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今夜、初恋の君と何を話そう

僕たちは大人になった。

足の早いイケメンの背中を追いかけたあの頃。
冬の校庭に張った氷で滑って頭を打ったあの頃。
クラス中の男子が同じ女の子を好きだったあの頃。
図書館で分厚い本を借りて賢いフリをしていたあの頃。
ボールを探すフリをしてテニス部の女子を見ていたあの頃。
眉毛の手入れを覚えたら急に凛々しくなってしまったあの頃。
ワックスを買ったもののオールバックにしかできなかったあの頃。

そんな学生生活を送りながら、アダルトサイトのトップ画面で泣く泣く「いいえ」を選んでいた純粋な時期を乗り越えて。

気付けば僕たちは二十歳になった。

ただ一つ歳を重ねただけだというのに、急に大人になったような気がした。

「遊ぼうぜ」の掛け声は、いつの日か「飲もうぜ」へと変わった。
その掛け声が増えれば増えるほど、夜を過ごすたびに、僕たちの中に大人の成分が満たされていくようだった。

初めはみんな、フルーツを炭酸で割ったような飲み物ばかりだった。
「こんなのジュースだよ」が合言葉。
それを乗り越えた時、本当に大人の仲間入りをしたような気分になれた。

「とりあえずビール」
そう言うようになったのはいつからだろう。

あれだけ苦くて美味しくないと思っていたのに、いつの間にか黄金色の炭酸に魅力を感じるようになっていた。

気付けば僕たちは大人になった。

大人になったいま、子どもの頃を思い出す。
みんな、何をしているんだろう。

一緒に学校へ走ったアイツも、
自分より大きかったあの子も、
みんなの憧れだったアイツも、
もう胸が大きくなってたあの子も、
神社の裏でエロ本拾ったアイツも、

いま、どこで何をしているのだろう。

SNSを見れば、なんとなく繋がっていて、なんとなく様子が見れて。
気が向いたらコメントもするけれど、どこか遠くの、別の世界の様子を見ているような気もする。

そして、そこにも登場しない人。

初恋のあの子は。
成人式にも同窓会にも現れなかった彼女は。
いま何をしているのだろう。

小学校低学年の時だ。
初めて好きな女の子がいると自覚したのは。

まりこちゃん、という名前だった。
目がくりっと大きくて、肌が少し黒い子だった。
まだ世界が狭かった僕は、そんな見た目から彼女のことを外国人とかハーフだと思っていたけれど、彼女は違うと言った。

