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どうでもいい話



中学の頃はブログやらHPやらが
やたら流行った。

エンジニアの如く暗号を解読し、
いじり、
横枠をつけたり
画像を組み込んだり、

今よりもよっぽど現代の社会人向きだった気がする。



高校はメンヘラブームだった。
死語かもしれないので慎むが、

あの頃は恐らく、
恋に悩んでいる=女子高生。

机の落書きで友人の日々の心情が手に取るように分かった。

猫も杓子も皆、加藤ミリヤと二人三脚で机の落書きから訴えかけていた。



因みにこの頃の私はというと
勝手ながら病気がちで
どちらかというと
病んでいたのではなく
大いに患っていた。

結局、青春のせの字も経験しないまま無事卒業を迎えることになった。





その後、
大学に行くという小細工で

家を飛び出した。

無茶苦茶だった。

光熱費に怯え、
うん○をする日が来るまでは
絶対に流さないというマイルールを作って
生活をした。
偉業を成し遂げた。

お陰で退去時の清掃は涙が出た。


恐れは多かった割に、
何度も徴収に訪れるNHKの人が
親身なのだと勘違いし
部屋に招き入れたことがある。

ある時は、
駅までのその道中で
真っ赤なオープンカーに乗った外国人に横付け停車され、

送っていくよ。

と、声をかけられた。

親切なひとっているんだな〜
なんて
ドアを開けた瞬間

猛烈な殺気を感た。

全速力で逃げたら
家の近くまで追いかけられたことがある。


あれから
夜道を歩くときは前後、右左、上下を不規則なタイミングで振り向く癖がついた。




そしてなにより
大学で出来た大切な友人と
ガールズバーの入店で揉めて
人生で初めて土下座をした。

私は生まれて初めて友人を一人失った。

色んなことが巻き起こり
大学に通う気力のその全てを失い
1年半で退学した。


お父さん、お母さんごめんなさい。






大学を辞めた秋、
私は20歳になった。

晴れて社会人になった。

この時はまだ知らない、

生きていれば徴収される、
お国の制度についてを…


何も知らされることなく、

一年後、20万近い年金の未払いに
恐れ慄く日が来た。

ただただ国を恨んだ。
年金という言葉は知っていたが
それがなんなのか
よくわかっていなかった。

そしてキャバクラ、ガールズバー、スナックのアルバイトを掛け持ちしていた私は確定申告が必要なのだと知った。

ただ、

水商売で現生受け取り且つ、
源氏名だけが書かれた給料明細は

何の申告に有効だったのだろう。

一体いつ使えばよかったのか。

浴衣イベントが嫌で当日飛んだ私に
源泉徴収をとってこいというのは
自殺も同然なのだと

誰が分かってくれただろう。



兎にも角にも

こういうクソッタレた
シュミレーションこそ
絶対に学校の授業で取り入れておくべきだ。


本当に本当にそう思う。














こうした数ある絶望と屈強を
何度も何度も乗り越えて(?)きたが

そんな日々を来る日も来る日も
涙ながらにノートとケータイのメモに書き起こしてきた。











勿論何の意味もないし
それで何も解決しない










でも何故か

唯一、


自分が自分でいられた空間だった



泣きながらも書いて
にやけながらも書いて
何のためにもならない日記を

毎日ではないが、
何かを思う度に
いや、特段何も思わない時も

ひたすら綴った




おかげさまで
ただただ長い長い夜を超えた文字が
今となっては
風が吹いた程度に感じられる

笑って思い出し
笑って忘れられる











幸せなことだ。

oki

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