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大人の読書感想文講座を終えて

講座を終えて

感想や思考の整理をしたnote。
講座の内容を記載したのではありません。

岡山経済新聞

の記者と編集者で作る岡山経済新聞団が、ライティング講座「書くは、楽しい!」の第一弾講座「大人の読書感想文講座」を2024年8月10日、岡山県立図書館で開催しました。

講師は

本下瑞穂さん。
本下さんは読書感想文のプロ。和歌山からお越しくださいました。
「読書感想文が、よく書ける原稿用紙。」を制作、販売も手掛けています。

夏休み

の宿題の定番といえば、「読書感想文」。
正直、嫌いでした。苦手でした。
まず、本を読むこと。読み切ることのハードルが高かった。
そして、そのハードルを超えても、感想を書け!と言われること。
え〜!!!ストーリーの説明がやっと。
だから、おおよそあらすじを書いて終わる。

それじゃ感想文じゃないだろう?と自問自答して、
よくわからない部分を抜き取って、「・・・が面白かった」という荒技を披露していた。
どんな風に?どうしてそう思った?などツッコミどころ満載の読書感想文を毎年のように作ってきた。

今更ながら

ではあるが、読書感想文の書き方を学ぶことで、
読書が変わる?
自分の考えや感想の伝え方がわかる?
自己表現の仕方がわかる?
の一端を目指しました。

ポイント

をちょっとだけチラ見せ。
読書感想文は、「本の情報」と「私の情報」でできている。
「本の情報」とは、作者のこと、本の出版された時代背景、
本に書かれている内容などのこと。
「私の情報」とは、いつ読んだのか?どんな状況で読んだのか?
それから何を受け取ったのか?何を感じたのか?など私のこと。

著名人の

読書感想文を集めた書籍「みちのきち 私の一冊」。
バランスや書き方などは様々だが、この2パートに分かれていることがよくわかる。

書評

との違い。「読書感想文と書評は違う」と言われる。
確かに違う。違うと思っていた。
ただ、全く違うわけでもない。
「本の情報」と「私の情報(批評)」とのバランスで
誰かに何かを伝えることには変わりない。
「私の情報(批評)」がより相手(読者)を意識したものだと言われる。

読書感想文は、本を使った私を表現したもの。
書評は、私を使った本を紹介するもの。
と今の私は括ってみた。

本を

それぞれが持参しました。思い入れのある本、最近読んだ本など
持参した本について、読書感想文を書くワークショップも行いました。
本を持ってきてない人には「ごんぎつね」を配布。

ごんぎつね

誰でも知っているお話「ごんぎつね」。
1980(昭和55)年にはすべての教科書に載ったそうです。
改めてどんなあらすじだったか思い出してみようと思っても、最後のシーンしか思い出せない。誤って、主人公がごんを撃ってしまう。
あ〜なんてことをしてしまったんだ・・・。
切ない気持ちだけが残っている。

今思えば、ごんぎつねはなぜ教科書に載せられたのか?
何を国語の授業で学ぶのか。昭和55年の小学生と現代の小学生、さて学べることは一緒のなのか、疑問が井戸に水が湧くように、沸々と湧いてくる。

せっかく読み返してみたので、簡単にあらすじをご紹介しておく。
冒頭に「村の茂平というおじいさんから聞いた話」と言って始まる。

村に住む兵十さんが川で網を使って魚をとっていました。
いたずら好きなきつねのごんは、兵十のつったうなぎを離してしまいます。10日後、兵十の家では、おっかあのお葬式をしていました。
ごんは、うなぎを食べたいと思いながら死んでいったおっかあを不憫に思い、また自分と同じように一人ぼっちになった兵十を励ましたいとも思いました。
ごんは、通りかかったいわし屋から数匹のイワシを盗み、兵十の家へ投げ込んで帰りました。償いになったかと思われましたが、兵十はいわし屋にイワシを盗んだと誤解され、顔を殴られたようでした。そこからごんは、自分でとったくりやまつたけを毎日、兵十に届けました。
兵十は誰がくれているのか、もしかしたら神様なのかとごんだとは気付いていませんでした。ある日、ごんが家に入るところを見かけた兵十は、いたずらをしに家に入ったと思った兵十は、ごんを銃で撃ってしまいます。
倒れたごんに近寄った兵十は、土間に置かれたくりを見て、全てを理解します。「お前だったのか」と兵十。目と閉じたまま頷くごん。
青い煙がつつ口から細く出ていました。

