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1再生の裏側に―本から血が出そうな、『ねじねじ録』を読んで

1台のスマートフォンから平等に、発売年も、買う買わないも関係なく、等間隔に音楽が流れるようになってから、この音楽は人間が作っている、という事実を忘れそうになるときがある。


曲名をタップすれば当たり前のように音楽が流れる。それは、子供の頃に親に連れて行ってもらったバイキングのように、調理された食べ物が陳列されている感覚に似ていて、これを食べたいからこれのためにお金を出す、という意識がないような、そんな感じ。


これはあんまりセカオワのみなさんには言えないけれど、近年の私は、アルバムを買うのではなく、サブスクで音楽を聴いている。2010年に発売された『EARTH』の収録曲「虹色の戦争」と、2021年に発売された『scent of memory』の収録曲「silent」が当たり前に隣り合う世界で、セカオワの音楽を聴いている。


ひとつひとつの音楽が平等に陳列されるサブスクのアプリを使ううちに、音楽というものは、体温のない、記号のような存在になってしまった。


***

冷蔵庫の扉を開けっぱなしにしたまま、「自分はベストを尽くしたはずだ」と考えようとしても、ぼろぼろと涙が溢れて止まらなくなった。(藤崎彩織『ねじねじ録』p.134より)


藤崎彩織著『ねじねじ録』の「アーリーバードマン」という章の一節である。

2020年に発売された「silent」という曲について、メンバーのFukaseやNakajinの作詞・作曲に彩織さんがコンペで負けてしまった時の話である。

冷蔵庫を開け放した時に鳴るピーピーというエラー音を聞きながら、私は夜通し泣いていた。(藤崎彩織『ねじねじ録』p.134より)


「silent」については、発売された当時、主題歌となったテレビドラマの内容に合った、良い曲だなあという印象しかなかった。クリスマスのような電照の中、GUCCIの衣装を着て歌い、演奏する彼らをMVや音楽番組を通して見た。10周年の年にコロナに見舞われ、記念のドームツアーやイベントが延期になる中、テレビドラマの主題歌が2本も決まり、セカオワはなんだかんだ安泰な活躍を続けているように思えた。


だが、私の残念なことに、「失敗」や「敗北」には共感しても、「成功」や「勝利」には共感できないのである。「安定」や「安泰」を感じた瞬間にその作品に何を求めたら良いのかわからなくなる。例えその「成功」までの道のりにどんな努力や失敗があっても、私はそれを知ることや見ることはできないし、プロはそもそも失敗したことや苦い経験を大々的に言わない。


SEKAI NO OWARIという音楽のアイコンが確立しつつあるなかで、彼らはやっぱり私の手には届かない、スターだった。テレビやラジオ、雑誌、SNSで見かけるセカオワは完璧であり、「Fight Music」の歌詞にあるような「なんにもうまくいかない」なんて状況は、今ではもう考えられないと思っていた。


でも、『ねじねじ録』には、その「成功」の裏側にあった彩織さんの苦い思いや、仕事や家庭の狭間で揺れ動く葛藤がたくさん記録されていた。

自分に期待する気持ちと、自分はその期待値に届かないのではないかという不安、その不安を払拭するための必死な努力。


女性、妻、母、SEKAI NO OWARIのSaori、どれも彼女にあてはまる言葉だけれど、『ねじねじ録』には彩織さんという一人の人間がどんな風に考え、悩んで、生きているのか、読んでいると本の紙から血が出そうなくらい、人間だった。


作品は作品自身で評価されるべきであって、作家のインタビューの言葉やそれにまつわる記録など関係ないとは思うけれど、ひとつの音楽には一人の人間のちぎれそうな思いや人生がかかっているのだ、と改めて感じた。


彩織さんが「ねじねじ」と悩むように、私は「うじうじ」考えて「ぐるぐる」してしまうタイプだが、彩織さんのように、ひとつひとつの現実から逃げないように、もっとがんばらなければ。


『ねじねじ録』には、セカオワのこと以外にも、彩織さんのご家族、幼少期の思い出、お酒の失敗(笑)など、様々な悩みの記録が書かれている。

好評発売中です、ぜひ読んでください。(誰だよ)

おわり


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(「silent」についての備忘録)

『ねじねじ録』の中で触れられる「silent」という曲について、『飛ぶ教室』(エーリヒ・ケストナー著)を読んでいたら、「silent」の歌詞がふとよぎりました。

物語は寄宿学校(全寮制の男子校みたいな感じ)が舞台で、クリスマスになると生徒達は里帰りできることを楽しみにして、クリスマス当日は浮かれたムードになる。しかし、マルティンという男の子は貧困家庭の出身で大好きな家族のもとには帰れず、クリスマス当日は嬉嬉とした他の生徒達に、自分は帰れないことを伝えられず、嘘をついてしまう。そんな切ないシーンに、「silent」の歌詞がすっっっごくあう。


”クリスマスなんて無ければ

いつも通りの何にも変わらない夜なのに”


恋愛だけでなく、「クリスマス」というものが特別な文化圏であるほど、様々な事情からその文化から排除されてしまう人たちに寄り添ってくれる歌詞ですね・・・。(物語では、マルティンは結局素敵な先生のおかげで里帰りできるのですが)

『飛ぶ教室』も、作者のケストナーは夏の暑い日にクリスマスのお話を書いたそうですから、真夏に制作された「silent」と共通点がありますね。ふふふ。


本当におわり

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