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あんたが寄せ書きさえ書いてくれれば、私は他の誰かを好きになっているかもしれなかった

彼をいつ好きになったかを問われると、正直、全く検討がつかない。
あの実習の時かもしれない、あの時席が隣り合った時かもしれない。落とした消しゴムを拾って貰ったから、なんて本当に下らないきっかけかもしれない。

…いや、案外あの高校受検当日かもしれない。

その日はニュースが電車の遅延だとか運転見合わせの情報で持ち切りになるような酷く寒い大雪の日だった。過保護な母は私を駅まで送り届けると言い私は大人がついていった所で何も変わらないだろうと思ったが、黙ってそれに従った事をよく覚えている。

人生初めての受験だ。
古臭い校舎に申し訳程度のヒーターが黒板の側に設置されている。これでは30名以上の受験生を暖めることは出来ないだろう。
私は充てがわれた席が後ろの方だったことを恨んだ。

心配性な母が早めに送り出したお陰で試験の開始までかなりの時間が空いた。まだ受験生も殆ど来ていない。
周囲を見回すと最後の詰めだと言わんばかりに皆、参考書や過去問集を開いている。
私も彼らの中で浮いてしまわない様に、過去問をチェックしているふりをしたが、気持ちは周りの学生たちを気にかけることに引っ張られたままだった。
もし私が受かったら彼らが同級生になり3年間を共にするのだ。なるべく話しやすい人が多い方がいいに決まってる。
この人はアニメのグッズをつけている。オタクだ、良かった。この人は受かるんだろうなぁ、なんだか綺麗だし頭も良さそうだ。なんて偉そうに人の値踏みをしていた。

開始時間も近づき、席も埋まってきた。
そういえば私の前の席の人はまだ来ていない。遅刻だろうか、と思っていると彼はやってきた。
今どき黒の学ランにおかっぱ頭、銀縁のメガネだなんてまるでガリ勉君のコスプレみたいでお笑いだと思った。
だが、これは危機的状況だ。
私の希望する高校は偏差値こそ高くないが、無駄に倍率だけ高い。落ちる可能性はかなりある。
聞いてないぞ。そんなに頭の良さそうな人間が受けてくるなんて。
お前ならもっといいとこ受けれるだろ。
おい、ガリ勉。
お前席につくやいなや問題集解き始めるなよ、頭の悪い私でさえ諦めてもう何かすることを放棄しているんだから。お前は十分だよ。

…もしかしたらガリ勉でさえ恐れる程の高校を私は受験してしまったのかもしれない。恐怖にせっつかれ、私は残りの時間を過去問の見直しに終始した。


“ガリ勉君”のお陰かどうかは知らないが、私は合格した。

その“ガリ勉君”こそが、私が3年間ずっと恋をし続けていた。いや、25歳になった今も好きで片思いを捨てきれない「とどろきくん(仮名)」だった。

入学してすぐにクラスのグループというのも自ずと決まっていた。小中と一軍二軍との違いを見せつけられると、自分達がどういうものか言葉にせずともわかるのだ。
私は三軍、というか“オタクグループ”として他のオタク達と高校生活3年間を生き抜くために身を寄せ合う事になった。
とどろきくんも同じく男子のオタクグループに身を置き、三軍は三軍同士で交流することもあったのでやれ新しいゲームがどうだとか、アニメの最新話がどうだとか。
そんな色気の欠片もない話ばかりをしていたと思う。
言うなればどちらもオタクなのでオタクは“好きな何か”にしか興味がないし話したくもない。相手の“人(にん)”なんてハッキリ言って興味がなかった。
好きなものが合えば話すし、そうでなければ特に触れ合う事もない。

はっきり言うとまぁ話さんこともないでもないが仲良くはない、というのが私の所属するオタクグループ男女の関係性だった。

そんな学生たちの中で私はいわゆる“独特な奴”だと思われていたと思う。
みんなの輪の中にふらふらっと入っていくこともあれば一人になりたくなれば一人でいる。仲間外れにされることはないが私の周りに人が集まることもないという、要は“ほっとかれてる奴”でもあった。
当時の私はそういうつかず離れずの孤高の存在(笑)的な状況が心地よいと思っていた。ある程度の地位を確立して三年間をやり過ごせればそれでよかった。

