見出し画像

『東京の生活史』感想 1人目

<1人目> 2023.09.18読了

 先週の土曜日、かれこれ10年以上の付き合いになる友人宅に泊まりに行き、彼女の部屋で『東京の生活史』という、上から振り上げれば殺人事件が起きてすぐさまコナンくんがすっ飛んできそうな本を見つけた。本の存在は知っていはいたが、その分厚い見た目から、読む覚悟ができずに2年ほど経っていた。

 彼女から「貸してあげるよ」と一声あり、お土産に持ってきた和菓子の紙袋と、彼女の家の界隈で有名なケーキ屋さんの紙袋を2重にして、翌日自宅まで持ち帰った。

 本を開いてみると、「はじめに」のような、「この本はこういう経緯で書き始めて、聞き手の職業はこうで語り手は〜の人」といった、読む上での「枠組」みたいなものが一切書かれていなかった。

 インタビューの場合、聞き手の所属や立ち位置が「語り」そのものに影響を与えるだろうが、その情報が一切ない、ということはあえて「何もわからない状態」を狙っているのか…?と考え、そのまま目次を見る。

 目次は、語りから一節を抜き出したのだろうなぁ、という感じ。最初の人から読む、というより、気になった人から読むことにした。


「やっぱり一番根底にあるのは、普通の社会、一般社会の中で、『普通に働けるよ』っていう姿を見せたいっていうのはあります」


 タイトルの「普通に働けるよ」の部分に惹かれ、100ページを開いた。この人の言う「普通」とはなんなのか、気になる。

 語り手は、幼い頃に両親が離婚、母親が精神疾患を患ったことをきっかけに、児童養護施設に入所、18歳まで過ごす。高校卒業後、印刷会社に入社、15年ほど勤め、転職する。結婚し、3人の子供がいる。現在は、養護施設の子どもたちに、自身の経験を伝えるボランティアをしている。


 全体を通して、「懸命に東京で生きてきた」ことを伝える、熱量を感じた。自分は人生のあの部分でこう考えたので、こういう選択をして、それが今につながっている、というような。自分の周りに児童養護施設で育った人はいないーーいや、語り手の彼自身は学生当時、そのことを隠していたから、私の周りにも同じ境遇の子がいて、私が知らないだけかもしれないーーが、私と彼では同じ月日を生きていても、彼の方が濃密な人生を過ごしているように感じた。

 以下の語りが印象に残った。

今高二の男の子なんですけど、これから大学を選ぶ姿を見ていて、いつも、のらりくらりやってる姿を見てると、なんか物足りないなという感じはします。逆に、「普通のサラリーマンになりたい、普通の家庭を持ちたい」って思ってた自分からすると、もしかしたら、これはこれで幸せなのかなぁという、というふうに思ってる部分もあって。

『東京の生活史』 p.104

 引用の部分は、彼の家庭についての文脈で語られている。
「普通の」家族像、「普通の」家庭像、といった時の「普通」は、その人の中にあると思う。「普通」という言葉を使う時、その裏には「普通でない」という状態を意識せざるを得ない。(自分は)普通ではない、とどこかで思っていないと、「普通」をあえて目指すことはないのではないか。

 「普通の家庭」というものは、残念ながらこの世にはない。幻想だ。しかし、息子が「のらりくらり」と人生を選択できる状態は、彼が人生を懸けて築き上げてきたものの結果であり、それは彼にしか味わうことのできない唯一無二の「普通の」幸せなのだと思う。


 このnoteは、他人の半生を語ったインタビューを読んだ時、自分自身はどのような状況で、どのような気持ちで、どのように感じたのかを記録した、「私の記録」である。1人目を読んだ時と、50人目を読んだ時、100人目を読んだ時、150人目を読んだ時、この『東京の生活史』自身に対する読む態度も異なるかもしれない。読めずに終わってしまうかもしれない。その変化を記録したいと思っている。

 とりあえず、自分が死ぬまでに150人目まで到達したい。


===
引用文献

岸政彦 編(2021).『東京の生活史』.筑摩書房.

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?