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文化人類学人間になろう!―自己啓発、組織運営に効く文化人類学入門#2

第1章 文化人類学人間になろう!

 文化人類学とは何を考える学問なのでしょうか。

コンテンツとコンテクスト

 第1に、コンテクストを考えます。こうなります。

  中身(content)→何を伝えるか、概念、商品、作品
  文脈(context)→どう伝えるか、文化人類学

 何を伝えるのか、何を共有してもらうのか。

 もちろん中身は重要です。これがなければ、人を騙すことになりかねません。

 それと同時に、どう伝えるも重要です。

 ものを伝えよう、ものを共有しようとして、問題が起きたとします。

 まず、中身がどうだったのかを点検するでしょう。本当のニーズに合うものだったのか。改善の余地があれば、さらによいものにします。

 しかし、これだけではうまく行かない場合があります。

 実際に起きるさまざまな問題をどう理解し、どう対処するか。そのときには、コンテクストを考える必要があります。

 コンテクストを考えなければ、こちらから鉄砲を撃っているだけの独りよがりになります。

 コンテクストを考えないときに忘れられているのは受け手です。仲間でありユーザーです。

 文化人類学の用語で、「受け手志向」(receptor-oriented)という言い方があります。

 コンテクストを考えると、目線は自然に伝え手から受け手に移動します。

  ヒント 受け手志向は受け手が嬉しい。ものごとも進む。

現実目線でものを見る

 第2に、人間のありのままに焦点を合わせます。人間の現実を直視することからスタートします。これを、行動科学といいます。

 人間の世界には「~べき」の発想があります。

 人間はこう生きるべき、人間はこうあるべき、道徳や宗教はこの命題を提示する機能を果たします。

 ところがもう一つ、「~である」の発想があります。

 社会は「~べき」を求めてきます。

 うちの学校で学ぶには、○○点以上をとっている「べき」。これは入学試験です。

 うちの会社で働くには、これくらいは貢献してくれる「べき」。その「べき」をクリアすることで報酬を手にすることができます。

 ところが人間は、「~べき」だけで生きているといつか窒息します。心が悲鳴を上げます。

 いつ頃からか、「ありのまま」を大切にするようになりました。人間は、「~である」がなければ生きられないのです。

  ヒント 生活のどこかで、「ありのまま」の自分を生きる。

人間の普遍性を探る

 第3に、人間の行動の一般化を試みます。

 ヒトと呼ばれる生物は一種類ですが、かなり多様性があります。その中から、ヒトはどのような普遍的特色を持っているかを探り出します。

 たとえば、自己実現は西洋的発想では良いこととされています。

 日本文化も、西洋的発想をかなり取り入れていますので、自己実現を悪いこととは思いません。

 しかし、果たしてそうなのかは考える余地があります。

 10代の反抗期は民族を越えて普遍的と言えるでしょうか。

 エディプス・コンプレックスは、あらゆる民族に共通して見られる普遍的な現象といえるでしょうか。

 こういったことは必ずしも人間に共通の普遍的特徴ではないようです。

 自分のコミュニティーの中では普遍的と思っていることが案外違っていたりします。

 文化人類学的視点を学ぶと、自分の考えや体験を絶対的・普遍的なものと思わないで済みます。

  ヒント 自分の考えや体験を相対化できるのは成長

コミュニケーションについて考える

 第4に、コミュニケーションとは何かを扱います。

 キチンと伝えないままに、「わかれよ」と言っても仕方ありません。

 わたしたちはことばを使ってコミュニケーションします。ことばが異なれば、ほとんどコミュニケーションは成立しません。

 ところで、ことばが果たしている割合は8パーセント程度。37パーセントが声のトーン、55パーセントがボディ・ランゲージだそうです。

 どうしたらものは伝わるのでしょうか。

 コミュニケーションは相手の現実を見なければ成り立ちません。受け手に焦点を合わせる作業です。まさに受け手志向です。

 文化人類学は受け手をどのように見たらよいかを教えてくれます。

  ヒント コミュニケーションは相手の立場に立つ作業

意味と形態を区別する

 第5に、「形態と意味を区別する」ことで現象を理解しようとします この2つを分けて考える考え方を「意味・形態論」と呼びます。

 人間の行動には、必ず意味と形態があります。

 間もなく東京オリパラが開催されます。聖火ランナーが全国を走り、聖火を繋いでいます。

 聖火ランナーとして走る、これは形態です。そこには必ず意味があります。可能性として、どういう意味が考えられるでしょうか。

 たとえば、50年ぶりのイベントに参加する高揚感を味わいたい。これは、聖火ランナーにとって大切な意味です。

 人から注目されたい、これも聖火ランナーとして走る意味です。

 その他、身近なところで起きていることも、全部同じパターンで理解できます。

 形態と意味を区別して観察する。少しやってみてください。
  形態 →具体的に起きていること
  意味 →なぜそのことをしているのか

 これだけで、それまで見えていなかったことが見えてきます。

 1つのコミュニティーで問題が起きたとします。なぜこのようなことが起きたのか。そこで、形態と意味を確認します。
  形態 →具体的に起きていること
  意味 →本来、この意味でやっていたと想定できること

 問題が起きるときには、本来の意味が何かにすり替わっていたり、意味そのものが失われていたりします。

  ヒント 意味と形態を区別できると何かが見えてくる。

相手と自分を理解する

 第6に、ものを伝えるときの相手について、さらにはものを伝えようとしている自分について、理解を深めることができます。

 人間そのものにアプローチするという発想で考えるため、これをが可能になります。

 自分を知らずに、何かを人に伝えることはできません。

 相手がわからず、自分がわからなければ、自分の考えは絶対的だと思い込みやすくなります。問題が起きるときは、自分の考えを絶対化していることが少なくありません。

 実はそうではありません。自分も相対的な、文化の申し子に過ぎません。

  ヒント ものを伝えるときには自分を知る必要がある。

文化人類学に助けられた!

 若い頃は、自分の属しているコミュニティーの文化が理解できず、何度か失敗しました。

 今思えば、それも当然です。文化を無視すると、無視された側は「引っかきまわされた感」を味わいます。

 文化を理解することで、自分の考え方や人生観が絶対的なものではなく、むしろ批判され、修正されてゆくべき相対的なものに過ぎないという考えを持つことができます。

 これは人間としての成長につながって行きます。

 意味と形態をわけて考える文化人類学的視点は助けになりました。

  ヒント 文化人類学人間、なって損はない。

続く ―次回は、文化とは何かについて書きます。

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