人間・池田大作(4)傲慢への怒りと思いやり(2)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第14回

いたわりの心
 池田が傲慢に対してこのように過敏なのは、個人の傲慢が、ひいては社会全体の不幸につながるとの考えでもあるからだ。池田は最近ある雑誌に「現代の傲慢」と題する随筆をよせている。その要旨はつまり、人間疎外、人間不在と深刻ぶって批判している当人が、自分の非情さに気づかず、悩み苦しむ人々をへいげいしている。月の裏面を探究する努力はしても、ベトナムあたりの一人の老婆の顔にきざまれた不幸のしわが何を物語るかに思いを至さない。そして「厄介なのは戦争よりも、人間の思い上がりである」と現代の世相を痛烈に批判している。
 池田の傲慢に対する反発は、とりもなおさず、人に対する思いやり、とくに弱いもの、貧しいもの、不幸な人たちへのいたわりとなって現われる。彼自身、若いころ家が裕福ではなくて、商業学校も専門学校も自力で夜学に通わねばならなかった。会社の用事で大八車をひいて銀座を歩き、オーバーなしですごした冬もあったという。苦労をしただけに、貧しいもの、弱いものの心がわかるのだろう。
 いまの池田は、著作の印税だけでも大変なものだろうが、「生活経済を地味に確立してゆ くこと、広布のため、学会のためには、全財産を捧げること」( 若き日の日記 二十七歳)の誓いどおり、印税はすべて学会に寄付している。家はいまだに借家だし、彼の今日の社会的地位に比べれば、私生活は質素である。
 あるとき香峰子夫人から応接用のウィスキー代がきれたときいた池田は、学会本部から「届けてもらいなさい」といった。本部には学会外部から池田宛に贈られるこの種の贈りものが置いてあるためだが、その後でこんどは「ウィスキー代として一万円本部に返しなさい 」。「結局同じことでした」と香峰子夫人は苦笑する。
 私生活に対する態度は、「いかなる境遇になっても、中流の生活を忘れるな」という戸田の遺訓のせいもあるだろうが、池田はいわゆる金持を好まない。正確には、金持にありがちな虚栄、傲慢さ、思いやりのなさなどに対する抵抗だろうが「金持の仮面を知っているだけに庶民がますます好きになります。生涯庶民として生きますよ」という。そして学会の青年たちに対して「地位、名誉をすべて捨て去って、素っ裸の人間として勝利を得ることが人生最高の勝利者だ。虚栄に生きるべきではない」と教える。

陰の人への愛
 四十二年秋、東京の国立競技場で文化祭が催されたとき、場外では国電信濃町、千駄谷駅などへの沿道、競技場内外で多数の男女青年部員たちが、十数万の参加者,来賓たちを誘導するため整理にあたった。また、来賓席のスタンドでは、競技場でくりひろげられる華麗な人文字を、ただの一度も振り向いて見ることなく、終始来賓に向かって立ちつくす女子案内係の姿があった。
 来賓の一人は、「若い女性が自分の任務に対するあれほど徹底した責任感をもっているのには驚いた」。また、ある来賓は、文化祭の始まる前一時間、終わったあと一時間の整理員たちの動きをみて「競技場内の文化祭そのものは、他の団体でも、あるいは練習によって可能かもしれないが、その前後の一時間は、真似できない」と感嘆をもらしたという。
スケールの雄大さ、みごとな団結によって大成功をおさめたのも、こうして陰で働く人たちの地味な努力があったわけである。この文化祭は、カラーで撮影され、その後全国各地の組織で上映されたが、池田はこの映画のプリントができると、誰よりもまず整理にあたった青年部員に見せて、その労に報いた。
 大きな会合でなくても、いつでも会場付近の道路に遠くまで整理員たちの姿がみられるが、池田は三十年五月三日、日大講堂で第十二回定期総会が開かれた日、終了後、黙々と会場の掃除に励む名もない男女青年部員の姿に「生涯陰で苦労せる人々の心情は絶対忘れぬ」(若き日の日記)ことを心に誓っているのである。
会合における整理員にかぎらず、池田は議員などの華やかな活動の陰で真剣に創価学会の土台を支えている人たちへの思いやりを忘れない。聖教新聞の配達員に寄せた詩のひとつ「無冠の友よ」の一節につぎの言菓がある。

名誉輝ける人より陰で支える人
僕は君等のことを決して忘れない。
僕もかつておなじ途を走ったからだ。

老人をいたわる
 月一度東京で開かれる本部幹部会は、月々の活動方針が示される点で、重要な会合となっているが、ここに 全国から集まる一万数千の幹部の中には北海道、奄美などの遠隔地方から船、列車を乗りついで上京してくる人もある。池田が奄美に行った際、同地の幹部から代表としてこれに参加するために往復一週間以上もかかる実情をきいた池田は「それは大変だろう」というと、すぐ「こんどから鹿児島間は飛行機にしなさい。本部でそのようにしてあげよう」と同行の幹部につげた。
 翌日池田は奄美を離れて大阪に向かったが、私はそこでこの幹部から、「東京と連絡のうえ奄美のほか、交通不便な遠隔地から本部幹部会に出席する人にも該当することが決定した」ときかされ、その処理の早さに驚いた。つまり米大統領ではないが、本部は、つねに池田とともに移動していたわけである 。
 池田は年寄りに対して、とくにいたわりが深い。地方での指導会、そして写真撮影会、どこへ行っても、その中て最年長と思われる老人をみつけると自分のそばへすわるようにすすめる。写頁撮影会が終わると「〇〇歳以上の人は手をあげて…。記念にお数珠をさしあげましょう」。同じものでも池田からもらうものは、学会員にとってカネでは計れない感動がある。
なかには、すれすれの人もいるようだが「来年なる人は駄目ですよ」と冗談をいいながら、手をあげた人たちにくばるのである 。
 大阪では創価学会の関西芸術祭が開かれたとぎ、車から降りて一直線に素早い足どりで(いつもこうだが)会場に入ろうとした池田は、切符がないため入れず、入口付近にたたずんでいた年配の婦人を目ざくと見つけると「一緒に入りなさい」と促して会場に入れた。
 さきの沖縄訪問の際、池田が八十近い老婆とやさしく頬ずりをしている模様が写真入りで伝えられているが、他の指導者たちに、果たして自然にこのような振舞いができるだろうか。
 ある人は「対象は創価学会員に限られたことだ」というかも知れないが、その創価学会自体約七百万世帯、一千万の人口をもっているのである。

しわくちゃの恋人
 池田の家には九年近く勤めたお手伝いさんがいたが、池田は三人の子どもたちに対し、「お姉さんと思え」といってきたという。そのお手伝さんに、気持よく働いてもらい、かつ立派に育てることは学会指導の縮図だからだ。池田はこの女性の結婚式には長男を代理として出席させている 。
 私はこうした池田をみるにつけ、地位の上下、貧富、美醜にとらわれず、一人一人の人間を尊重する気持ちを感じさせられるのである。
 ある財界人が池田と話したとき、女性への興味を話題にした 。池田も自分と同じ男であることを試したかったのだろうが、その時池田は答えた。「 私には、しわくちゃな年老いた恋人が多勢います」
 ここに述べてきた傲慢に対する怒り、弱者に対する息いやりなどが、人間・池田大作を特色づけているように思われる。もちろん、それは一つの構成要素にすぎないとしても、そこからかもし出される人間的な魅力が多くの人々をひきつけるのであろう。