薬指には笠原がつけているものと同じ指輪がある。
 そして、メグと風間くんも一緒だ。
 これも繋がりのひとつ。
 
 ∞ ∞ ∞
 
 
「ねぇ、メグ」
 時間が経ち、私はメグを病室へ送り届け、帰り支度をしていた。
「なぁに?」
「また会えたね」
 私が言ったセリフに、メグは驚いた顔をした。
「うん。何度だって会えるよ。だって、私たちは輪っかみたいに繋がりあった存在なんだから」
 思いは輪廻のように巡り、巡る。
 私がメグからもらったものが私によってメグへ。メグからまた私へ。
 輪っかのように繋がりあって、私たちは支え合って生きている。
 
 おわり

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