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朝と家族と知らない段ボール


(2019/08/29)

今朝、一匹の家族が減っていた。
過去形である。


朝、目覚めた瞬間の視力は夜に浮かぶ街灯の光の輪ぐらいあやふやで
わざとピンボケにした一眼レフの写真ぐらいの視力で
体に染み込んだ家の構造を頼りに歩いて居間に向かっている。

今日もそうだった。
今日も階段を駆け下り、避難扉のような鉄の扉を開け居間に入ろうとした。
今日も昨日もその前も。そして明日も。

そこには段ボールがあった。多分70×30×15cmぐらいの大きさの。


(荷物が届いてる。仕事の道具かな。)
現在の仕事上、荷物が届くことが多い。
つい先週も同じ程度の箱が来ていた。箱の半分に道具、残り半分に紙の塊。

引き戸を開けて居間に入ると
毛が足にこびりつく。Nの毛である。


うちには今年で20歳を超えたNがいる。実際は野良犬だったので正確な年はわからない。
うちに来たのがだいたい18〜19年前。小学生の時である。

父の友人が沖縄になぜか移住し、拾った犬がN。
食い意地が恐ろしく、そのせいで一度死にかけている。
その食い意地の悪さが原因でうちに来た。そんなN。

父が沖縄に遊びに行き、帰ってきた際に
「大人1人分の料金がかかったんだ」と連れてきたのがN。

「大型犬か、小型犬が欲しい」と以前から言っており、
来た犬は中型犬。まさかの3分の2の願いは届かず来たのがN。

若干クリームがかった白毛はうちに来る運命だったかのように
家族全員と同じくせっ毛で1歳程度のはずなのにまるで老犬のような風貌。
家族はヤギのようだと行った。
近所を歩けば「もうおじいちゃんなのね」と言われた。

ピチピチのティーンエイジャーである。
しかもメスである。

犬は1歳を過ぎるとなかなかしつけが難しいという。
Nもそうだった。トイレは覚えられず、いちいち散歩に行かないといけなかった。
正直面倒だった。

小さい時はフンを拾うのも嫌だし、それを見られるのはもっと嫌だった。
中学生になって制服に毛がつくのが嫌だった。
高校生になっても同じ。忙しくて散歩に行けなくなった。

大学生になって帰るのが夜中になった。
家に帰ると家の前で「ワンっ!」と吠えるのがイラっとした。
いい加減、主人くらいは覚えようよ。と。

扉を開けると尻尾を振って、頭は「ごめん」とばかりにうつむいて、すり寄ってくる。頭を撫でると毛を擦り付けて、履いている黒スキニーがゼブラ柄に変わる。それをコロコロ(粘着性の毛取り)でとり、自分の部屋に戻った。

