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『東京の生活史』感想 2人目

<2人目>2023.09.19 読了

 蕁麻疹の薬が切れそうだったので、仕事帰りにかかりつけの皮膚科に寄った。

 薬はかれこれ1年以上飲み続けている。春、夏の花粉症対策としても飲んでいるが、飲み忘れるとその日の夕方頃から頭や手、耳の痒みが止まらなくなり、「やっぱり薬がないとダメなんだ」と途方に暮れる。

 古いビルの6階にあるその皮膚科の待合室には、昔ながらの青いビニールの椅子が配置されている。待っている患者は2人ほど。

 順番を待っている間、蚊がどこからか飛んできて、「皮膚科のくせに蚊が飛んでていいのか!?」とキレそうになった。キレないけど。

 10分ほど待ってから、呼ばれた。

医者「久しぶりみたいだけど、その間は(薬は)他のところから貰ってたの?」
私「はい、花粉症だったので耳鼻科とか眼科とか…、この前飲み忘れたらやっぱり痒くて…」
 いつまで飲まなくてはならないのか。他に治療法がないのか聞きたかった。しかし遮られる。
医者「妊娠はしてない?お酒は飲まないよね?」
私「はい」
医者「運転は?」
私「日頃はしません」
医者「運転する時は、飲んじゃダメな薬だから。じゃあ、30日分出しとくから」

 診察は終わった。10分待って、特に診られることもなく3分で終わった。
 蕁麻疹は原因の特定が難しく、薬で治るなら薬で、という治療方針なのはわかる。しかし、この先の人生ずっと飲み続けなくてはならないのかと考えると、恐怖を感じる。これではまるで薬漬けだ。


 「東京の生活史」の1人目を読み終え、なんとはなしに感想を投稿したら、編者の岸政彦先生に届いてびっくりした。noteの小さな片隅でも、わかる時はわかるのだなとインターネッツの凄さを体感する。

 それから、「東京の生活史」を貸してくれた友人に謝罪の連絡を入れた。罪状は、借りた本で勝手に感想を書いた上に、150人分の感想を書こうなどと無謀な計画を立てたことである。

 すると、友人から、「誕生日プレゼントとしてその本あげるよ」と返ってきた。私の誕生日は8月であった。

 人から本を譲ってもらうのは何年振りだろう。私は、おそらく友人が折り目をつけただろう892ページを開いた。

「なんか見つかるんだよね」「そうね、ほんとそう。必ず見つかるんだよね」


 語り手は、駒沢で生まれ、幼少期を等々力で過ごす。裕福な家庭に育つが、喧嘩の絶えない小学校生活を送る。中学3年生の時に薬物を始める。高校中退後、音楽の専門学校に通う。25歳で1回目の結婚、薬物をやめるが、妻の浮気が発覚したのをきっかけに再開。離婚後、当時のパートナー(現在の妻)に誘われる形でキリスト教の洗礼を受ける。再婚後、妻に危険ドラッグを勧める。妻が心身を壊したのをきっかけに、警察沙汰となる。その後薬物依存患者の自助グループに通い、薬物を断った。

 この語りは、語り手の他に彼の妻が同席している。

 はじめに感じたのは、語りを読むことは、聞き手の編集を読むことだ、ということ。

1人目の語りは、語り手の言葉がメインで、聞き手の質問やコメントは最小限に書かれていた。実際のインタビューがそうなのかもしれないし、編集する際に聞き手が自身の言葉を削ったのかもしれない。

 2人目の語りでは、語り手、妻、聞き手の「会話の様子」を読んでいるようであった。面白いなと思ったのは、語り手や妻が離席したことも記述されており、その離席によって語り手の言葉が生まれていること。

例えば、以下のやりとり。

(妻、ドリンクバーを取りに一旦席を外す)
 そっからがまた、大変でしたね。
――いやー、大変でしょうね。
 そこから地獄でしたね。なんていうか、俺だったらどうでもいいんだけど、アイツが壊れてくから。それがもう大変でしたね。そばにいて、そういう状態のアイツに寄り添ってないといけない。本人は幸せそうなんだけど、それがね、大変でしたね。
(妻、戻ってくる)
(妻) なんか変な話した?
 いっぱいした(笑)。

『東京の生活史』p.896

 このやりとりは、抗鬱剤が一切効かないと言う妻に、語り手が(ドラッグであることは言わずに)ドラッグを勧め、一時的に妻の体調が回復した文脈で行われている。

 彼は、ADHD(と彼は自認している)の特性で悩んだ小学校時代のことも、教師に暴力を振るわれ高校を中退したことも、浮気した元妻が病んで看病したことも、どんな悲劇も笑い混じりに話していたが、ここで初めて、本音を漏らしているように思う。

 彼らの語りからは、終始「薬物が救いだった」という気持ちが伺える。彼が元妻の看病で辛い状況にあった時も、妻が抗鬱剤でも効かなかったという時も。

 私も去年、「ここで薬物とか勧められたら手を出してしまうかもな」と思う瞬間があった。休職直前の、精神的に辛かった時だ。弱ってる時、もう全てがどうでもいいやと思う時、その心の隙間には、何かが入り込もうとしてくる。その「何か」から私を守ってくれたのは周りの人で、彼らにとっては「神」なのだと思う。

 妻がいよいよ薬物によって心身を破壊され、部屋もめちゃくちゃになった時、十字架のキーホルダーだけは、壊しても探し出し、くっつけては復活させていたという。タイトルの「なんか見つかるんだよね」「そうね、ほんとそう。必ず見つかるんだよね」は、この十字架のことだ。

 語り手がキリスト教の洗礼を受けた話を読むと、私は何度でも泣きそうになる。それは、この語りで突然訪れた「告白」だ。

洗礼を受ける直前なんすけど、なんかね、突然涙が止まんなくなったんすよ、教会で。<中略>で、ものすごい楽に、楽・・・・・・「あ、この背負ってるやつ、預けていいんだ」っていうのが、感覚的にわかったんですよ。

『東京の生活史』p.899 ※一部中略

 彼は元妻との間の子供を2回、亡くしている。彼はそれを、「罪」として背負い続けてきた。本当はダメだと分かっていながらも、薬物に手を染めてしまう自分、周りを傷つけてしまう自分もまた、「罪」として背負っていかなくてはいけない。

 しかし、妻が薬物で壊れた時も、彼を死の道から遠ざけたのは神への深い信頼だった。彼は深く信じることのできる存在を得たことで、自分を許した。


 薬物乱用は絶対にしてはいけない。ダメ、ゼッタイである。
 しかし、「何かに縋りたい」という気持ちは、誰にでも存在する。

 彼は痛みを分かち合えるパートナーと出会い、自分を許せる場を見つけた。彼がなんとか繋いできた命は、やっと救われたのだ。



(感動した最後の最後、運ばれた病院の看護師に注射を投入された時に、「お前を殺すリストに入れるからな!」(p.900)と言ったらしく爆笑した。この語り好きすぎる。笑)


 聞き手によって、語りの「表し方」も多種多様なことを知った。聞き手はきっと、「語り」が一番生きるように編集し、削りたくないギリギリのラインで戦って仕上げたはずだ。語りの内容だけでなく、その編集の仕方も着目したい。

 また、「本気で感想書くか・・・」と気を改め、電車でも読めるよう電子書籍も買った。これからは、電子と紙の二刀流で読むことにする。


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引用文献

岸政彦 編(2021).『東京の生活史』.筑摩書房.


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