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音にて云う

この題名は、言うまでもなく宮沢賢治の「眼にて云う」のもじりです。

あの詩は、死に瀕している患者の視点で書かれた大傑作と思うのですが、
クラシックの録音にも、まさにそんな世界がひろがっているものがあります。

巨匠達のそれぞれの辞世の歌は、まるで音で書かれた眼にて云うなのです。

まず、バックハウスです。バックハウスには「最後の演奏会」という、録音があります。
この演奏を聴いていると、眼にて云うの次の部分が思い出されるのです。

「魂魄なかばからだをはなれたのですかな」

「わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです」

若き日には鍵盤の獅子王といわれたバックハウスですが、不思議なほどに優しい風情です。


さて、トスカニーニのラストコンサートにも、そんな風情があります。

「けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな」

この何とも言えない「美しい辞世の音」は、剛毅な巨匠の、実に本当の根底にあったカンタを私たちに聞かせてくれます。

Altus盤ジャケット


一方で、最後まで変わらずに気品のある演奏をしたのは
ディヌ・リパッティでした。
最悪の体調の中、敢然と己が使命と対峙した精神力の強さを感じる演奏で、「私も自分の使命から逃げずに生きていこう」と何度も思わされました。

https://youtu.be/hBCnXZztxcs?si=CwLc7rI1LkEilgjY


今日は賢治を読んでいたら、巨匠たちの魂の演奏が思い出され、記事にしてみたくなりました。

拙文お読みくださり有難うございました。


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