社会人になってスーツに毛がつかないように避けて歩き、
酔いつぶれては毛だらけになってコロコロで毛を取った。
その頃だっただろうか。目が若干濁り始めていた。

会社を辞めた。たった3年だったが辞めた。そして友達や世話になった人に毎日代わる代わる挨拶と称してお酒を飲みに付き合ってもらった。
目の濁りは白さを増していた。

家を出た。海外に行くことにした。
荷物をまとめて旅立つ時。やっぱり毛をつけてきた。
頭をつけてきて、やっぱりコロコロした。
行ってくるね。と。


2年ぶりに帰ってきた。地元は変わっていた。
再開発で好きではなかった飲み屋街が消えて、
なんだか無駄に主張的な立派なタワーマンションが建ちかけていた。

「2億だって!最上階は中国人が買ったんだって!」
噂が回ってきた。それが地元の定番トークになっていた。

親が老けた。家具が小さくなった。そう感じた。
そのことをいった。母は不機嫌になった。祖母は笑った。

Nは体を左右にゆらゆらして歩くようになった。
「もういい年だしいつ来て(死が)もおかしくないだろ。」
父は言った。

「そうか」と答えた。

瞳はもう、黒というよりは白にうっすら緑のような色が見える程度。
多分、もう見えてない。
「おーい。N〜」
呼んでも来なくなった。耳も悪くなってた。


そういえばNは家電が嫌い。
掃除機が特に嫌い。昔はハウスに帰って唸ってるところを
母親が掃除機で吸って遊んでいた。いや、いじめていた。
人として問題ありである。

扇風機も嫌い。その癖に暑がりで寒がり。
沖縄から来たのに。

また海外にいった。
大声で呼んで、寄ってきたゆらゆら揺れる頭を撫でた。
「まだお前いんのかな?」(次帰ってきたらいないかもしれない)
問いは聞こえていない。

親から連絡があり、
1年が経つ前に帰ってきた。身内の不幸。

1人は間に合わず、そのまま。

1人はギリギリだが会えた。オーストラリアに戻ってすぐ、
その人は亡くなったと電話が来た。なんとか会えた。


だから身内からの連絡は嫌いだ。


日本に戻ってきた。
Nはたまに足を引きずって歩いた。
「もう痙攣3回も起こしてるからなぁ。生きてるだけで奇跡だろ」

後ろ足を上げてピョンピョン飛ぶように歩いては
気がつくと何事もないように歩いていた。


数週間後。
Nは突然ぐるぐる回るようになった。
右回り。

ずっと。

ずっと。

「もう痙攣sa・・・略」

父はまた同じことを言っていた。
父ではなくてRPGのモブキャラと話していたのだろうか。

「ここは○○の村だ。
 ここは○○の村だ
 ここh・・・。」的なやつ


また数日後。
完全に左後ろ足がダメになった。
「仕方ないね。前からちょくちょくなってたし。」
母は言った。

そういえばだいぶ前から硬い餌が食べれない。缶詰を与えていたが、それも今は半分も食べれない。
缶詰を与えていたが、それも今は半分も食べれない。

3、4日前。後ろ足が完全にダメになった。あんなに嫌がっていたオムツを外すこともできないようだった。
あんなに嫌がっていたオムツをするようになった。

トイレ覚えられなくて。仕方ないからつけても
いつも噛んでぐちゃぐちゃにしてたのに。それもできない。

付けてることすらわかってないのかもしれない。




今日。

朝、ご飯を作っていた。
野菜を切って、フライパンに油を引いて。


「ドライアイス買ってこなきゃ。」

気づいたら後ろにいた父が言った。

独り言のようだったので聞き流した。父は続けて

「廊下の段ボールNだから居間に入れるなよ。あれだから」


と窓を指差した。今日は日が眩しい。暑くなりそうだ。
父は「痛む」と言いたかったようだ。

ぼやけた視界と冴えない頭でも何かを理解した。


段ボールに近づくと父も来た。
隙間から白い何かが見えた。


横から
「ほら。もう硬直しちゃってるよ。」

父は段ボールを開けてうっすらわかる輪郭の
太ももあたりをトントンと指で鳴らした。硬い音がなった。

中でコンパクトに丸まったNらしき何かを見た。若干開いた目はただ白く濁ってた。もう随分前から。

冷気が伝わってきた。父が入れた保冷剤の。

「昨日?」
と聞いた。

「あぁ。昨日の11時50分ごろだねぇ」

いつものような口調で言う。仕方ないなぁみたいな口調で。

「そうか。」

そう言ってまたキッチンに戻り、父は

「ドライアイス買って〜、あそこに行って〜」

とまた似たようなことを言っていた。

ご飯を作り終わる数分で父はドライアイスを買ってきて箱に詰めていた。

「これで保つだろ」

と父は言った。最後に

「じゃあな。N。」

いつもより静かに。ゆっくり。


ニュース見ながら
ご飯を食べて
シャワーを浴びて
スーツを着て

「行ってきます」と言った。
誰もいない部屋と段ボールだけがあった。


貧乏暇なしである。考える暇はない。駅への道はただただ暑かったし、今日のルートを再確認しなければいけなかった。

暇つぶしがてらこれを書きながら仕事中なのに、なんだかしんどくなってる自分がいる。何がしんどいのかもわからないけど。

今日もちゃんと笑顔ができていただろうか。

これから飲みに行く。
楽しい酒であって欲しい。じゃないと困る。

私なんかにサポートする意味があるのかは不明ですが、 してくれたらあなたの脳内で土下座します。 焼きじゃない方の。