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文化はこんなふうに機能する―自己啓発、組織運営に効く文化人類学入門#4

 文化の基礎編、第2弾です。文化の性質に焦点をあてます。

文化は適応している

  第1に、文化は、ある特定の条件のもとで適応しています。

 「ある条件のもとで」

です。条件が実情に合わなくなると、文化は不適応を起こします。

 過去にだけ適応できた文化がありました。しかし文化は、条件が変わると適応できなくなり、適応できなくなると普通は消滅します。

 たとえば、かつて飲み会は、日本というコミュニティーの中で文化として機能していました。

 ところが、最近は機能しなりつつあるようです。文化的不適応を起こしているということです。

 文化は不適応を起こすと自然淘汰され、いつの間にか消えてしまいます。

不適応をおこしながら生き延びる例

 ところが、不適応を起こしながら消滅しない場合があります。

 不適応を起こしているのに消滅しないためには、それを共有し続けるだけの大義が必要です。理由があると、不適応を起こしながらいつまでもやり続けます。

 たとえば、上司がやるように強制した場合。部下や構成員は、なんでこんなことやるんだろうと疑問を感じながらやり続けます。

 もう一つ厄介なのが、哲学や宗教です。文化的不適応を起こしているにもかかわらず、いつまでも継続します。

 宗教に関することをやめるには、それなりの勇気が要ります。

 やめてしまったら御利益がなくなるのではないかとか、バチがあたるのではないかなど、恐れの気持ちが喚起されるからです。

  ヒント 文化的不適応はよくない。組織は疲弊する。要チェック。

文化は統合している

 第2に、文化は統合しています。

 文化人類学では、社会構造には3つの要素があると考えます。そしてこの3つがバランスを保っていれば、つまり統合していれば、その文化は存続します。図をご覧ください。

 この三つがバランスを失うと社会は崩壊します。

 歴史上、この三つがバランスを失い、国家やコミュニティーが崩壊した例はいくつもありました。

 あなたは今の日本をどのように評価しますか。ご自分が属しているコミュニティーをどのように評価しますか。バランスが取れているでしょうか。

  ヒント 3つのバランスが崩れるとコミュニティーは立ち行かない。

 私見ですが、今の日本は、文化人類学的には、あまりよい方向に向かって進んでいないように思います。

 イデオロギーは嫌われ、人間関係が希薄になってきています。その割に、経済と技術だけが突出しています。

理想的文化パターンと実際的文化パターン

 第3に、文化には理想的文化パターンと実際的文化パターンがあります。これは非常に重要な概念です。

 理想的文化パターンとは、価値、信念、意識下に隠されたものを指します。実際的文化パターンとは、観察できる行動を指します。

 どの社会、文化にも、メンバーの大多数が正しいと認識する理想的文化パターンがあります。

実際的文化パターンの例

 一例を挙げます。一般道を時速70キロで走るとします。法定速度が60キロなので、明らかにスピード違反です。ここで質問です。

Q 法定速度が60キロのところを、時速70キロで運転しました。どういう展開が予想されますか。

Q 今度は、法定速度が60キロのところを、時速120キロで運転しました。どういう展開が予想されますか。

 時速70キロは、法律違反であるにもかかわらず検挙されません。

 ところが、時速120キロは、見つかれば検挙されます。

 「10キロまではいいの。でもね、20キロオーバーはだめなのよ」とおまわりさんに言われたという話しを聞いたことがあります。

 なぜ時速70キロだと検挙されないのでしょうか。

 この場合、法定速度60キロは理想的文化パターン、時速70キロは実際的文化パターンであると考えることが可能です。そして図にあるように、実際的文化パターンの端が限界点になります。

 時速120キロは限界点の外なので、社会がダメと言ってきます。いわゆる社会的制裁です。

 このように、理想的文化パターンと実際的文化パターンは一致しません。

息苦しい組織のワケ

 もし社会が、理想的文化パターンと実際的文化パターンを一致させたら、ものすごく息苦しい社会になり、いずれその社会は崩壊します。

 人間の心理は微妙で、あまりにはずれた人がいると困るので、ルールで一定の規律を保ちたいと考えます。それでありながら、同時に、寸分違わずルール通りにしたいとは思っていません。

 ものすごく息苦しい社会や組織になってしまって、それでも組織を維持しようと思ったら、残された可能性は一つ、強制力しかありません。

 問題は、その強制力をどこから持ってくるかです。大義が必要になります。一般的には社会的正義やイデオロギーが持ち出されます。

  ヒント 実際的文化パターンはゆるいくらいがよい。全体が活きる。

「遊び」のないコミュニティー

 わたしたちの実際生活はどうでしょうか。

 思春期、中学生くらいの精神構造は、いわゆる「遊び」の部分がありません。潔癖さを大人に要求します。

 しかし成長してくると遊びの部分が出てきて、少しぐらいいい加減でもそれもいいか、などと思えるようになります。

 おじさんになると、清濁併せ呑むみたいな社会の中で生き延びます。それも人間が成長できるギリギリの線、限界点であると見ることもできます。

 家族に理想的文化パターンを押しつける人は、家族というコミュニティーでは生きて行けません。

 物理的に追い出されないにしても、心理的には追放されます。

文化は常に変化している

 第4に、文化は常に変化しています。

 たとえば、車を運転するとき、ハザートランプを使います。

 もともとハザードランプは、どういう場面で使うものだったでしょうか。

 緊急の場面で、道端に車をとめているときなどに使いました。ですから、ハザードでした。

 ところが今は、車線変更して入れてくれたとき、「ありがとう」の意味で使います。これは文化が変化したことを意味しています。

 文化は固定化すると不適応を起こし、社会はギクシャクします。

 文化は変化するのが当たり前と考えて、それを止めないようにするほうが社会や組織は存続します。変えてよいものは変えたほうが健康的です。

  ヒント 変えたほうがよいものは変えたほうが組織はイキイキする。

 続く ―次回は、文化人類学のキモの概念について書きます。


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