いざ行け!初写経at深川不動尊(後編)
写経の作法も色々あって
前回↓
バラエティーに富んだお守り群を横目に、レジ(と言う言い方もなんだが)
の女性に写経がしたい旨を告げ、住所や名前などを申込書に記入し、写経料2000円を納める。
本来は初回は作法について説明があるとのことも、1月は繁忙月のため行われていないと言われる。
次回、申し出れば説明は、してくれるとのこと。
そして、番号札を渡され、記載された席で行い、終了後はそのまま札を席に置いて退出するとのことであった。
場所を聞くと、先ほどまでいたお堂(と奥で繋がっている増築した??ビルっぽい部分)の2Fに写経道場があるとのこと。
そういえばそんなものがあった気がする。
ということで、お堂の奥に再び入ることに。
建物奥のお守りショップの近くの階段を上がり、2Fへ。
踊り場を見渡し、すぐに、小さめの引き戸を発見する。
近づいて、写経道場と確認し、しずしずと戸を開けると、ウナギの寝床状に奥に長い部屋には誰もいない。
ほの暗い部屋は、戸を閉めると意外なほど静かな空間となった。
あら、貸し切り…と思いながら壁のエアコンスイッチを押す。
階段を数段上がった通路の両脇が壁に向かって掘りごたつ状の長机になっており、隣と仕切られている。
両脇を合わせると20席以上あっただろうか。
部屋の突き当りの床の間?には小さ目の不動明王の仏像があり、写経を納める箱も置いてある。
わたしの番号札「9」の席は奥の方の席だった。
コートを脱ぎ、頭上のデスクライトを付けて机上を見ると、新品の小筆、墨汁、手本に用紙と、セッティングされた状態で揃っている。
作法についても詳しく書かれた紙が置いてあった。
のだが、最初に躓く。
塗香(ずこう)で身を清めるらしいのだが、どれが塗香なのか分からない…。
消去法的に、これか?と思えるお香入れ?が仏像の前にあるが、開けて良いのか、どんなもので、どんな使い方かもわからず、粗相も避けたく、とりあえずスルーし、まずは流れを一読。
写経前には、真言(マントラ)数種類などを心中で唱えるとのことで、記載されたものを(心の中であるが)、つっかえつっかえ読んでいたところ、入り口のドアがあき、先ほど受付をしてくれた女性がやってきた。
レシートを渡し忘れたとのことだが、もらった気がすると思いつつ、受け取り、そうだ!と戻る背中に声を掛け、塗香について尋ねる。
すると、やはり写経を納める箱のとなりの小さな香炉の中に入っている粉で、手に擦りこむとのこと。
ほほうと、片栗粉のように粒子の細かいグレーの粉を一つまみ、手に擦りこむ。
(後で調べたところ、口に含んだりもするらしい)
香りはそれほど強くなかった。
よしよしと思いながら、途中になっていたマントラを再開するが、日本語に変換されたなじみのない言語というのは、読むのが困難すぎる。
例)として、不動明王のマントラ
ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク
サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ
サラバビギナン ウンタラタ カンマン
リズムや抑揚も見当がつかないし、つい既知の言葉に寄せて、誤読してしまい、(あれ?)(あ、間違えた)(えっと…)とまごつく自分に、こんなんでいいのだろうかと思う…。
なんて、やっていたら、ドアが開いて、新たな方が入ってきた。
わたしが受付して貰ったのとは別の受付の女性が一緒で、やはり初回のひとらしく、塗香についても説明もされている。
他にも情報があるかと、なんとなく聞き耳を立てながら、小筆の穂先をおろし、墨をつけて、写経を開始した。
* * * * * *
若い頃にした一人旅の行先の一つは奈良だった。
題して、中宮寺の半跏思惟像と唐招提寺の鑑真和上像と法隆寺の夢殿を見る旅。って、まんまなんだけど。
(鑑真和上像は公開時期にしか見られない。念のため)。
その旅で購入した般若心経は、今も手元にある。
