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うどんと走った廊下 #はじめて借りたあの部屋

はじめて借りた部屋は要塞だった。
要塞っぽい、のではなく実際に要塞と呼ばれていた。

女子のみ入居可の集合マンションで、何棟か連なる建屋の周りには高い壁、入り口には立派な鉄製の門扉があって、たとえ肉親であっても男性は立ち入ることができない。

管理人のおじさんが常駐している事務室の前を通り抜けて、辿りつくのはとびきり小さなワンルームだった。6畳の中にキッチンまで詰め込まれているから、たぶん東横インのシングルよりも狭い。もちろん、堂々たるユニットバス。

洗濯機は共用で、絨毯が敷かれた廊下をしばらく歩いた先にあった。要塞というか独房というか、いわゆる一人暮らしのイメージとは程遠い場所。

それでも大学まで徒歩15分、1ヶ月3万5000円。
私は最強のコスパに惹かれて、入居を即決した。


しばらく暮らしてみると、(洗濯に行くのがめんどくさい)(冷蔵庫がビジホサイズだから、冷凍ができない)(地元の彼氏が遊びに来てくれても、外泊だからお金がかかる)など問題は目白押しだった。夜になると周りは薄暗く、しょうもない痴漢に出くわしたことだって何度もある。

家まで送ってくれた人も、遊びに来た友達も、皆漏れなくドン引きする。マンション名を告げるだけで、反応が「www」なこともあった。なんでこんなところに決めたんだ、と自分でも思った。

その割に、いま思い出すと楽しいのはなぜだろう。狭いこと自体は居心地が良かった気がするし、掃除はラクだし、同じ要塞に住んでいる友達とは同志のようなチーム感があった。


ある日、上階に住む友達が、授業を休んでいた。連絡してみると、どうやら風邪をひいて寝込んでいるらしい。私は帰り道にスーパーへ寄り、彼女にうどんをこしらえることにした。

当時は料理のリョの字も分かっていなかったから、迷わずヒガシマルのうどんスープの素を使う。うどんを茹でて、ほうれん草か何かと、油揚げ。卵も溶いて入れてみた。うどんはあっという間にぶよぶよに伸びて、鍋のスープを吸っていく。慌てて着替え、友達に連絡して、片手鍋を持って廊下を走る。階段を駆け上がる。

ドアの先の友達はジャージ姿で、「いらっしゃい」といつも通りに迎えてくれた。片手鍋を見て笑い、鼻をすすりながら一緒にうどんを食べた。たぶんそんなにおいしいものではなかったはずだけど、「ありがとう、おいしいね」とにこにこしながら食べてくれた。

誰かにご飯を作る喜びをはじめて教えてくれたのは、あの要塞だった。

部屋に仕送り品が届くと、それをつまみに缶ビールや酎ハイを飲んだ。隣の子にお醤油を貸したら、お礼に果物が返ってきたりもした。私たちは小さすぎる部屋に収まり切らないものを、分け合って、満たし合った。

つまり、私がはじめて借りたのは、あの狭いワンルームだけではなくて… めんどうな洗濯機も、友達の部屋も、片手鍋を持ってうどんと走った廊下も、すべて含まれていたのだと思う。

がちゃんと閉まる鉄扉の中にあるすべて、あの要塞そのものが、はじめて借りた部屋だった。

#一人暮らし #思い出 #はじめて借りたあの部屋


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