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体験(2)師匠との出会い 

47年前の8月1日,ある研修道場。暑い日だった。
「やあ,みんなよく来たね。待っていたんだよ」私たちはそこに師匠がいるなどと誰も知らなかった。言論問題の最中で師の顔には疲労の色が濃く,むくんでいるように見えた。白い浴衣を着ていらしたので,静養されているご様子だった。

お疲れのようなのに,緑豊かな庭の木陰で懇談が始まった。
師は若い私たちに「青春抄」を通されて,社会,政治,経済,人間関係,家族,そして信心について2時間ほど話して下さった。
師は,身体の調子の悪い女子部がいるのを目ざとく見つけ,「〇〇君,注射!」と言って,それから彼女を側に呼んで,お題目を唱えた。〇〇君とは医師だった。

「家族が信心していない人」と聞かれ,私を含め20人ほどが手を挙げた。
「何も心配いりません。心配しなくていい。一家で一人が立てばいいんだ。
青年の仏法だからね。年寄りにはわからないことも多いんだ」

ちょうど聖教新聞に「厚田村」の歌が発表された日で,師は一小節ずつ歌唱指導をして下さった。
「先生,今度は私たちが歌いますから,聞いてください」
私たちは覚えたての歌を精一杯歌ったが,
「下手だねえ。日本一歌が下手だね」と。
しかし,そんな歌が下手な私たちに「厚田会」という名前を付けて下さった。

懇談終了後は予定していた研修内容はすべて中止し,師の言われた言葉を一言も忘れまいと,皆でノートに書きだした。
如是我聞の作業だ。

夕食も一緒にということだったが,急な来客で伝言だけ頂いた
1.生涯信心から離れてはいけない
2.どんなことでも話せる先輩を持ちなさい
3.わかってもわからなくても,毎日御書を読みなさい

半年後の秋,師から「皆,厚田村に行っていらっしゃい」というご伝言があった。私たちは喜びいっぱいで北海道に向かった。 厚田の海に向かって歌おうとしたが,皆涙で歌うことができなかった。

研修道場で師は「50年後にまた皆で集まろう」と言われた。あと3年でその日が来る しかし,当時の幹部始め,誰も行かないと言っている 理由は「現在の学会の方針と異なる」からだそうだ。その方針とは
1.鳳雛会のような全国組織でも集まらないのだから,厚田会のような小さなグループが集まるのはおかしい
2.特定のグループに属していると,エリート意識を持つ
3.地元の活動には参加しないのに,このようなグループの会合には参加するような人がいるので,それは好ましくない。

冗談じゃない。
創価学会がどのような体制になろうとも,師との約束は約束だ 。
この「現在の方針」とやらは,誰が言っているのか知らないが,要するに,池田先生が作った人材グループは解散させるという方針だということが透けて見える。

3つの約束はすべて果たした。最後の約束が3年後の今日なのだ。
5年ではない。50年という目標を頂いた事の意義を深く考える。
皆,若い女子部だったが,すでに亡くなった方,宗門へ行った方などもいる。
その日が来たら,たった一人でも,私は行きます。