恩返し

ものとして、思い出されるのは「鶴の恩返し」。
鶴は一度、助けられる。
助けたお礼に恩返しをする。

ごんは助けられていない。
ごんが、勝手に不憫に思う。
そして、兵十を思い、仲良くなりたかったのではないだろうか。
いささか人間らしさのあるきつねがごんなのだ。

読み返してみて

「ぎんぎつね」はあれこれ考えてしまう作品だ。
最近は、アート作品を見ながら、思うこと感じることを言葉にして共有することで新たな見方や想像が膨らむという手法「対話型鑑賞」なんてものがあるが、あれこれ論じてみたくなる。

時代は江戸か明治か

初出は、1932(昭和7)年の作品。描かれた世界は江戸時代の終わりか明治時代なのかというところ。100年以上前のお話だと考えれば、現代人の我々と同じ感覚になれる部分と、そうでない部分があってもおかしくない。

まゆつば

嘘か本当かわからないような話を聞いた時、「まゆつば、まゆつば」と言いながら、指に唾をつけて眉毛を伸ばす仕草をする。
その昔、今の指紋や目の位置のように、人によって全く違うと言われる体の場所の一つに、眉毛の生え方というものがあった。
この眉毛の生え方を読み取り、その人に化けてしまうのが、キツネやタヌキだった。
化かされそうな話(騙されそうな話)に出合ったら、眉毛の生え方を読み取られないように、つばで眉毛を伸ばして隠すのだ。

キツネ

は、今のノラネコ(地域猫)のように、キツネやタヌキは身近にいたのかもしれない。現代のイノシシやシカのように荒らす害獣のような存在ではなく、生態系の中に、人もキツネも同レベルで存在したのではないかと想像する。
いやいや、想像はもっと進み、キツネに化かされるほど人に近かった。ケモノと人との世界・境界線はもっと曖昧だった。
猫や犬の気持ちがわかるように、キツネの気持ちがわかってしまう。
またキツネも人の気持ちがわかってしまう。
ごんも人の気持ちを慮り、クリを集めてきていた。

しかし、表と裏がある。

生態系の中で、現代人とキツネは直接隣同士にはいない。
昔はどうだっただろうか。
キツネを捉えて食べることもあった。

なぜ?

「村の茂平というおじいさんから聞いた話」と始まる。
関西人が、話を盛りに盛って話した後に「知らんけど」と言って、その真相と責任をあやふやにしてしまう感じにも似ている。
今とは違う世界(時代)のこと、キツネと人の関係性、
表と裏があった時代は昔の話。
今ではあり得ませんけどね、と最初に釘を刺されたようにも感じる。

ごんぎつね

で小学生は何を学ぶのか。
なんでかわからないが、最後、ごんがかわいそうで、
そして、兵十の辛い思いに共感し、なぜこんなことになってしまったのか、と後悔をする。正直、誰が悪いという話でもない。
ただ、ただ、切ない気持ちだけが残る。
この感情は何に似ているのだろうか?

最後の文、青い煙がつつ口からのぼる姿に人は何をみるのか。
もう戻れない時間、天にのぼる魂、煙は消えてなくなっても消えない匂い、
文学的な想像を掻き立てる文末。
読み続けられるには、意味がある。
ただただ、言語化しづらいからこそ、多くの人と気持ちを共有したい。
そんな読了感のある「ごんぎつね」でした。








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