彼女は巨人ファンだった。
外人っぽかったし、巨人ファンだし、名前が「まりこ」だったから、外国人助っ人の名前を文字って僕は彼女のことを「マルちゃん」と呼んだ。

そんな呼び方をしているのは僕だけだった。

気持ちが裏返って好きな子をいじめるタイプでは無かったけど、いじるタイプだったみたいだ。

小さい頃の僕はふざけてばかりで、マルちゃんにちょっかいを出しながら、お調子者としてみんなと遊んでいた。

小学校の低学年だ。
恋愛なんて考えもないし、当然駆け引きみたいなこともない。

なんとなくかわいいと思っていて
なんとなく優しいと感じていて

それが初めての「好き」という感情だった。

学校で話したり、友達と一緒に家に遊びに行ったり。
同じ時間を過ごせば楽しかった。

それが好きということだった。

彼女のことを、クラスの男子みんなが好きだった。
なぜだか分からない。
不思議だ。

ただ、かわいかったんだと思う。
子どもの「好き」はシンプルだ。

1年生の時に好きになって、3年生の頃まで好きだった。

周りはみんな相変わらずマルちゃんのことが好きだった。
みんなでコソコソ「誰が好きなんだよ?」なんて話をすると、みんな彼女の名前を言った。

そんな様子を少しおかしく感じていた。
なんだ?みんな好きなの?
変なの。

マルちゃんのことを嫌いになったわけでもないし、彼女自身に理由があったわけではない。
だけど、僕は彼女を好きでいることをやめた。

「好き」をやめることができたなんて器用なもんだ。

ある日から、僕は好きな人を聞かれた時に誰の名前も答えなくなった。


いつから「好き」ではなく「普通」になったか分からないけれど。

小学3年の冬だった。
机に座っているとマルちゃんに声をかけられた。
いつもと少し雰囲気が違ったのを覚えている。

背の低い僕は、目の前に立つ彼女を不思議そうに見た。
そして、渡された。

「これ、学校で見ないでね。帰ってから、家で見てね」

一つの封筒を渡して、マルちゃんはすぐにどこかへ行った。

学校で見てはいけないもの。
家でないと見てはいけないもの。

何かとんでもないものを渡されたと思った。

僕は純粋だった。とてつもなく良い子だった。

何を受け取ったかも分からないくらい、すぐにその封筒を机の中にしまった。帰るまで誰にも見つからないように。

そのあとの授業をドキドキしながら過ごした。

そして全ての授業が終わり、その後の帰りの会が終わる。
みんながはしゃぎながら帰り支度をする中、誰にも見つからないように物凄い早さで封筒をランドセルに詰め込んだ。

周りは誰も気付いていない。
騒がしい教室の中でひとり、静かにランドセルを背負う。

クラスの中でもうるさい方の僕が、こんなに静かだったのはこの日が最初で最後だろう。

不思議とその日は遊びに誘われなかった。
じゃあね、とみんなに別れを告げて、家までの一本道を歩いた。

怪しまれないように走らずに。
だけれど、いつもの何倍も早足だったと思う。

家に着く。
両親は仕事だし、兄は学校で家には誰もいない。

いつもだったらリビングにランドセルを置くのに、すぐに自分の部屋へ持って行った。

学校で見てはいけないもの。
家でだったら見ても良いもの。

やっとその呪いが解ける。
僕はランドセルを開けると、ポケットをまさぐった。

僕の右手には、数時間前に渡された封筒があった。
かわいい封筒だった。
こんな可愛い封筒だとも気付かなかった。

封筒の表には、彼女の字で僕の名前が書かれていた。
裏には、彼女の名前が書かれていた。

裏に貼られたシールを剥がす。
僕は大切なシールを使えずに取っておくタイプなので、こんなに可愛いシールを使えるマルちゃんがすごいと思った。

ゆっくり封筒を開ける。

中には手紙が入っていた。
これも可愛い便箋だった。


手紙を貰ったのはこれが初めてだった。

今となってはあまり覚えていないけれど、その手紙にはこう書いてあった。

大久保ちゃんはいつも
ふざけているし、
うるさいし、
背も低いし、
あんまり男の子みたいじゃないけど。

なんだ、挑戦状か?そう思った。
手紙ってそういうものなの?

それでも僕は自分とは違う、柔らかくて優しい文字を一文字ずつ追いかけた。綺麗な色のペンで丁寧に綴られた文字たちを。

男の子みたいじゃないけど、
いつも明るくて、
みんなを笑わせてくれて、
やさしいよね。

気付けば褒められていた。
なんだか恥ずかしかった。

夕方の一人部屋でニヤニヤしていたと思う。
そして、最後にこう書かれていた。

わたしは、そんな大久保ちゃんが好きです。


女の子から初めて「好き」と伝えられた瞬間だった。

ラブレターだった。
僕の初めて受けた告白は、手紙だった。

何回も読み返した。
どう受け止めたら良いのか分からなくて。

少し前まで「好き」だった子から好きだと言われた。
だけど今は好きでは無いことになっている。

みんなが好きな女の子から、好きと言われた自分。
だけど、自分はもう好きではないことになっている。

嬉しいのか、そうじゃないのか。
よく分からなかった。

手紙には「返事をちょうだい」と書いてあった。
何を返せばいいのだろう。

よく分からないまま、僕は手紙を机の引き出しにしまった。

1週間。
手紙を受け取ってから、僕は何も無かったように過ごしていた。
普通に学校に行って、友達とふざけて。

マルちゃんと目が合って、すれ違うことはあった。
だけど、何も話さず、なんとなく距離を取っていた。

ただ、その時間もさすがに限界がきた。

「返事、いつでもいいからちょうだいね」

手紙を渡された時と同じように。
席に座っていた僕にマルちゃんが話しかけた。

少し怒っているような、いや泣きそうな、不安そうな、そんな表情だった。

どう返事をしたら良いか分からず、僕は頷いた。


その夜、寝る前に部屋の机に向かった。

マルちゃんがくれたような、可愛い封筒も便箋も持っていない。
お母さんに相談したら何か出してくれるのは分かっているけど、言いたくなかった。

結局、気持ちはよく分からない。
嬉しいけど、嬉しくないような。

何を伝えれば良いのだろう。

僕は、綺麗なノートを1枚切り取った。
どこかで誰かがくれた色ペンを手に取る。

気持ちの分からないまま僕は書いた。

ありがとう。
今は、好きな子はいないよ。

たったそれだけの返事だった。
もう少し書いていたかもしれないけれど、覚えているのはそれくらいだ。

次の日、休み時間にそれを渡した。

切り取ったノートを二つ折りにした、とても手紙とは言えない返事を。

それからしばらく、マルちゃんと僕が話すことは少なくなった。

小学生の恋なんて、あるような無いようなものなんだろう。少し時間が経つと、僕たちはなんとなく元通りの関係に戻っていた。
薄情なもので、気付けば僕は違う女の子を好きになっていたし、マルちゃんもどうだか分からない。

