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昔のことを覚えている人と、最近のこと以外は覚えていない人


全くもって表題の通りではあるが、
私は後者の特徴が強く、一時は病気なのでは?障害なのでは?と疑い調べまくったほどである。

友人や家族と話す際に、「え?そんな小さい頃のこと覚えているの?!」であるとか「半年前のことなのにもう何も覚えてないの?!」だとか、そういう会話に身に覚えはないだろうか?

私の弟は、記憶力が優れたタイプで、"幼稚園の頃に何をして親に叱られた"だとか、"自分のこういう発言が原因で私が怪我をした"だとか、起こった事象だけでなく発言まで詳細に覚えていて、私を驚かせることが多い。

対して私は、直近の3年くらい、それ以前のことは、学生時代の仲の良い友人や担任などすら覚えておらず、稀に古い友人と会ってその当時の話をしても会話に花を咲かせるどころか芽も出ない。

余談であるが、解離性健忘という解離性障害の一つの症状がある。詳しくはリンクを飛んで欲しいのだが、大きなストレスなど精神的なショックにより、脳の記憶が本来とは別の場所で行われ、記憶を呼び戻すことができないというようなものだ。
私は中学三年生の歳に母を癌で亡くしたうえに、その後卒業まで虐められていたので、その頃の記憶が薄いのかなと考えたことがあるが、とても楽しく過ごした高校生活のことも今となっては何も思い出せないので、別に原因があると結論づけた。

長い前置きになったが、楽しいことも辛いことも何も覚えていられないことが私がnoteを始めたきっかけである。

最近の私は、過去の記憶がないことに全く悩んでいない。嫌なこともすぐに忘れられて悩むことが減るし、いわゆる黒歴史を思い出して叫びたくなるような夜もなければ、お気に入りのアニメや本を何回読んでも初めて読んだ時のように展開が気になってワクワクできるし、感動して泣いちゃうこともできる。全然ハッピー。
でも、過去に悩んだ自分を否定したくないから、また将来悩むかもしれない私のために、悩んだこともいつか忘れちゃうであろう私のために、感じたことや考えたことをいつか見返せる場所に記しておこうと思う。

最初に悩んだのは中学生の頃だったかな。
"昔のこと ほとんど覚えていない"
"最近のことしか覚えていない人"
などと検索をかけたが、上記の解離性健忘についての記事や、機能不全な家庭で育った特徴であるとか、はたまた覚えておくべき記憶がないということだであるとか、当時の私がコレだと納得できるものはなかった。

ただ、楽しいことも辛いことも覚えていられないというのは、何も憂慮すべきことがなく、その悩みは解決しなくても大した問題ではなかったので、突き詰めることもなく偶に思い出しては、同じ質問をグーグルに投げかけ、いまいちしっくりこないまま画面を閉じるというのを繰り返してきて、不自由がなかった。

私はそういうタイプと割り切って生きてしばらくたった頃、
宮崎駿監督の"千と千尋の神隠し"というアニメ映画のDVDを見ていて、これまでも何回も見ているのに、湯婆婆の「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで…」という一言がやけに頭に残り、記憶についてまた頭を悩ますことになった。
考えてみればそうだよな、覚えていないという差ではなく、思い出せるか否かの違いという見方もあるよな、と。

そうなってくると、昔調べた障害だとか起こった事象の印象深さは関係なくて、思い出すための行動が不足していた、という考えができ、これが不思議と1番しっくりきたのだ。

あの時楽しかったよね〜と半年、一年毎に振り返る人と、全く振り返らない人では三年後の記憶の鮮明さには当然違いが出てくると思う。
私は高校進学を機に地元を離れたし、進学した大学は同じ高校の友達は少なかった。中学時代に虐められていたので地元の友達はおらず、成人式にも参加しなかったし、元々友達が多い方でもないので、高校時代の友人も限られた数人との関係のみ。学生時代にひとつ前の学生時代を振り返る機会がほとんどなかったのだ。これが学生時代の記憶がほとんどない理由かもしれない。


私にはアウトプットが足りない。
昔を懐かしみ記憶を留めておく行為が、記憶を呼び戻す行為が圧倒的に足りない。と気づいたわけである。

このnoteは、私のアウトプットの場である。

アウトプットしたからといって悩みが解決しない場合もある。原因が的外れだった場合だ。
その場合は今度こそ、
"そういうタイプだよなー私。嫌なこと忘れられてラッキー!大好きなスラムダンクも湘南頑張れ(泣)ってどっちが勝つ展開だったか忘れて手に汗握れるし、大好きなものに毎回出会い直せるって全員ができる経験じゃないよな!!!"とハッピーに開き直って生きていくのだと思う。

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