こう返せばきっとこう帰ってくる。
定型文で話せばなんとなく笑いが起こる、読み通りだ。
ここでこう返せばもうこれ以上は踏み込んでこない。

斜に構えて思春期をこじらせていた私は、インターネットと数少ない人生経験を根拠に本気で人の心が読めると思っていた。

それでいて周りの人間と同じようにふるまえない自分を情けなく思っていた。だが、高校生にもなるとこれはどうしようもない自分なのだと諦めもついていた。つまり、妥協のうえでの“独特な奴”、“ほっとかれている奴”だ。

本当は気の置けない親友を作ってあたかも学生生活みたいな日常を過ごしたい、というのが本音だったんだよな。制服でディズニー行ったりとか。
25歳の自分から言わせてもらうけど。


男子のオタクグループにも同じく“独特な奴”がいた。
それがとどろきくんだった。
彼も男子たちの中で少し浮いていた。
そんな私以外の“独特な奴”に興味を持ち、私はとどろきくんと二人きりで話すことが多くなった。

微妙に浮いている者同士、不思議と会話が弾んだ…という事にはならなかった。残念ながら。
前述の通り人間の心が読めると高をくくっていた私の「こういけばこう来るだろう」を、とどろきくんは覆し続けた。
自分は自分でそんなことは後にも先にもこの時くらいだったので即興でカードを切らなければならない状態に翻弄されていた。

とどろきくんの心は読めない、そう思った。

それがたまらなく楽しかった。
全くかみ合わない会話をしに何度もとどろきくんの元へ向かった。

いつしか好きになっていた。


だが、自分がとどろきくんと付き合える可能性は絶望的に低かったように思えた。
そもそも自分は容姿がクラスの中でも最底辺である上に、彼自身も恋愛事には全く興味がない様子だったからだ。

私は何度も何度も早く告白して楽になりたい、いつしかそう思っていた。
どうせ初めての失恋を経験するなら早い方が傷口が浅くすむ。
そんなことはわかっていた。
でもどうしても私の心からの言葉はとどろきくんの前ですら言えなかった。
今までの人生で斜に構え続けて、人と交わることを避けてきたツケが回ってきたのだと思った。

「今度好きな人に告白するので、その勇気を出すために来ました!」

なんて言いながら献血をしたりもした。
意味不明である上に超道化だ。献血カーのおばちゃんたちは盛り上がってくれたが。


そして結局、何もしないまま、中途半端に好きなまま。
とどろきくんが私をどう思っているのかさえわからないまま私達は卒業を迎えた。

皆胸に花を飾り、SNSに載せるための写真を撮ったりだとか卒業アルバムにできるだけ多くの寄せ書きを書いてもらおうと対して交流の無かった人間にさえ声をかけたりだとか『思い出』というものを、あたかも充実した学生時代でありましたよという事実を捏造するための作業にいそしんでいた。
しらじらしいな。
少なくともあの時の私はそう思っていた。

だが矛盾しているようだが私はこう考えていた。
「とどろきくんにだけは卒業アルバムの寄せ書きを書いてもらいたい。」
そうすれば私のこの好きという感情も“学生時代の綺麗な片思いの記憶”として終わらせられる。
だから私はとどろきくんにだけ、寄せ書きをお願いした。

彼はいつもと変わらない淡々とした様子でペンを手に取った。
そしてしばらく考え込んでいた。

そんなはずはないだろ、少なくとも友達ではあったはずだろ。
一緒に就学旅行にも行ったじゃないか。
実習も一緒だった。同じ映画が好きだったじゃないか。
私の落書きで今まで見たことないくらい爆笑してたよな。

全部彼にとっては何でもないことだったのか。
もうなんでもいいよ。
「仲良くしてくれてありがとう」
の一文でも私は救われたんだ。頼む、せめて友達だったことにしてくれよ。

そんな私の内心の懇願は彼を呼ぶ男子の声にあっけなく打ち砕かれた。
彼が友達の元へ向かい、後には呆然と立ち尽くす私と真っ白な卒業アルバムの寄せ書き欄が残された。

私は人目も憚らず大泣きした。その理由は私以外の誰にもわからなかった。


これが、私の未だに引きずり続けている片思いの顛末だ。
それ以来私はほかの誰かを好きになったことはなく、待っているだけで誰かが迎えに来るような出来た人間でもないので好きになられたこともない。

彼氏いない歴=年齢のままである。


あの時、卒業アルバムに何か一言でも書いてくれれば、いい思い出として胸にしまっておけたのかなと常々思う。

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