結局、マルちゃんとは6年間同じクラスだった。

そのまま小学校を卒業して、同じ中学へ進んだ。

中学生にもなると、恋愛というものが本格的になった。

マルちゃんはますます可愛くなった。
むしろ綺麗になっていった。

そして、いつの間にか同級生の彼氏ができていた。

悔しくも悲しくも切なくも無かった。
だけど、どこかハッキリと距離が生まれたような気がした。

6年間同じクラスだったのに、中学では一度も一緒にならなかった。
そして、会話もあまり多くなかった。

少ない会話の中で、音楽の話をした。
僕の好きなガールズバンド「ZONE」の話をすると、あまり聞いたことがないと言っていた。僕は、いつか貸してあげるよ、なんて返したのを覚えている。

そして、中学3年の3月。
卒業前に、マルちゃんへ手紙を書いた。

手紙といっても、茶封筒。
便箋ではなくルーズリーフだった。

手紙を出した理由は2つ。

1つは、マルちゃんのお兄さんが強豪校で高校野球をやっていたから。
僕も高校では硬式野球部に進むつもりだったので、練習法を間接的にでも聞きたかった。

ただ、それは建前。

2つ目の理由が本音だ。
マルちゃんに約束の音楽を渡そうと思った。

とはいえCDを貸しても返せないだろうから、当時出ていたZONEの全曲、A面のシングルをMDにまとめた。ルーズリーフにセットリストを書いて、同封する。

今考えると、若干気持ち悪い。
いや、当時も少しビビっていたのを覚えている。

卒業の2週間前に、封筒を渡した。
角2サイズの味気ない封筒へ、ルーズリーフとZONEのシングルを入れた白いMDを入れて。


1週間後。
マルちゃんが返事をくれた。

教室の入口で静かに、みんなに騒がれないようにコッソリと。
渡したサイズと同じ、角2の封筒をマルちゃんは僕に渡した。
だけど、白い封筒だった。

受け取った時、中に小さくて固いものが入っていることに気付いた。
間違いなくMDだった。

渡したMDがそのまま返ってくる。
さすがに、気持ち悪かったのかもしれない。

小学生の時の関係はもう僕らの間には無くなっていて、少しずつ違う道に進んでいくのだろうと、その時に察した。

自分の入れたMDがそのまま入っているかと思うと、さすがに苦しかった。
だけど、仕方ない。

「ありがとう」と伝え、僕は彼女の教室を後にした。

封筒を開けるのが憂鬱だった。
少なからず気持ちを込めたMDが、また自分の元に戻ってくるとは。

ただ、何か返事を書いてくれているかもしれない。
大きな封筒に貼られたセロハンテープを剥がし、中身を取り出した。

中には、マルちゃんのお兄さんが書いてくれた野球のアドバイス。
そして、マルちゃんからの手紙が入っていた。

最後に封筒の底に沈むMDを手探りで取り出す。
封筒から出てきた僕の手の中には、見覚えのない黄色く透明なMDがあった。

何が起きたのか理解ができない。

戸惑いながら、マルちゃんの手紙を読んだ。

お兄ちゃんに、野球のことを伝えたよ。
私じゃ分からないから、直接返事を書いてもらったから読んでね。

手紙とは別に入れられたルーズリーフを見ると、自分よりも大人びた文字で細かい返事が書かれていた。
わざわざ、お願いをしてくれたことが嬉しかった。

それから、MDありがとう。
たくさんうれしかった。
私の好きなゆずの曲をお返しするので、よかったら聞いてね。

まさかMDの返事が返ってくると思わなかった。

もう一度MDを見ると、表にシールが貼られ、マルちゃんの字で曲順が書かれていた。

1曲目は「夏色」だった。

小学校、中学校、9年間ありがとう。
野球頑張ってね!

MDの最後の曲は「アゲイン2」だった。


高校に入るとすっかり連絡が少なくなった。
携帯電話を持つようになり、多少メールはしていたものの実際に会うことは無かった。

一度だけ、彼女の高校に練習試合で行く予定だった。
しかしそれも雨が降り、中止になった。


中学卒業以降、僕たちが会うことは無かった。

そして、僕は大人になった。

もしも、いま彼女に会えたなら。
もしも、彼女と乾杯することができたなら。

彼女は何を飲むのだろうか。
僕はいつも通りビールを頼むのだろうか。

僕は何を話すだろう。
彼女は何を話してくれるだろう。

彼女の記憶の中に、僕はどう写っているのだろう。

恋愛とか、彼女とか、結婚とか。
そんなことはどうでもいい。

ただ、一つだけ伝えられたら嬉しいと思う。

初めての手紙をもらう少し前まで
僕は、君のことが好きだったということを。


今夜、初恋の君と何を話そう。


#また乾杯しよう

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