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映画感想文_Winny

実在した一連の事件を映像化・映画化した作品。
実際の事件当時私は小学生〜中学生くらいの年齢で、正直この出来事自体は記憶になかったが、これまた映画好きな同僚(50代の大先輩)曰く、とても記憶に残っている大きな話題になった事件だったらしい。

「ナイフを使用した刺殺事件で、ナイフを作った人は罪に問われるのか。」
誰が見たってナイフを「使った人」が悪い。
ナイフを「作った人」に罪はない。明白。
本作の事件は、言わば「ナイフを作った人が、そのナイフを人を傷つけることを目的(のひとつ)として作ったのか」という部分が争点となっていると私は解釈。
それって誰がどう判断すべきなのでしょう?
そんな意思は毛頭なくとも、ないことの証明は出来ない。
様々な思惑やwinnyを悪用しての事件が絡まり、事態は大きくなっていく。


話変わって今やSNS全盛時代。
自己発信や情報収集・交換のコミュニケーションツールでありながら、
企業の活動や、はたまた選挙活動なんかにおいてもSNSマーケティングが不可欠。
そんな時代においてもSNSにおけるバッシングやアンチコメントなんかは当然の如く横行している。
これもまた様々な事件を経て、利活用方法が見直されて、
誹謗中傷よくない、そういうのやめよう、みたいなメッセージが数多く飛び交っている一方で、未だ特定の個人に対する誹謗中傷の発信は数多く存在する。
敢えてなのか、無意識なのか。
きれいなモノや美しいコトが過剰に賞賛される時代である一方で、そんな醜さは生活のなかにあり溢れている。
特定の個人へのバッシングもあれば、些細な言動で芸能人が炎上するようなことも。
炎上というワードを使うとその対象者だけが悪者のように映ってしまうが、出来事・事実の上っ面だけを掬い取っていて、そこに心情や前後の背景は存在していないことも多い。

例えば直近の話題で言うと、オードリーの春日さんが情報番組のロケ中にペンギンの池に飛び込み、動物愛護の観点から炎上しているらしい。
そしてラジオの生放送で謝罪どころかその話題に触れなかったことでさらに炎上しているとか。
動物園側と交渉したスタッフがいて、ロケの許可をした動物園のスタッフがいて、撮影クルーがいて、ノリでフった加藤浩次がいて、飛び込んだ春日がいて…
そしてバッシングをする視聴者がいて、バッシングを盛り上げるオーディエンスがいて…  
誰かひとりが悪いわけではないこの状況なのに、誰か一人を悪者に仕立て上げようとしているように見えてしまうこの風潮。
すごく違和感を感じる。
第三者が吠えたらそれが正になってしまうこの社会、健全じゃないよな…

映画の内容と少し逸れてしまったかもしれないが、
この映画内の出来事も、15年経過した今も、変わらないんだなと思ってしまった。
だれかひとり悪者に仕立て上げ、その悪者を罰することで収めようとする。
ブレーキのないトロッコに乗っていて線路を切り替える状況にあり、一方を選べば一人が犠牲になり、もう一方を選べば100人が犠牲になる。さあどっちを選ぶ?
みたいな使い古されたトロッコ問題のようだ。

映画感想文として書き始めたのに話が変な方向へと行ってしまった。
この実際の事件が解決した後、金子さんはご病気で亡くなったらしい。
ひとりの天才が能力を発揮される場を奪われ、非常に大きなストレスを抱えながら戦った。その末に大いなる才能が失われたと言える。

なにが正しくて、なにが正義で、というものは人によって変化する。当然。
ただ自分自身は、自分の正義を持ちながらも相手の正義に理解を示し、客観的に判断できる人間でありたい。

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