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地下鉄で急に抱き着いてきたおばさん

数年前、地下鉄でおばさんに急に抱きしめられた経験がある。その時は恐怖以外の感情を抱かず、しばらくトラウマになってしまった。今日はそれをひたすら話してみたい。長いと思ったら「まとめると」を読んでください。

事の顛末

大学2年生の2月ごろのお話である。私は好きなバンドのロックTシャツが「しまむら」で販売されていることをネットで知り、それを買おうと最寄りの店舗へ地下鉄で向かおうとしていた。

目的地は私の最寄り駅から7つ目の駅付近にあった。平日のお昼だったので車両には乗客はほとんどおらず、若い女性とサラリーマンの2人だけであった。私は適当に空いている席に座り、友人に借りた京極夏彦の「巷説百物語」を読み始めた。

4つ目の駅で地下鉄が停車したとき、50代ぐらいのメガネをかけた女性が乗り込んできた。服装はトレンチコートにミニスカート。年齢にしては若々しい恰好であった。

その女性(以下おばさん)はあろうことか、ガラガラの車内にもかかわらず私のすぐ右隣に座ってきた。私は少し驚きはしたものの、すぐに別の席へ移動するのも失礼だろうと思い、また本に目を落とした。その直後、ニュッと手が出てきて、私の本が消えた。右をみると、おばさんがニタニタ笑いながら本を持っていた。

私は心臓がとび上がった。何が起きているのかさっぱりだった。そんな私を尻目に、おばさんはパラパラと本をめくりだした。「ギャハハハハ」と大声で笑っていた。泥酔しているのか、気が触れてしまったのか、よくわからなかった。ただひたすらに恐怖を感じていた。

おばさんは一通り本に目を通すと、大声で音読をし始めた。おばさんの甲高い声が車内にこだまする。京極夏彦の作品世界と肩を並べる異様な光景が、おばさんと、おばさんの発する京極夏彦の文章をもって現実に映し出される。「事実は小説よりも奇なり」。そう思った。

オバサンは音読をしながら、しきりにこんなことを大声で発していた。

「こんなもんリアリティのかけらもねえよ。ふざけんなよお。」
「私のがもっとうまく書けるのによお。クソ野郎。」


私は助けを求めようと、同じ車両にいたサラリーマンと若い女性をそれぞれ懇願するような目で見ると、二人とも我関せずといった感じであった。当然である。誰だってそうする。私もそうする。しかしその二人は次の駅で降りてしまった。「行かないでよ」「せめて誰か乗ってこい」。心から願ったが、誰も来なかった。ついに車両には私とおばさんだけになってしまった。

そこからおばさんの行動はさらに激しくなった。私の肩をしきりに殴りながら、「こんなん何がおもろいの」「私だったらさあ……〇△✕(聞き取れない文章)」と私に意見の同調を求めてきた。私が何も言えないでいると、「何か喋れよ!!ギャハハハ」。また肩を殴られた。悲惨。悲惨というほかない光景であった。

私はこの時、「友人の所有物である本だけは、絶対に取り戻さなければいけない」と思っていた。それは私が生来持ち合わせる正義感から来たものであったか。いや、否。正直に言えば、「地下鉄で本をヤバいおばさんにパクられた」と友人に伝えても、信じてもらえる気が全くしなかったからであった。


私は意を決しておばさんに尋ねた。

「そ、その本を、返してください」
「嫌」
「あっはい」

ゲームセット。何なんコイツ。いや年上だけど何なんコイツ。初めて怒りの感情が湧いてきた。この人間は何なんだ。人の面した悪魔なのか。あっさり引き下がった私もバカだ。私は何か悪いことでもしたか? 1本後の地下鉄に乗っていればこんなことは起きなかったのに。神は私を試しているのか。こんな理不尽があってたまるか。

そんな私の感情に呼応したのか、おばさんは開いていた本をバタンと閉じ、急に私にまくし立てるように話してきた。ほとんど聞き取れないし、聞き取れたとしてもおそらく罵詈雑言であった。ただ今までとは違って、おばさんは怒りながら泣いているような顔をしていた。断片的に聞こえた言葉は以下の3つぐらいであった。

「ボロクソに言いやがって」
「私の方が…〇✕△(意味不明)…脚本が…〇✕△(意味不明)」
「リアリティが…リアリティが…」

一通りまくし立て終わると、おばさんは急にシュンとして黙りこくった。私はチャンスだと思った。次の駅に着いたら、おばさんから本を奪い取り、ダッシュで逃げる。これで行こう。私は碇シンジ君ばりに脳内でシミュレーションを行った。「次の駅で本を奪って逃げる、次の駅で本を奪って逃げる。次の駅で……」


「〇〇駅です、〇〇駅です」。アナウンスと同時に、私は「返してください!!」と言いおばさんから本をひったくった。今思えば「返してください!!」は別に言わなくてよかった。モラルが邪魔をした。それが一瞬のスキを生じさせたのか、開いた扉へダッシュで向かおうとしたとき、後ろからおばさんが抱き着いてきた。

おばさんは抱き着きながら耳元でこうつぶやいた。

「ねえ、演劇やんない?演劇やんない?ねえ…」

「うわあああ!」。私は叫ぶと同時に、おばさんを車内へ突き飛ばし、ホームへ降り立った。そのままの勢いで昇りのエスカレーターを2段飛ばしで駆け上り、駅を出て、ひたすらに走って逃げた。怖かった。人生で一番怖い経験だった。この日以降、おばさんが乗り込んできた駅方面へ近づくことは二度とない。

まとめると

地下鉄に乗り込んできたおばさんが私が読んでいた本をひったくって音読をし始めたり、意味不明な文章をまくし立てたりした。私が本を奪って車両から降りようとしたときに後ろから抱き着かれ、「演劇やんない?」と囁かれた。何とかおばさんを振り払って逃げ出すことに成功したが、その後駅近辺に近づくことはなかった。

おばさんの心理

数年たった今、この出来事について再び考えてみたら、おばさんサイドにも何らかの理由があったことが断片的にわかってきた。

おそらくおばさんは、劇団に所属する劇団員であり、脚本を担当していたと思われる。「演劇」「脚本」から簡単にそれは推測できる。ここからは完全に私の考えだが、おばさんは自分の考えた脚本を、劇団員に完全に否定されてしまったのであろう。それで自暴自棄になったまま、地下鉄に乗り込んできた。酒の匂いはしなかったが、もしかしたら泥酔していたのかもしれない。酒を飲まずにあの状態だとしたら、それは演劇にかける情熱、いや熱情がそうさせてしまったのだろうか……それはそれですごいことではある。

おそらくおばさんは「リアリティ」のある脚本にこだわっていたから、京極夏彦の物語に強く反発したのかもしれない。もちろん京極夏彦の物語世界には、その世界特有の「リアリティ」というものが確立されていて、読者もそれを理解した上で読んでいるのである。だから、おばさんが京極夏彦をその理由で非難することは全く妥当でないと思う。けれども、人間だれしも自分自身や自分の作品を否定されたら、他の何かに八つ当たりしたくなってしまうものなんだと思う。

おばさんは劇団を追い出されてしまったのだろうか。自分から辞めてしまったのだろうか。それでも演劇の熱は冷めることがなく、自分の脚本を実現させるために選んだ人間が、偶然地下鉄に乗り合わせた私だったのだろうか。真相はわからない。私はこのおばさんに二度と会いたいと思わない。だから、答え合わせもできない。


ただ、そのおばさんが書いたと思われる脚本がもしあったら、ちょっとだけ見てみたい気もする。ちょっとだけね。




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