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決めつけとか思い込み全て捨てたら、30越してピアノを始めることになった

昔から考えるより先に、やりたい事には手を伸ばす性格。
結婚も、子育ても、イラストレーターとしての独立も、わりと「エイヤっ!」と決めてきたタイプ。

1を10にするのは苦手だけど、0を1にするのには積極的。
そんな向こう見ずな性格な私にも「ずっと始めたいけど諦めていた事」がある。

それは、ピアノ。

ずっとコンプレックスであり憧れだった

私の子供時代といえば、女の子は大抵ピアノを習っていた。
彼女たちは「毎日練習するのがめんどくさいんだよね〜」なんて言いながら、休み時間に教室のオルガンを開いて、皆代わる代わるレッスン曲を披露してくれた。
照れ臭そうに、でも誇らしげに弾くその姿は、美しく優雅でまぶしかった。

一方、私はというと。
ピアノは習わせてもらえず、なぜか親の勧めで空手教室に週2で通っていた。
空手教室はとにかく先生が怖かったし、痛いし、寒い。
兄のお下がりのボロボロの道着を来て通う自分の姿は優雅とは程遠く、道場の行き帰りにお友達に鉢合わせないかヒヤヒヤしながら通っていた。

やりたいのにできない。できる子たちと自分との差。
長い間それをジリジリと感じていたせいで、抱いた憧れを手放すことができず中学に上がる頃には立派なピアノコンプレックスになっていた。

できないと決めつけて自分を縛った

そんなこんなで、ピアノコンプレックスを引きずったままこの歳まできてしまった私。
途中何度も始めてみようかと思った事はあったけど、世に言う「ピアノ○歳説(ピアノは小さい頃から習わなきゃダメという定説)」を盾にして「私にはもう遅かった」と言い訳に似た決めつけをしてきた。

さらに、「ピアノが弾けない」から「楽譜も読めない」。だから「他の楽器もできない」し、「音楽を趣味にすることができない」。

ピアノを言い訳に、それに紐付いたさらなる決めつけを重ねていった。
音楽は大好きなはずなのに、胸をはって言えない。それを全て「ピアノが弾けない」という事のせいにしていたのだ。

転機は娘のピアノ教室

時をこえて、32歳。
もう自分のことなどすっかり諦めていた私だが、4歳の娘に関しては今年からピアノ教室に通わせることにした。

別に娘にピアノを極めて欲しいなんて気持ちはさらさらないし、嫌なら途中でやめても構わない。
でももし将来音楽を楽しみたいと思った時に「ピアノが弾けない」「楽譜が読めない」ということでつまづいてしまわないように。
そんな気持ちでピアノ教室に通わせ始めたのだ。

「音楽は子供からスタートしなくてはいけない、子供の吸収力はすごい。」
こんな話を、これまで私は耳にタコができるくらい聞いてきたと思う。
今まではその言葉に絶望してきたけど、自分の娘のこととなればまだ未来は明るい。
娘もすごいスピードで弾けるようになっていくのかな!?と期待に胸を膨らませてピアノ教室の門を叩いた。

ところが蓋を開けてみると。そのスピードは驚くほどゆっくりだ。
中央の「ド」から始まり、リズム打ちを経て、やっと「レ」へ。
何週も何週もかけてじっくり、じーっくり進んでいく。
娘が特別遅いわけでもなく、最初はみんなこの速度だと先生は言う。

拍子抜けするほど、音楽の門出はゆっくりだった。
数ヶ月習った今でさえ、音楽らしい音楽なんてまだまだ弾けないし、なんなら後ろで聞いてる親の私の方が先に覚えてしまう。
「感覚」は子供には勝てないが、「理解力」は大人の方があるからだ。

そこで気がついたのだ。「あれ?私でもまだスタートできるんじゃない?」と。

決めつけた限界の続き

気づいたその日から、私はピアノをスタートした。
娘のために買った電子ピアノにヘッドホンを指し、毎日1時間でも30分でも座って練習することにした。

私の目標はピアニストでもないし、天才的な名曲を弾きこなす、でもない。
ただ、楽しく。ゆっくりでも、弾ける曲を増やしていきたい。
それは今からだって、十分叶えられる願いだ。

30を超えて始めたピアノは、思っていたより大変だ。
音階を弾くにも指はもつれるし、楽譜をみる目はシパシパするし、変なプライドが曲選びの邪魔をする。
でも、弾けるようになっていく楽しみは想像していたよりはるかに大きい。

毎日練習することで、だんだんと楽譜は読めるようになってきたし、聞き応えのある練習曲も弾けるようになったきた。
今はブルグミュラーという練習曲集を順番に練習している。小学校の時にお友達が、教室のオルガンで弾いていた曲だ。
その子たちは笑うかもしれない、大人なのにまだそんな簡単な曲にてこずっているの?って。しかも私の指使いはまだまだ優雅とは程遠い。

だけどピアノを始める前の私自身が聴いたら、いたく感動するに違いない。
だってあの日の私は自分はピアノができないと決めつけていたのだから。


まだまだたどたどしい指使いで聴いていてヒヤヒヤするような出来だけど、今日練習すれば明日は今より上手になっている。ちょっとずつ、でも確実に。
当たり前のことに感じるけど、大人になってからこんなに「目に見えて上達していく自分」と出会うのは難しい。

今出会っている新しい自分は、あの日無理だと決めつけて始めようともしなかった限界の向こう側にいる自分。
自分で言うのも変だけど、今ピアノに向かっている私は、きっと10歳の少女のようにキラキラしているに違いない。

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