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EVERYDAY大原美術館2023 vol.3「シャガールのラブストーリーは突然に」

3日目は、小雨の降る日。大原美術館の桜も咲き始め、春の気配はするものの、肌寒さは否めない。人肌恋しいなんて季節ではないが、そんな朝だったから「抱き合う2人」に目が止まったのだろうか。

今日の一枚は、マルク・ジャガール作「恋人」

ナカムラさんの「恋人」

「恋人」という題名

題名は良くも悪くも印象を引っ張られてしまう。自分がアーティストだと想像してみてほしい。アーティストは、絵を描く人でも歌を歌う人でもいい。
「恋人」という題名の作品を作るとき、対象の相手(恋人)がいないで作れるだろうか?恋人に宛てて、制作するのが自然に思えた。

ここからは偏見だが、恋人と順風満帆であるときに、わざわざ恋人を主題とした作品を作るだろうか。五輪真弓も福山雅治も「恋人」を失った時にその大切さを知り、歌っていたように思う。

恋人は失った時、その価値を知る

シャガールが恋人を失ったかどうかは知らないが、恋人とは何か、自分にとってどんな価値があったのかを絵にしたと考えてみたい。

色とりどりの世界

ナカムラさんの「恋人」はかなりカラフルに描かれている。青・赤・黄色・緑。シャガールの「恋人」も同様の色を使ってはいるが、もっと暗く、燻んでいる。よく見れば、上塗りされ暗くしたようにも見える。
これって、カラフルだった2人の時間はなかったわけではないが、今はカラフルではない状態を表しているとも見えてくる。

抱き合う二人

男性はきっとシャガール。女性は今回、お別れした「恋人」であろう。
気になることがいくつもある。女性が大きい。男性が小さいとも言える。
シャガールにとって、「恋人」の存在の大きさ、抱ききれなかったことを意味しているのだろうか。

シャガールの手は、女性の胸に。ただのエロ親父のようにも見えるが、精神だけじゃなく、実在する肉体も愛していたと訴えているようにも見える。

「恋人」の手は、自身のお腹に。女性がお腹に手を当てるとき、連想させられるのか子どもの存在。実際に妊娠していたかどうかはわからないが、その考えがあったことを想起させる。

何よりもはっきり書かれているのは、「手」。女性のスカートの模様が入っているところも細かいな〜と思ったが、意図的だと感じる「手」の存在。
撃つ手がない、手を尽くす、手に負えないなど「意志」のある行動を強く表現している一方で、「らしさ」のような個性があることも比喩しているように感じた。

不可解な青い人

抱き合う二人が描かれただけの作品なら、シャガールが描く必要はなかっただろう。画面を上に上がると顔の青い人が上から手を出している。昔の彼氏の怨念か、父親の妬みかと考えたくなるくらい暗く何かを操ろうとしているかのようにも見える。ここにも登場する意志のある「手」。

「恋人」たちにとって重要な要素は何か。
ラブストーリーは突然にで、小田和正が歌う。「あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら」。

あの日、お花見に着ていく春用のジャケットを探しに街へ出た。友人との待ち合わせ時間より少し早く着いたので、レコード店に入って時間を潰していた。レコード店に来るのは数年ぶりで、以前聞いていたアーティストのジャケットを確かめるように眺めていた。懐かしさと頭の中で流れる音楽につい夢中になり、振り返りざまに肩がぶつかった。

人間の行動は全ての意思を持って動いているように見えて、全て操られているようにも見える。例えば、戦争、災害などは言うまでもない。日常においても実は、誰かが上から糸で操っているのかもしれない。

「運命」の操り人が青い人。青い人は決して悪いことばかりではないようだ。青い人の手元には黄色く光る何かがある。正確にはあった。上塗りされてその輝きは半減しているが、確かにあった。光何かは「出会い」だったのかもしれない。ただ、今はその輝きは消え暗く閉ざそうとしている。

不可解な動物

ヤギのようにも見える白い動物。人間の「手」がくっきりと描かれているのと同様に、ヤギの「眼」は大きく開けられ、目撃者としての存在感を感じます。

人物としてではなく、動物として描くことで、そこにドロドロとした感情は無視した「二人は出会った」「二人は愛し合った」「二人は別れた」のような事実だけを記憶する時の流れのようにも見えてきます。

言い換えれば、その一瞬の出来事は、感情によって彩られていて、その事実だけではただの出来事。そして、その一瞬は常に流れていき、記憶は消えていき、書き換えられていく。とても曖昧なもの。反面、「あの日、あの時、あの場所で」はいつまでも変わらない。ヤギは、時間に記憶する事実の番人であり、感情を消し去る薬でもある。

恋人よ

「私はあなたを愛している」二人の関係性は時間とは関係なく普遍だとしても、「運命の悪戯」によってキャンバスは薄暗くなり影を落とす。
どんなに幸せな瞬間も、どんなに悲しいどん底であったとしても、時は過ぎていく。後になれば「一瞬」の出来事であるかのように。「永遠」とは時間軸の中にはなく、心の中にだけある。




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