今宵、ギャルに髪を洗われ
ギャルが好きだ。
会ったことも触れたこともないが、ギャルという存在が気になっている。その文化の独自性。
「ゴーイングマイウェーイw」な感じがたまらない。たぶん、そんなこと言わないんだろうけど。
肌も黒いし、髪も明るいし、メイクも濃いめかもしれないけれど、実は素顔は可愛い系。
そんな夢を勝手に見ている。
今のギャルは肌が黒いのだろうか。清楚系ギャルなんて言葉もある。清楚系は果たしてギャルなのか。
思えば、ギャルの無い人生だった。
小・中・高・大と、比較的穏やかにまろやかに、周りにギャルのいない人生を過ごしてきた。
それっぽい女性はいたが、全てギャルもどき。
ちょっと化粧をそれらしくしてギャルを名乗りやがって。海賊版ギャル。あんなのは認めない。ギャルマインドが足りん。まぁ、あれはあれで嫌いじゃない。むしろ好きかもしれないけれど。
ギャル語を話したい。
僕自身ギャル男になるつもりはないけど、対等な関係で、地方出身の子が「つい君の前だと方言が出ちゃうんだず♪」くらいの距離感でギャルと話したい。
「あげみざわー」
「ナニソレ、草。むしろ草超えて花。そして森」
「つまらナイトプール(ぱしゃぱしゃ)」
「ありがとうございまさこー」
果たしてギャル語の使い方がこれで合っているのかは分からないが、とにかくそんな感じ。間違っていたら教えて欲しい、これを読むそこのギャルよ。
悲しい時は僕の胸の中で泣くがいい。
「ぴえん」
いつかそんな日が来ることを夢見ながら、32年の歳月を過ごしてきた。
もうそれなりの年だ。ギャルへの想いは墓場まで持っていくしかないのか、遺灰を109に撒いてくれと頼むしかないのか。
そう思っていた2020年3月。
僕はギャルに髪を洗われていた。
仕事帰りの恵比寿の美容室。そのお店には、いつも指名をせず飛び込みで通っている。僕の髪なんて誰が切ったって一緒なのだ。そんな考えで指名をしていなかった。
それが功を奏した。
ギャルだ。その日の担当はギャルだった。
言われるがままに椅子へ座らされる。目の前の鏡にうつっていたのは僕と、僕の後ろに立つギャルだけだった。
今は少し抑えめだけど、昔はもっとギャルだったタイプ。僕には分かるぞ。ギャルの残り香がぷんぷんする。身長は少し高め、髪は長め。割と体幹がしっかりしててクラブで朝まで余裕で過ごせるボディバランスをしている。
ギャルが申し訳程度の会釈をしながら挨拶をする。
始まった。ギャルとの真剣勝負が、今ここに。
「今日はー、どうしますかー?」
無駄に語尾が伸びる。
いいぞ、それだよそれ!そのギャル感!
僕の伸びきった髪をいじりながらギャルは尋ねる。引っ張ったり、押さえたり。その様子は、ギャルが僕の頭の上に住み着いた黒猫と戯れているかのようだった。かわいい。
そもそも髪を切りに行くこと自体が苦手だ。なんて伝えたら良いのか分からない。「カリアゲにならない感じで」って言うのが毎回精一杯だ。なんだよ、カリアゲって。
それが今日は相手がギャルだなんて。うまく答えられるわけがない。鏡の向こうでギャルが口をすぼめてコチラを見ている。僕がなんて言うのかをじっくり待っている。いや……もしかして仲間になりたいのか?違うか。
なんとか口を開いて僕は適当に答えると
「うんうん。うんうんうん」
初対面のお客様に「うん」ってなんだよ!
でも、それだよそれ!!いいぞ!もっとギャルちょーだい!
