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【読書記録】白い薔薇の淵まで

タイトル:白い薔薇の淵まで
著者:中山 可穂

雨の降る深夜の書店で、平凡なOLの私は新人女性作家・山野辺塁と出会い、恋に落ちた。
初めて知る性の愉悦に溺れてゆく二人の女は激しく求めあい、傷つけあいながらも、どうしても離れることができない修羅場を繰り返していくーー。
甘美で破滅的な恋と、めくるめく性愛の深淵を、研ぎ澄まされた美しい文体で綴った究極の恋愛小説。

Amazon商品ページより引用

あらすじに「甘美で破滅的な恋」という表現がありますがこれに尽きるなと感じます。
激しく求めあう分、ぶつかることも多い2人の関係性は退廃的ですらあります。

2~3時間程度で読破できるぐらいのページ数でしたが、そう感じないぐらいの濃密さや没入感がありました。
むしろこれぐらいのボリュームだから、この作品の持つ強さや疾走感に振り落とされる前に読み切れたような気がします。

読み終えた後は、たまらずストーリーの冒頭を読み返しました。
読了後即座の読み返しはミステリーではよくやりますが、恋愛小説でそれをやったのは初めてかも……。

※ここから先ネタバレ配慮無しの感想です。


作品は作品として、自分個人の凡庸な感覚で言うと所々「それは無いぞお前~~!!!」と思う場面はありました。
(そのあたりは20年以上前の作品なので、単純に時代背景もあると思いますが)
物語を読み進めながら「クーチを”平凡なOL”とするにはいささか無理がないか?」と思いつつ「でも、刺激的な”運命のひと”にどうしようもなく心惹かれながら、自己保身のために安定感のある別の人を選び、結果的にその人のことも”運命のひと”のことも傷つけてしまう自分本位な感じ、ある意味平凡と言えるのかも」と考えたり……。

あとは「あれは一体どういうことだったんだろう?」と思うシーンがいくつかありました。
猫を攫ったのは誰なんだろう?編集者の方かな?
塁がまとっていたゲランの香りは「詩人」のものなのかな?
そのあたりは各々の想像にお任せする、ということなのでしょうか。
もしくは、単に私が確定的な表現を見落としているのかも。

クーチと塁の最期の逢瀬は薬物が見せた幻覚?いっそ乱暴に「不思議な出来事」として片付けてもいいのか?

そういうモヤモヤというか引っ掛かる部分はあるものの、最後に塁がクーチに捧げた作品のくだりを読んだ時には曇天が一気に晴れ間に変わったような気持ちになりました。
ある種の呪いのような自分のルーツを自分自身で赦してあげることがどれだけ困難で大事なことか。

いつか塁が言った「(自分の小説を)誰に認められようとも、愛する人に認めてもらえなければ仕方がない」という言葉と、その時は失言したクーチ本人が「これまでの読者は怒るだろうけど、わたしだけは塁を褒めてあげたいと思った」という言葉の繋がりには輝きすら感じました。

激しくぶつかり合い、傷つけ合い、1人で居る時すらお互いに心身のバランスを崩し、結果的に2人の間に流れていた穏やかな時間がごく短いものであったとしても、そこには確かに愛も絆もあったんだなと。
破滅的な恋愛小説なのに読後感が妙に爽やかだったのは、それを確信できたからなのかな。

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