実生活での指導(1)「指導集に見る指導」「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第26回

 池田の指導は、請演、著作、座談会などいろいろな形で行なわれるが、池田大作著の「指導集には、池田を囲む質問会での代表的な質疑応答百例以上が収められている。その内容は信仰のあり方、学会活動、生活、職業、仏法の生命観に分けて日蓮の「御書」の解説、学会活動の実際などが含まれている。その中から教学上の指導はのぞいて、いくつかを紹介してみよう。

人材登用の組織
問  人材登用について。
池田  それはすべての世界に共通する根本問題です。会社においても、政界においてもそれから学会においても、すべて人材によって偉業というものは成し遂げられる。人材でない人物が指導者や上役になっていった場合には、必ずその世界はくずれてしまう。
 人材は見つけるものです。そして見つけたならば、自分より偉くしようと努力し、励まし、そこから先輩の人にどんどん近づいていく方法が、人材登用、人材抜擢の近道です。 自分以上に広宣流布に活躍する人材を見つけるならば、あなた自身が広宣流布に貢献したことになり、偉大な功徳が得られるのです。

指導者のあり方
問  指導者、先輩のあり方
池田  指導者は、皆が納得しついてこなければ失格です。だからそれだけ自己完成に努めることが大事だ。偉ぶってはいけない。思いやり深く、そして責任感の強いことが、その資格といえるでしょう。だからといって,ぼろ聖人になってはいけない。偽善者になってもならない。これからの指導者は わからないことはわからないと率直にいえるような、人間性豊かな態度でいくことです。ただ指導者、先輩として、よりいっそう勉強し、なにを聞かれても指導しきれる力をもつことが大切で す。これがないと、いくら人物がよく、人格者だと慕われ、おだてられても、頼られない人になっては失格です。

問「世界の指導者たれ」といわれても、木工工場の職工ではそうなれないという卑屈な会員がいるが。
池田  精巧な機械も、部分部分が結合、調節されて、はじめて一個の機械としての使命を 達成できる。学会も同じです。理論家、実践家、政治家、教育者などさまざまです。しかし、異体同心の原理からみれば、すべて世界広布の道に連なっているわけです。ヒノキ舞台に立つ人、それを支える人が一体になるごとが、民主主義の根本原理なのです。
したがって、どんな培遇であろうと、絶対卑屈になってはならない。信心に   上下貧富の差は決してないのです。
 有名人になること、世にいう偉い人になることが世界の指導者とは断言できない。人間的に偉い人、信心の強い人、広布に 生命を捧げている人のほうが、どれほど大切であり、悼大であるかは、仏法の哲理に照らして明らかです。
 いまわれわれは、日蓮大聖人の大仏法を奉じての活動です。職工だからダメなどという卑屈はもっとも恥ずべきだと思います。職工で一生を終わるとしても、その生命が生活が幸せに満ちて終われば、庶民の大指導者ではありませんか 。

問  残業や内職をしなければならない入の学会活動はどうしたらよいか。学会活動と社会など。
池田  とうぜん、残業、内職していくべきです 。御書に一切世間の治生産業は皆実相と相違背せずとあります。信心即生活である。信心は、形式だけのものではけっしてありません。生きていく根本ヵを支えるものです。その人の境遇をより幸せにしていく原動力である。けだし、もっとも幸福な、安楽な境遇、環境を自ら築いていくための信心であることを自覚しなくてはならない。
 環境に支配されてしまうか、環境を支配し、より価値ある 生活環境をつくりゆく自分を確立するかが勝負であり、信心です。早く平常な安定した生活即信心になるまで応援してあげてください。人のために尽せるしあわせを忘れないで、誇りをもってそのような不幸な人々を忍耐強く指尊してあげてください。これこそ学会精神と自覚し、誉れ高く前進しようではありませんか。