民藝は芸術運動として役割を終えるべきではないか。
民藝と聞いて、人は様々なものを思い浮かべる。
ある人は、田舎のお土産もの
ある人は、昔ながらの手仕事で、地域性が反映されている器
ある人は、柳宗悦がはじめた民藝運動
ある人は、日常に美を見出す思想
民藝界隈において、この認識の統一感のなさが現代の民藝の問題であるようだ。
そして、一つの品について
”これは民藝、これは民藝でない。”と、二元論に陥ってしまう。
これは、民藝とはなんぞやを端的に表現していないことが原因と思われる。
ここでは民藝の存在意義を、「民藝運動が追求した美の価値感の提示」に絞って言及することとする。
民藝とは何か
辞書にはこう書いてある。
ふむ。
ところで、界隈では民藝をどのように定義しているかと言うと。
「日本民藝協会」の民藝とは何かのページで以下のように説明している。
つまり、民藝運動は新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示する運動であり、民藝はそれを提示するための良い工芸品なのだ。
なぜ民藝運動がはじまったか
民藝運動のはじまりは、運動がはじまる1926年以前、以下のような社会的背景があったことに起因する。
a. 大量生産大量消費の社会が現れつつあった。(1800年後半に鉄道が普及し始め、工業社会へ変わる時期。ちなみに本格的な大量消費社会台頭の高度経済成長1960年頃には民藝ブームがあった)
b. 近代美術への変遷により美術と工芸にヒエラルキーが現れつつあった。(日本には本来、美術と工芸に明確な違いはなかったが、明治以降の西洋化で美術の概念が花開いた。1907年には官製の公募展がはじまる)
aとbにより「美術に対する工芸」の価値を向上させる必要性が生じた。
だから、民藝運動がはじまった。
そして、民藝運動は
① 健康で誠実な土着の工芸品の規範を定める
② ①のような品を作れる環境・職人を育成
③ 雑誌で同士を集めるなどし、販路を形成
ということを行ってきたので、「民藝」とは工芸の価値を高める芸術運動だと捉えられる。
芸術運動とは何か
3つ例を出します。
※知っている方は飛ばして大丈夫です
●シュルレアリスム(超現実主義)〈1920年代〜〉詩人アンドレ・ブルトンが提唱した思想活動。一般的には芸術の形態、主張の一つとして理解されている。
シュルレアリスムの多くの作品は、現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、まるで夢の中を覘いているような独特の非現実感は見る者に混乱、不可思議さをもたらす。
代表的な芸術家は、ルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、オディロン・ルドン
●フルクサス〈1960年代〜〉建築家ジョージ・マチューナスが提唱した前衛芸術運動。
フルクサスは模範的芸術と社会生活を動揺させる芸術活動で、ジャンルを超えた新たな芸術的遭遇をもくろんだり、日常の空間をそのまま芸術表現の場に変えようとしたり、偶像的・制度的な意味の総体に疑問を投げかけた。芸術と日常を結びつける現代芸術のキッカケとなった。
代表的な芸術家は、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク
●アーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動)〈1880年代〜〉詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリスが主導したデザイン運動。
産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張するためにアーツ・アンド・クラフツ運動をはじめた。
代表的な活動家は、ウォルター・クレイン、ジョン・ラスキン、クリストファー・ウォール
これらの芸術運動は基本的にすでに終わっている。
理由としては、旗振り役が死亡し運動が下火になったり、運動が受け入れられて運動する必要がなくなったり、時代がシフトして運動に意味を成さなくなったなどが挙げられる。
なお、芸術運動の正確な終焉は不明確なことが多い。
なぜ民藝は芸術運動として役割を終えるべきなのか
前述のアーツ・アンド・クラフツ運動は手工芸の復興を目指した運動であり、芸術的な手仕事による美しい日用品や生活空間を供給することで人々の生活の質を向上させることを理想とした。民藝運動はこの運動に強く影響を受けている。
(しかし、柳はアーツ・アンド・クラフツ運動で評価された作品を全く好まなかったらしい)
そして、アーツ・アンド・クラフツ運動はすでに終わっている。
運動の影響によりアール・ヌーヴォーが流行し、有名なアルフォンス・ミュシャのポスターをはじめ、装飾された家や建築によって日常にアートが浸透、つまり時代がシフトして運動に意味を成さなくなったことが運動を終えた大きな要因としてある。
さらに、1919年には総合芸術学校であるバウハウスが創設された。芸術と近代機械産業とを結合し、現代デザインの礎を築いた。バウハウスには日本人も通っており、水谷武彦はその卒業生の一人である。柳宗悦の長男で後の日本民藝館3代目館長・柳宗理は水谷の影響で、デザインに関心を抱いた。
芸術運動は社会インパクトを与え、後世の価値観や運動に大きな影響を与える。運動はそれぞれの時代に適した手段と目的で社会の変革をもたらす。
ここでは芸術運動を取り上げたが、社会運動として括っても良い。
とにかく、この手の運動には終わりがあるのだ。
理念が世に浸透しきるまで運動が続くということはない。運動している間に時代、社会が変わるからだ。
民藝運動が強く進められた時代の民藝品が民藝。それで良くないか。
理念を推し進めるために民藝運動が起きた。
そして民藝運動を推し進めるために、いわゆる民藝品がツールとして定められた。
わかりよくするためにその品を民藝という。
なにも民藝が一時代のものと定められたからといって、民藝が終わるわけではない。
民藝は息づく。
民藝に影響された作家や地域や企業によって、広がりを持つ。
今の時代に合ったツールで理念が伝わる。
未来永劫、民藝品の価値を保つことは難しい。その品で理念を広めることはもっと難しい。
だからこそ、民藝を1920年代〜1950年代の芸術運動として終わらすことで、柳が伝えたかったことを今後も時代にマッチした表現で普及させることができる。
それが、最も民藝の存在価値を高めるのではないか。
さいごに
私は民藝が好きです。
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