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「書いて捨てるノート」のススメ 〜捨てたい感情はゴミ箱へポイッ〜

私の日々は、ストレスフルだ。
良いこともあるけど、悪いことも起こる。
理不尽なこともたくさんある。
本当に嫌になってしまう。

そんな毎日だから、
気の合う仲間と会うと、心を許して
つい愚痴っぽくなったり、
日々の不平不満を並べて文句を言い合ったりする。

お互いに日々のストレスをぶつけ合うと、
こんなにも自分はおしゃべりだったのかと驚く。
仕事のプレゼンではあんなにひよっているのに、
心理的安全性の確保された場所ではこんなにも饒舌になるのか、と。

溢れ出る、愚痴•不平不満•文句•悪口。

吐き出せる相手がいることに感謝だし、
自分の中のモヤモヤをすべて外に追い出すことができるので、
この時間は本当に貴重で大切なもの。

そう思っていた。



ただ、最近気づいたことがある。

あんなに吐き出してスッキリしたはずなのに
ストレスフルな日々は変わらない。

むしろ、ちょっと嫌なことがあるたびに
吐き出した言葉の数々が脳裏をよぎり
「ああ、またか」と答え合わせをしているかの如く、自分自身を突き刺すのだ。
自分が吐いた黒い言葉が、耳にこびりついているのである。

嫌な気持ちやストレスを声に出せば出すほど、
言語化されてはっきりと記憶に残り、
自分の負の感情を自覚せざるを得なくなる。

誰かに話して吐き出したつもりが、
スッキリしたつもりが、
「この人と、この場所で、こんな声で話した」という記憶として、
むしろ濃度と鮮明さを増して自分の中に舞い戻ってきていたのだ。

**

苦しい。
毎日、苦しい。


耳や目からの情報や、誰かと共有したという思い出は
恐ろしく記憶に定着する。

言霊とはよく言ったもので、
自分が発した言葉は、想像以上の力を纏い、
負の状況をどんどん具体化していた。

良くないと思った。
もう、マイナスな感情を声に出すのはやめようと思った。

***

ただ、声に出さないといっても我慢するのは違う。
吐き出し先、吐き出し方を変えた。

その名も「書いて捨てるノート」というものを用意し、
日々のモヤモヤやイライラを紙に書き出すことにした。

心置きなく捨てられるように、自分が持っているノートの中で一番かわいくないノートを選んだ。

書いている時の筆圧、文字の大きさ、勢いなどで、自分の苦しい感情を自覚する。

声に出しているわけではないので、耳を汚すことはない。

また、目に映る文字を見て、むしろ自分の冷静さを取り戻す。

冷静になって、書き出したものを俯瞰して、
そんな気持ちを抱いた自分を受け入れたら
ぐしゃぐしゃに紙を丸めて捨てる。

醜い顔をして、酷い言葉を吐き出す自分を誰かに晒すこともなく、
ただ自分一人だけで自分と向き合う。
自分に起きた出来事を認めて、自分自身を癒す。

****


なんだ。
これだけで良かったんだ。


冷静さと穏やかさを取り戻し、
自分を本当に苦しめているのは自分だと気づき、
自分を大嫌いになる前に受け止め、認め、
本当の意味での「スッキリ」を得られた。

言葉はときに恐ろしい。
誰かに言ったこと、誰かから言われたことは、
暴力的な力を持って人を傷つけてしまうことがある。
自分自身を傷つけてしまうこともあるのだ。

少なくとも私は、自分を傷つける自分ではなく、自分を認め、癒す自分でありたいと思う。

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