まさお

オフハウスのBGMが頭から離れない…

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  • 日記

  • つまがうつになって色々考えた話

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2011年石巻の仮設住宅で。

「ざっざっざっ」  10年前、石巻の真新しい仮設住宅の敷地内、   私と先輩と居住者の壮年との3人で歩いた足音です。    もう10年も経ったのかと信じられませんが、     今でも覚えています。 ーーーー 当時、震災から数ヶ月後が経ち、  新入社員の私は石巻で瓦礫撤去の手伝いをしたり、   生活物資を届けたりしていました。 「皆が応援してくれているのはわかるしとても嬉しい   でも、なぜ、我々が被災したのか    この震災にどういう意味があるのか     それを教えてく

    • こどものように

      こどものように生きなさい お金の不安も就職の不安も偏狭な人間関係の労苦も寄せ付けず ただの砂場に幾百万の財宝が眠っているかのように 目を輝かせて公園で泥だらけになって遊ぶ我が子のように 平凡な日常でも夢中になって生きなさい そして 持ちきれないほど集めた見えない財宝を 惜しげもなく夕陽へと返し、 笑みだけを持ち帰る我が子のように、 何も持たずに生きなさい

      • つまがうつになって色々考えた話①

        こんばんわまさおです。 今日昼間の自己紹介noteにも少し書きましたが、家族の病気について書いていきます。 実は今年の頭から妻が「うつ病」になりました。 早いもので今年ももうあと3ヶ月を切り、少し余裕を持って これまでのことを振り返ることができそうなので、 「つまがうつになって色々考えた話」として、 つらつらと綴っていきたいと思います。 はじめに断っておきますが、 精神疾患やその病状について専門的な知見は私にはありませんし、 そういうことを解説するような文章にはならないと

        • 自己紹介

          どうもこんばんわ。まさおです。 今日から改めて、自分の感じたことや日記など雑多な事柄をつらつら書いていきますので、ご覧になってくださる方はよろしくお願いします。 ・自分の家族が病気になって色々考えたこと →思いつくままにというか、思い出すままに書きながらマガジンなどで束ねていけたらいいな。もし同じようなことで共感してくれる人がいたら嬉しいです。 ・昭和末期世代の人生感想、社会生活感想 →私、昭和の末期1988年生まれです。巷では黄金世代とも言われていたりするそうですが、「

        2011年石巻の仮設住宅で。

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        • つまがうつになって色々考えた話
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          君は宝を持っている

          君は宝を持っている  その豊かな宝を出し惜しみしているうちに   それは少しずつすり減りいつかなくなり    必ず君は後悔してしまう 勇気をもってこの現実社会に  自らの可能性をぶちつけてみるんだ 無限を秘めた"0"が"1"となり  一見、無限はどこかに立ち消えた様に   思うかもしれない しかしその"0"と"1"の間に全てがある 惜しげも無くさらけ出された宝は  とめどなく溢れ、かさを増し   鍛えられ、強くなり輝きを増してゆく その宝を守ってはいけない  さらけ

          君は宝を持っている

          もしアンパンマンが現代の人間を助けようとしたら…

          うまく心が温まらない 温もりすらほしくない なにがほしいのか自分でもわからない 多分 つながりかな つながりの証しかな これかこれかと思ってきたけど、大概裏切られた 疲れたし、もう欲しがるのもやめよう でも、欲しい物は確かにあるんだよな 底の方で自分はうめいてる そんな人間にアンパンマン、なにをあげる? . . . 欲しいと言われたものをあげ続ける ただそれだけでいいのか いやそれだけじゃだめだ パンをあげてもまたパンを求められる 貧乏な人に金をあげてもまた求め

          もしアンパンマンが現代の人間を助けようとしたら…

          新型コロナウィルスは私に何をしてきているのか。

          新型コロナウィルスは私に何をしてきているのか。 社会はこのウィルスを恐れすぎている、という声もあれば、 自粛の要請に応じることのできない人々を批判する風潮もある。 「生命か、経済か」 人間自身の歪んだ自己認識が提示した、 限られた2つの選択肢の間で、 双方の声が虚しく響くSNSという荒野を僕は見た。 無限の広がりを持つはずのネット空間が、 かえって人の心の狭さを映しだしているような、 不寛容さに由来する「人の心の不自由さ」が、 交わることなく“いいね❤️“の数を競

          新型コロナウィルスは私に何をしてきているのか。

          わたしにできること

          どんな活動にせよ、 歓喜が感じられない、得るものがないことを、いつまでも周りのせいにしてしまってたいつかの私ですが、 今や、 無造作にコピー用紙を手に取って数えたら、狙い通りの100枚だっただけで最高にテンション上がったり、 イチョウを見つめるだけで本当に俺も頑張ろうと思えたり、 健気な人にならどこまでも会いに行って讃えたりしてあげたいと思えるようになりまして、 人生において喜びを引き出すのは周りや環境ではなく自分しかいないし、 逆に自分さえあればどこにいても喜び

          わたしにできること

          愚痴でパンを買う偽善者の列を見たか?

