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子供の「主体性」を育てる

4月から学級がスタートして1ヶ月が経った。

今日(5月7日金曜)に改めて気づいたこと。

子供たちが生き生きと主体的に授業を受けていることだった。

「この問題の式を書いてみて」「書けたら手をあげてね。○をつけにいくから」「○○さん、答えてみて」

このような一連のやり取りのあと、2名の児童が

「先生、僕に当てて。絶対答えたい!!」

というのだ。これまで、指名されると、「・・・」(無言)または、小さな声で怪訝そうに答えていた子供たちが!!

いったいどうしたのだろう????

分析① 答えに自信があった

分析② 私との信頼関係が構築できつつある

分析③ 表現することが楽しくなった(自己表現)

分析④ 学級が居心地の良い場所になりつつある

私が考えた要因は4つ。そのうち、③④の効果が一番大きいのではないか!という見立て。もちろん①②も影響しているのだとは思うけれど、学級が居心地が良くなり、間違ってもいい雰囲気が生まれ、表現することが楽しくなってきたのだろう。

では、私はいったい何をしてきたのだろう?

ここ1ヶ月、私がやってきたことは、とにかく子供たちに「言葉のシャワーをかけ続けること」頑張っている人をバカにしてはいけない、間違ったことを笑ってはいけない、相手が嫌がることはしてはいけない。一方で、認めることもたくさんしてきた。「○○さんは、こんな考えを出したんだね」「いい考えだと思うよ」「大丈夫!勇気出して」「間違ったって平気。だってわからないから学校に来てるんでしょ。」

この1ヶ月、子供を叱ったことは一度もない。叱らずに、良い行動をしている児童を見つけ、すかさずできていることを価値付けをする。

事例1: Bくんの清掃用具を準備して待っていたAさん(ふと、Aさんを見るとモップを2つ持っている。わけを聞くと給食当番で遅いBくんのまで準備していたとのこと。 Bくんが持っているようにお願いしていたのかと聞くと、違うという)

「えらいね。 Bくんの清掃用具まで準備してくれたんだね」(認める)「Bくん、Aさんにお礼をいって!あなたのために準備してくれたんだよ」(相手へ知らせる)「今日Bくんの清掃用具をAさんが準備して待っていてくれました。誰かのことを思いやって行動できるって素敵だよね」(全体への価値付けと共有)

事例2:1年生を迎える会でどうしても小学生あるあるのコントをしたいと希望した女子数名。

あるあるコントの動画を子供達に見せる時に・・・「今回は女子数名が1年生を楽しませるためにどうしてもやりたいと言って、頑張ってくれました。そんな頑張っている女子を、バカにしたり、おもしろくない、など言うようなことは絶対にしてはいけません。だって誰かのために一生懸命に頑張っている人をバカにするなんって許されることではないですよね。」

おそらく、何も言わずに動画をみた時には、「こんなのやってる」「恥ずかしい」などの言葉が挙がっていただろう(思い当たる子が数名いる)

なのでその前に、先手を打つ。

こんなことを日々積み重ねてきた。これは、まさに「教育的瞬間」なのだろう。「教育的瞬間」を見逃さずに、子供の良い行動を褒め、価値付けし、共有する。

このような地道な積み重ねが、子供の「主体性」を作っているのかもしれない。

「子供が主体的にならないんです」とよく先生方から話を聞く。では子供を主体的にするために、あなたはどんな手を打っていますか?

私は「教育的瞬間」を見逃さず、陰で頑張っている子を褒める、認める、そして価値付けして共有する。これを意識して行っている。

私は自分の実践を振り返って、こんなことを意識して行っているのだと改めて感じる。学級経営はやっぱり楽しい。目の前の子供たちがどんどん変わっていく。自分の方向付けひとつで、どんどんと成長していくのだ。

昨日の子供たちの姿を見て実感した。全員に(発達に凸凹がある児童を除いて)ノートを書いてと指示しなくても、めあてや問題が書ける、ランダムに指名しても前に出て、式の説明ができる、そしてどうしても発表がしたいと声をあげる児童。

これまでこのような姿はいっさい見られなかったのだ。

そう思うと、子供の主体性は、一気に育つものではなく、植物のように、種をまき、毎日丁寧に言葉のシャワーをかけ、育てていかなくてはならないものなのだと改めて感じている。

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