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愛してるだとか恋だとか

鬱の調子が悪い期間は本当に体も脳も無能になってしまう。

不眠症が酷く明け方ごろに気絶する様に入眠し、それでも昼前には目が覚める。覚醒一発目から最低の気分なので目覚めたことを酷く呪う。
トイレへ行く為に起き上がるのも重苦しくて、風呂に入るなんてとんでもない重労働なのでついキャンセルしがちになる。
そんな自分の見窄らしさどうしようも無さに絶望する。思考はトロい上に突拍子もない。
自分が自分であることが嫌で嫌で仕方がない。全部とりあえず自分が悪いし、生きてること自体恨めしい。

かろうじて寝床から手の届く距離にアコースティックギターを立て掛けてあるが、石かヘドロのような体をベッドに横たえたまま爪弾こうにも意識が手元に集まらない。面白みも何もないアルペジオを数度繰り返してみたところでまた元の場所にギターを戻してしまう。
もはや生き甲斐であるはずの音楽にさえのめり込む体力、精神力すら今の俺には残ってないのかと更に死にたみが深くなる。

医者から治療が必要なレベルだと診断されたのは2022年の年末頃、妻と婚約する寸前だったと思う。だけど今の様な症状を実際に自覚し始めたのはぼんやり妻と交際し始めたばかりの頃まで遡る。
つまり妻は鬱じゃない俺をほとんど知らないということになるし、わざわざ結婚してまでこんな大荷物の世話を任されてしまったことになる。
現実的に、出会ってから現在まで俺はほぼただのお荷物だ。特に前職を退職して義実家に越してからは銭の一文も稼がない本物の穀潰しに成り下がった。その上気分の優れない時には八つ当たり紛いの愚痴を垂れ、それが不毛な衝突に繋がって後悔し、謝罪こそすれど更に自分自身を呪う結果になる。
その様な背景もあってつい自分は全く無価値な人間だという錯覚に捕らわれがちになる。
本当に妻には申し訳が立たない。なぜこんな男と結婚したんだろうかと毎晩心底不可思議に思う。
なぜ女として普通に幸せになる道を選ばなかったんだろうかと。妻も相当変な生き物なのだろう。

結婚とは俺にしてみれば、後にも先にも一回きりの奇跡だ。こんな終わってる人間が誰かに対し「生涯一緒に居て欲しい」という気持ちになることがまず奇跡だし、それを懇願し承諾を得ることもまさに奇跡だ。宝くじに当たったとか、無名ミュージシャンが突然大バズりしたとか、あるいはそれ以上の奇跡だ。
そんな大くじを引き当ててしまったもんだから一生分の運ももう当に尽きているんじゃなかろうか。
たらればの話だがもし妻と出会っていなければ俺は生涯結婚などとは程遠い人間だったであろうことは容易に想像できてしまう。
さながら保健所で売れ残った自傷癖のある不細工で無愛想な老犬といったところか。運良く慈悲深い飼い主に拾われた命だ。余生を悲観し過ぎるのはもうよせ。

さて、自分を卑下ばかりするのもつまらないし気分転換に関係のない話をしてみようか。

結婚や交際中の世のカップル達に対して思うことがある。
彼らの多くが、互いに顔が似ているということだ。
なんの因果かつがいになると心を決めたカップル達は得てして顔が似ている。これはほんと、不思議にも驚くほど多く散見されるしなんかしらの相関関係がある様に思えてならない。
生活を共にする中であらゆる感情や出来事を共有し、表情筋の使い方とタイミングが似通った末に顔が似てくるということならまだ頷けるが、不思議なことに中には骨格レベルで顔が似ているカップルさえ少なくない。
これは、人は元来自分に似た相手に親近感を抱く習性があるからではなかろうかと想像する。
もしそうだとすると、それは最低限の自己愛を持って生まれた人間に限られる話ではないだろうか。自分自身の長所も短所も受け入れた上で無意識的にやっぱり自分が可愛いし、そんな自分と似た相手に対して愛らしさを感じることの出来る人達なのではなかろうか。

自分を愛することに困難を抱える人間はどうなのだろう。
憎くて仕方がない自分、その自分に外見的内面的に酷似した相手を果たして俺は愛することができるのだろうか。むしろ同情と労りの念を抱くのだろうか。
外見的には似ても似つかない、愛と慈しみに深い妻と一緒になった俺がそれを解明するには、いつの日かまかり間違って自分自身に対して曇りの無い愛と慈しみを見出すこと以外に術は無いのだと思う。

あかん。今日はどない頑張っても文章が暗ぁなってもてかなんわ。ここらでお開きにしとかんとあかんな。

ともあれいつかこんな日々が報われる時が来ることをある意味前向きに楽観的に願ってる。
自分が社会的に価値の無い人間だと悟った経験が、いつか何かの形で生きていく糧になり得るんじゃないかと、半ば祈りみたいな希望を抱いて今日も眠る。
精神安定剤としてのブログだし、少しくらい前向きな言葉をうそぶいておいてもいいだろう。


P.S.
写真は先日義母が振る舞ってくれたサンデーロースト。
今回はローストビーフだ。
ヨークシャープディング(パンっぽいやつ)、カリカリに焼いたベイクドポテト、カリフラワーチーズ、柔らかく茹でたニンジンと芽キャベツを添えてある。
ビーフジュースで作ったグレービーソースをたっぷりかけて食う。
ホースラディッシュ(わさびの風味に似たカラシ)、イングリッシュマスタード、ミントソース(「ゆかり」ふりかけに似た爽やかな酸味と塩気のソース)で適宜味変をしながら食べると美味い。
その名の通り日曜日はローストを食うのが伝統。明らかに遅めのランチくらいの時間帯に食うのだが彼らは頑なにディナーだと言い張る。それにも何か文化的背景があるのかな。
日本で言うとなんだろなぁ。日曜の昼に親父が作るチャーハンが味濃くて美味い、みたいな感じかなぁ。
隔週くらいで義母がローストを作ってくれるけど見るからに労力の要る料理だし、今や同居して短くない俺のことを未だにゲストとしてもてなす為に無理して頻繁に作ってくれてるのではないかと要らぬ心配までしてしまう。
ともあれどうにも美味くてやめられんのだこれが。

日曜日のあれ

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