自分の大学受験を淡々と振り返る

高校2年の12月に志半ばで部活を引退した後は当然受験生である。その時のことを振り返りたいと思います。

因みに現役時代のセンターは88%、これで陸上で近畿入賞という実績もあるのですから「文武両道」といっても許されると思っています。実際、自分の高校時代をこのように実績だけで振り返るならば「文武両道」ですし都合のいいようにこの言葉は現実として使わせていただいております。

では実際どうだったかと言われたら文武両道とはかけ離れた生活です。

ぶっちゃけ「文武別道」といった方が正しいです。

そもそも高2の12月までの勉強は?

陸上競技1本に集中していた自分にとって勉強などというものは邪魔者以外何物でもなかった。

しかし超進学校といわれる高校に通っていたため例えば数学はⅢCが高校2年生で終わるような進度で進んでいました。

そんな中どのような学生生活を送っていたかというと
・授業は半分くらい真面目に受ける、半分は寝るか陸上のことを考える
・数学はなんとか理解していたが英語はチンプンカンプン。
・でも当てられるのが怖かったので予習はしてた(辞書片手に訳を作っていた)
・さすがに宿題は全部やっていた(割と宿題の少ない学校であったが)。
・定期テストは半夜漬け(1時くらいまで頑張ってあとは寝る)。大体1日1科目は暗記科目なので帰ってからノートをまとめてラインマーカー引いて寝る。それを翌日の電車の中で必死に覚える。数学や英語などの理解科目はテスト1週間前から課題とかに手を付けつつ何とかしのぐ。

このような状態でした。一応Z会の通信講座を取ったりしていた記憶もありますが全部やった記憶はないです。

当然学校の定期テストなんて科目によっては赤点すれすれでしたし順位は220人中180位位でしょうか。

世の高校生よりはるかに勉強していなかったつもりです、いや、でした。実際のところ世の高校生ってこれより勉強してない奴ら沢山いるようなので…

あと志望校は東大理1でした。なんでって?口論した親元を離れるためです。あと、何学部がいいかその時結局決められなかったのも理由の一つです。

高校2年12月~高校3年6月

とりあえず河合塾に入りました。高3からは数学は1番上のクラス、英語は上から2番目のクラスに入っていたと思います。

でも勉強していたかと言われたら怪しいです。

だって高3インターハイ、気になるやん。走りたいやん。諦めきれんやん。

勉強量は部活やっていた時よりは増えましたがそれほど多くはなかったはずです。

あ、あと英語の単語帳は速単とかシス単とか買っていましたが全部やった記憶はありません。途中で飽きてポイしてまたしばらくしたら1からやるみたいな感じです。これは受験生最後まで続きます。

高3になって数学の補習とかあったのでそれは真面目に受けていました。授業中に陸上のことを考えることはなかったと思います。

でも世にいう受験生よりは勉強していなかった自信があります。

因みにjogくらいはこのころはやっていました。週3で12㎞位走っていたかな。

高校3年7月~11月

さすがに県インターハイが終わると「もし続けていてもここで受験生モードになったんだ」ということで結構まじめに勉強していました。

成績は
英語はできない、数学はできる、物理化学はまだ未完成、地理は好きだからわりと頑張ってた、国語はノリとセンスなので不安定

夏休みは1日10時間くらい勉強していました。個人的にはこのころでやっと受験生を名乗れる勉強をしていたと思っています。

なぜか東大オープンで数学が大爆発してA判定取ったりしていましたが大体まだまだ東大に行くには実力不足、センター模試は78%あたりをさまよっていたと思います。

高校3年12月~現役の入試

12月とかだとセンタープレとかがあるんですけどそこで大爆死をして68%を取りました。その時になってやっと本気になったかな。多分センター過去問はパック模試含めて30回分はやったはず。

おかげでセンター本番は88%、東大2次試験は数学で大コケして20点差くらいで落ちました。

ちなみに併願校は無しです。東大1本勝負でした。

浪人時代

浪人時代は駿台に通っていました。駿台は前期(夏まで)で基礎を固め後期(秋以降)で応用力をつけるというカリキュラムだったので数学とかはぶっちゃけ前期は余裕でした。

ただひとつ決めていたことがあって、「自分は落ちた身、謙虚に授業は受けよう」と心に決めていました。だから予備校はすべての授業皆勤でしたし予習復習すべてやりました。

多分浪人時代にやったのって駿台のテキストの他は学校の数学の補習プリントと物理の授業プリントだけだと思います。

東大オープンとか実戦は全てA判定でしたし過去問の手ごたえも割とありました。センターは90%で行けるという自信はありました。

ただ流石に東大1本勝負というわけにはいかなかったので慶應理工学部だけは併願で受けました。じつはその時に数学大コケしましたが合格を東大受験日前日に確認してほっとして新幹線に乗ったのは覚えています。

東大入試は英語は相変わらず低かったですが物理が8割取れて他も最低限の点数を取ったので10点差くらいで受かりました。

まとめ

めちゃくちゃざっくり振り返るとこんな感じです。

いわゆる超進学校に通っていたのもあって受験勉強を開始する時点で最低限度の学習状況であったとは思いますが、本当の最低限度。英語とかずっと赤点ギリギリでしたからね。

中学受験で超進学校に入っただけあって地頭はよかったのだと思います。だからこの程度で東大に1浪でうかりました。

とりあえずわかってほしいことは部活と勉強をちゃんと両立したことなんてないです。中1~高2の12月までは部活、高3の6月~浪人までは勉強と別立させただけです。

ほかの部活とかしっかりやりながら東大とかに入った人が両立させていたのか別立させていたのかは実は気になったりしてますw

あと某塾がルートとかいって1年半くらいで東大行けるルート作っていますがあんなのできるの才能ある人だけですからね。1冊を完ぺきにって言うは易し行うは難しの典型なので。


次回は大学陸上編です。2回くらいにわけてお届けする予定です。

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