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ソフトボール部キャプテン


小さい頃から野球が好きだった。
何故なのかと言われると
好きな男の子が野球をしていたから。

その男の子は阪神ファンだった。
球団にこそ全く興味はなかったが、話のきっかけほしさに
当時の選手の応援歌を必至に覚えた。


でも家族はどちらかというと巨人ファンだった。
かといってテレビで見るほどでもなかった。


今でも思う。


必至に覚えたあの今岡の応援歌は一体いつ歌えばよかったのだろうか。


うろ覚えの童謡ソングは
いつかの私の二世で使うかもしれない。

忘れかけた演歌も昭和歌謡曲も
スナックにいけば通用する

ただ、
生産終了した飲料水のCMや
中学の運動会で踊ったダサダサダンスに限って
身体と心が鮮明に覚えているものである。


無心で追いかけたジャニーズの
顔入り団扇とペンライトや

留年をかけた水銀の血圧測定は


今後私の人生のどこで活躍してくれるのだろうか。













そういえば、

私の通った高校には
女子ソフトボール部があった。

念願だった。

ずっと野球がやりたかった私は
迷うことなく入部した。


後から知ったのだが、
監督は県の高校ソフトボール界の中枢にいる超有力監督だったらしい。

だが、そもそも部員がいないので
監督がいる練習をあまり見たことがなかった。

新入部員は私と友人とマネージャーの3人。

2年生は0人
3年生が5人。
その内の2人はマネージャーだった。

選手5名
マネージャー3名

合計しても試合には出れない状況だった。


そんな部活といえば、
部室で先輩たちの女子の悩み、あるある、笑える日常話に燃え、
締めの数分でキャッチボールをするのが日課だった。


優しい先輩に囲まれ和気藹々とした楽しい部活生活だった




だって練習以前に
試合には出られないのだから。





ところが。


なんと
同級生の中にソフトボール経験者が何人かいたことがわかった。

監督の献身なオファーの末、
当日のみ兼部という形での契約が成立し、
3年生の引退試合に奇跡的に出ることができた。

兼部部員は
1年サッカー部マネージャー2人
1年書道部1人
1年帰宅部2人。


特に帰宅部の1人とは仲が良く、いつも一緒にいたのだが、
この友人はそもそも学校にあまり来ない。もう1人の帰宅部の友人も含め、体操服さえ持っているのか危うい。


サッカー部マネージャーの2人はザ・女子高生。メイクとお洒落に花咲く、清楚系女子だった。


書道部の子は論外。
何を言っても
え〜、はい〜。しか言わない。

いえば物静かすぎるやすこちゃん。

いつもおどおどもじもじしている姿が異様にイライラしてしまう。
驚く程コミュニケーションが取れない子だった。


スポーツをしている姿など想像もつかないメンツ陣。

正にルーキーズだった。






引退試合の数日前。

初顔合わせ。解散。

以上。







当日。

兼部部員とゲラゲラ笑いながら
遠足気分で試合に行った。


準備運動は勿論汗をかくのでしない。
日陰から絶対に出てこない先輩マネージャー達と
息子の試合を見にきた若いママ友のように、
井戸端会議をしながら試合を待った。


程なくして出番がきた私は、
箱の中から臭くないグローブを探した。

初心者の私はレフト。同じく初心者の同級生がライト。

私は野球を観ていたので何となくルールは分かっていたが、
見るのと出るのはまるで違う。


外野の練習などたった1回しかしていないので距離感も皆無。
当てずっぽうでボールを追いかけるのみの人員。


球が来ないことをこれほど願う日はなかったと思う。




結論をいうと、レフトとライト以外が爆裂に上手かった。



センターの先輩が外野全域を守るという偉業。

超豪速球ピッチャーの先輩と
それを確実にミットに収めるキャッチャーはサッカー部マネージャー。

帰宅部サードから帰宅部ファーストへボールが繋がる。

POPで陽気な優しい先輩の軽やかなショート捌き。
華麗な逆シングルに圧倒された。

あっという間にアウト3つ。




そして攻撃
打順が書道部にまわる。


おい、〇〇、大丈夫なんか?ハハハハ

ま、打ったらそれはそれでおもろいけどなー。ハハハハ




私たちは小馬鹿にして見送った。



今でも覚えている。

彼女は手前のサークルでお尻のポケットに入れていた真っ赤なマイグローブをキュッとはめ、
一礼をしてバッターボックスに入った。




初球打ち、センターマイン2ベースヒット。


隙のない走塁でアッサリ一点とって帰って来た。








何が起きたかも分からないまま書道部員とハイタッチをした。

高校生活史上1、度肝抜かれた瞬間だったと思う。


あの日から彼女を小馬鹿にしたことはない。
何回か書道の見学に行ったりもした。

あの試合後、私はすぐグローブを両親にねだり少し赤いグローブを買ってもらった。



試合は大接戦だった。
死闘の末、
私たちは一回戦で敗退し、
先輩たちは引退した。














実はその後、
監督のコネもあり
奇跡的にもう一度試合に出ることができた。
隠し兼部部員を2名追加して私たちは新人戦に挑んだ。

試合前日のノックで
一番肩がいいという理由から
キャッチャーを任された。


当日、
キャッチャーのヘルメットを逆に被ってしまい
1回表、相手チームから大爆笑を奪った。




投げ捨てる練習の前に
これの被り方を教えろ


と、監督に涙目でブチギレた




そのまま、コールド負けをした。


一生キャッチャーはしないと誓った










その後、兼部部員たちは
それぞれの部活へ戻っていった。

書道部の子に何度も頭を下げたが
ソフトボール部には入ってくれなかった。

そして蓋を開けると
部員は私とマネージャーだけになっていた。




監督は

お前は素質がある。

キャプテンをやれ。


と、言った。


























職員室で監督と笑い倒した。




















それから私は二日間ほどマネージャーとキャッチボールをした。

監督からの指示で
空にボールを投げて取る練習をした。

勿論ひとりで。

同じグラウンドでは野球部とサッカー部とハンドボール部が切磋琢磨している。
イキイキとした威勢が聞こえる。









青い空を見上げ、

白い雲を見つめ、




辞めよう


と思った。












こうして、
二日間ほどのキャプテン人生と
ソフトボール部の長い歴史は幕を閉じた。




それから大人になり
祖父母の影響で
巨人ファンになっていた。

繊細なルールは未だよく分かっていない。
選手の歌も知らない。

にわか野球ファンだ。



でもそのくらいでいい。

これからもあの時のように浅い人生でいい。
どうでもいい歌で頭の記憶を埋め尽くす程度でいい。

ぼーっとしていようが
せかせかしていようが

不覚にもいつか必ず

キャプテンになれてしまう日が来るのだから。


その時はどうか焦らないでほしい
恐らく、
目にも止まらないような同僚か
話にもならない先輩か
鬱陶しい後輩が
今後の大切なキーマンになる。


この想いは不屈だ。

oki

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