          君はあの偽善者の行列を見たか? あの列に並べば愚痴のコインで、「弱者"気取り"の手作り"風"正義パン」がひとかけら買えるらしい なにが厄介かってそらあ君、 並んでる本人たちは建設的な意見を寄付するためにって思い、熱心に並んでるっていうじゃないか。かれらの中ではその善行の証に正義のパンをひとかけらもらってることになってんだってよ 何かを建設してるつもりらしいんだけど、端から見たら、とにかく自分のことを正当化したくて仕方ないって感じだよ。 その証拠に愚痴を受け付けてく

          愚痴でパンを買う偽善者の列を見たか?

          親成長讃歌

          親になったからといって勝手に優しくなるわけではない 勝手に心が大きくなる訳ではない 毎日毎日、一瞬一瞬、この子のために自分は何をしてあげたらいいのか 今日は眠いなー、あ、泣いてる、起きて相手しよう、おむつ換えてあげよう。 いたずらしたのか、どうやってやっちゃいけないことを教えようか。 ちょっぴり叱ろう。泣いちゃった、でも仕方ないよな。でものびのびさせてあげることも大事だな。 そーコーしてる内にお昼だ御飯作らなきゃ。 とかって全人類の親御さんは葛藤しながら、慈しみの振る舞

          親成長讃歌

          人生、せめぎ合う光と闇

          ずっと人生が私に期待してくれていたのに 私はずっと人生に期待してばかり そんなことになっているのかもと 気づき始めた頃にはもう 諦めたふりするしか 選択肢残ってなかった 生きづらい、とか、 どうせ移ろうからって 最後のひとしぼりを眺めながら 自分で太陽を沈ませて この居場所はもとから暗く、 これからも光は射さないと決めつけていました そのほうが楽だから 居心地の良いぬる暗い角にいながら 太陽を沈ませたのは自分だという 罪悪感を見て見ぬふりしても 心の鼓動が耳を痛いほど叩い

          人生、せめぎ合う光と闇

          ウィズコロナな日々を計画

          新型コロナでの自粛の日々を再検討 私はすでに昼仕事、夜は外出自粛の日々です。 みなさんはどんな生活を送られていますか? 仕事が減り、収入も減ってたいへんな生活をされている方もいるでしょうし、 のんびりと粛々と自宅での日々を送られている方もいますよね。 地域によってはまだ危機感のないところもあるようです。 私は緊急事態宣言を受けてもすでに縮小体制の日々ですので、 あまり変化はないのですが、この宣言を受けて、自分の生活を改めてプランニングしなおしたいなーと思います。 私の

          ウィズコロナな日々を計画

          不幸は一体だれのせい?

          誰でも必ず幸せになれる という信念を裏返すと 自分の不幸を人のせいにはしないということになる。 もし不幸を社会のせいにしてしまったら本当の自分の力は出せないのではないでしょうか。そして本当の幸せもない。 とても厳しいけど。 ですから、 「あなたが不幸なのは、他人や社会のせいなんです。だから社会を変えましょう!」 というのは思いとしてはわかりますが大きく細かく考えると、それだけではだめではないですか、というお話。 (社会をデザインしよう) 政治ってある意味、 社会のデザイン

          不幸は一体だれのせい?

          poketto

          彼は自分のポケットの小さいことに悩んでいた お金の入ったお財布。 お札は薄くレシートばかりが厚い。 数gのクレジットカードは数十万の借金を作り続けている。 (それにポイントの優遇を気にして3枚も作ってしまっている!) 仕事の予定のつまった手帳、 車の鍵、 家族からもらったキーホルダー、 小四の時にいわれた忘れられない悪口、 ローンを組んだばかりの家の鍵、 職場の鍵、ポストの鍵、 大きくなったスマートフォン、 たまるばかりのプッシュ通知、 未練たらたらの消せない写メ、 職場用

          どらえもんみた!

          こんなにも自分の奥深くに ドラえもんとのび太がいたなんて 知らないうちに仕掛けられていた愛の爆弾が 図らずも、僕の心の深くで今夜爆発いたしまして 心の老廃物をいっぺんにデトックスしてくれました 物心ついたうちから刷り込まれていた ドラえもんという存在が そして、のび太という存在が 大人の自分が一生抱いていく、 「永遠に成長できない自分の一部分」と 見事にリンクしておりまして のび太の嘆きの涙は私の一粒でもあり のび太の本気の決意は私の胸の鼓動でありました スネ夫のよう

          どらえもんみた!

          打っているのか打たされているのか

          本当に自分でメール打ってる? LINEに乗っかってるだけのそれは本当に自分の言葉? 「あんまし嬉しくないけど、ありがとうございます。。。」 って気持ちで打つ時に 「あ」の時点で、 「ありがとうございます!!!」って予測変換でたから めっちゃテンション高く返事してるLINEの中の自分。 めんどくせーなーという気持ちに スタンプでふたをして心の臭み隠し、ついついやっちゃう。 自分の心の響きを少しもそなえていない言葉の羅列 きっと相手の言葉もそう そんな言葉の大濁流の中で 「

          打っているのか打たされているのか