伝わったのか伝わっていないのか。ギャルはヒアリングを終わらせると僕の椅子を回転させた。
「じゃあ、シャンプーしますねー」
そう言って僕の前を歩き、シャンプー台へ連れて行くのだ。
信じられなかった、僕はこれからギャルに髪を洗われるのだ。
苦節32年。
今宵、ギャルに髪を洗われ。
髪を洗われる関係というのは特別である。
親子とか恋人とか、そんな関係じゃないと成し得ない行為だろう。
頭のてっぺんは自分じゃ見れない。それはお尻の穴と同じこと。
そんな場所を相手に見せ、なおかつ洗ってもらうということ。この行為はそんじょそこらの関係性ではあり得ない。
それすなわち、この瞬間に僕とギャルは特別な関係になった。僕にとって彼女は特別で、彼女にとって僕は特別。ポケットの中から「ヴェルタースオリジナル」のキャンディをそっと手のひらに乗せてあげたい気分だ。
言われるがままに、僕はフルリクライニングの椅子へ座った。
毎回のことだが、この時お尻をどのポジションに置いたらいいか分からない。
深く座っても、浅く座っても首の位置が合わなくて、実は洗いにくいんじゃないか、迷惑をかけてるんじゃないかなんて思っている。その迷いのまま椅子が倒された。
「首の位置だいじょうぶですかー?」
それはこっちが聞きたいんだよ、ギャル。もう少しアゲとかサゲとか言ってくれていいんだよ。とはいえ、そんなこと初対面のギャルに言えるはずもない。
「あ、だいじょぶっす」
ふつー。目の前に憧れのギャルがいるというのに。僕は何もできない。
なされるがまま。ギャルの顔が近くに見えた。結構カワイイ。
そう思ったのも束の間、僕はまぶたの上に薄い布をかぶされ、目の前が真っ白になった。仕方なく目をつぶった。
目をつぶると、白いのか黒いのかよく分からない視界が現れる。
そして、世界は僕とギャルだけになった。
ギャルの手が僕の頭に触れる感触だけを感じた。
あぁ。
僕はいまギャルに髪を洗われている。ギャルの指はたくましくも繊細で、僕の髪の毛を波のように乗りこなしている。イイ波乗ってんねー。
その細い指で僕の絡まったクセ毛を一本ずつほどいていく。今まで僕が抱いていたギャルへの偏見や凝り固まった思考を、柔らかくしていくかのように。
「かゆいところ、ありませんかー?」
大丈夫だよ、ギャル。あったとしてもどうやって伝えればいいか分かんないよ。むしろ、心がちょっとむず痒いくらいだ。
どうしてだろう。いつものシャンプーよりも長い時間を過ごしているような気がしていた。周りから雑音が消え、ギャルの手の動きと髪の泡立つ音だけがゆっくりと聞こえる。これが……ゾーン?
このまま、この時間がずっと続けばいいのに。ギャルと2人きり。時間が過ぎれば過ぎるほど、泡立てば泡立つほど僕らの関係は深く、濃くなっていくだろう。
そして僕は言うんだ。
「月が綺麗ですね」
ギャルは答える。
「わかりみが深い」
しかし、それは叶わなかった。僕の頭皮を洗っていた音は、少しずつシャワーの出る音へと変わっていく。シャンプーの泡は流され、ゆっくりとお湯の音が小さくなっていく。
終わってしまう。
ギャルとのシャンプータイムが。夢の時間が。
目隠しが外され、ゆっくりと体を起こされる。
二人きりの世界が終わった。これが現実だ。
ギャルは何事もなかったかのように、再び僕の前に立ち、歩き始めた。僕は何も考えられぬまま、その後を付いて行った。
夢のような時間だった。まさか、ギャルに髪を洗われるだなんて。夢見心地のまま席に座ると首にタオルをまかれた。ちょっと苦しい。夢じゃなかった。
そして、いつものあれである。「前だけレインコート」みたいなやつを体の前面に差し出された。僕は何も言われずとも両腕を前に軽く差し出す。一瞬ガンタンクみたいなポーズになるのが堪らない。ギャルはガンタンクを知ってるんだろうか。ガンキャノンじゃないよ。足がキャタピラの方だよ。
その日の「前だけレインコート」は、少し特別な気がした。
髪を切る準備が整う。これからが本番だ。
鏡の中の世界では、僕とギャルの2人きり。ここから軽快に会話をしていけば、ギャル語を引き出せるかもしれない。ギャルとの関係をもっと密にできるかもしれない。
しかし、シャンプーの衝撃が大きかったのか、僕はギャルの方をまともに見ることができなかった。せっかく真後ろにギャルがいるというのに、僕は目の前に置かれた雑誌を手に、大して興味もない春のファッション特集なんぞを眺めながら、ギャルにオシャレな男アピールをしてしまった。
ギャルは淡々と髪を切り、しばらくすると僕の頭上で遊んでいた黒猫のようだった髪の毛は、足元で優雅に寝転がっていた。
「こんな感じで大丈夫ですかー?」
鏡越しに問いかけるギャル。
もう恥ずかしさが勝りに勝って森昌子。小さな声で「だいじょうぶす」としか言えない僕。
ギャルは優しく微笑むと、椅子を回し、僕をレジへと連れて行った。
あぁ、もっとギャルと話せたはずなのに。
その日はなんだか恥ずかしくて、会員カードを出すことが出来なかった。ギャルは会計が終わるまで、大した雑談もなく、作業的に荷物を渡し、そのまま僕をエレベーターまで送ってくれた。
完敗だった。僕はギャルになされるがまま。
何も出来ず、軽くなった頭と切ったはずの後ろ髪を引かれながら、店を後にした。
その日から2ヶ月。
僕の頭上には、2ヶ月前とは比べものにはならないくらいのクセのある黒髪が蠢いている。髪を切りに行きたくても行けない日々。頭の上で飼い慣らしていた黒猫は、今や野生化してきている。
自分の伸びたクセ毛を撫でながら思うのだ。
「ギャルに会いたい。この髪を見たら、ギャルはなんと言うだろうか」と。
また会えたら、もっとうまく伝えられるかな。
「髪伸びすぎて、ぴえん」って。
ただでさえ苦手な美容室も、ギャルとなら素直になれるのかも。
そんな気がした。
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