…撮影のため、改めて見ると、薬師寺って書いてあるから薬師寺で買ったらしい…。そうか…。
と、いうわけで、今回写経する般若心経自体は、全く縁がないということでもない。
ところで、般若心経は、簡単に言うと、仏陀の教えが濃縮された経典。
キーワードは、「空(くう)」。
般若心経の、色即是空 空即是色 という有名な言葉にあるように、この世のすべては、「空」で実体のないものだという。
生まれることも滅びることもなく、増えることも減ることもない。
五感の世界も「空」である。
苦しみも存在せず、なにかを得ることも、失うこともない。
ここまでが、これまでの私のおおざっぱな理解。
しかし、このnoteに書こうと思った時点で、改めて調べてみると、これは、半分くらいの内容にしかなっていないと気が付いた。
意訳をいくつものサイトで見たので、それらを自分なりにまとめたものになるのが、以下だ。
* * *
この世界は実体のない「空」だ。
ただ、「なにも存在しない虚無」ということではなく、固定化されない「空」が存在している。
「固定化されない」ということは何にでもなれるということだ。
同時に、何にでもなれるがゆえに、何ものでもないということでもある。
だから、特定の物事に、苦しんだり、こだわったりする必要はない、それらに固定化された実体はないからだ。
しかし、そうは思えないところに人間の苦悩は存在している。
この世で、感じたり見たりしているもので、わたしたちが本当に「実感」できるものはない。
一切の執着は意味がないのだ。
* * *
みたいな感じだろうか。
「悟り」…
なんて遠いんだ。
* * *
さて。
それはそれ。
初めての写経だが、お手本をなぞればよいので、気は楽だ。
筆先が上手くまとまらないのが気になったが、書き進めていく。
やはり「空」の文字が多い。
写経は、修行の一つで、それをすることで、仏様により近づけるということらしい。
写経で、集中の境地とか、心穏やかな感じとか、そんな「今」に没頭する状態になれるかなと期待しつつだったが、無理…。
まず、字が写経独特?の漢字などで、書き順とか、構造を考えてしまう場面多し。
それから、般若心経の大まかな意味はわかっていても、細かい意味がわからないので、つい説明書きに戻ったり。
また、一文字ひともじ、丁寧に書くことが大事なのだが、気が付くと、わりと雑になっていて、おお、イカンと慌てる。
という具合だ。
般若心経を体で覚えるくらいに修行(写経)したら、イケそうだとは思うが。
やがて、階下から護摩炊きの太鼓が響いてくるのを感じながら、わたしの写経も終わった。
写経の最後の部分には、願意(願い事)と、自分の住所・氏名を書く欄がある。
今のわたしには、ありがたくも切実な願いはなく、願意について、しばし考えることに。
結局、このように毎日が過ぎるといいなという四字熟語を書いた。
その後、それを所定の箱に納めて、席を立った。
一時間強が過ぎていた。
さて、先に書いたが、お守りを買うこともなかったわたしだが、現地から持ち帰ったものが一つある。
それは、写経のスタンプカードだ。
写経申込の時に頂いたが、これはアリなのか?!と、戸惑った。
なんと100回まであって、50と100で表彰されるとかなんとか言われた気がする。
即座に、1回2000円だから~と考えているし。
まあ、身体で般若心経を覚える「境地」に辿り着くには、それくらい必要とも言えるか。
写経自体は、嫌いじゃないので、ここのお寺でやってみたいというのを探して行ってみるのもいいなと思った次第だ。
* * * * *
―余談―
写経を終えて、すぐ隣にある富岡八幡宮をぐるりと周ると、そこにあったのは伊能忠敬の像。
49歳で隠居、江戸(門前仲町)に移り住み、50歳を過ぎてから69歳まで、日本中を足で実測し、地図を作っていった学校で習うメジャーな偉人だ。
その銅像は踏み出す足と、意志ある表情が印象的で、地道に歩み続けた彼の功績に相応しいものに見えた。
50を過ぎての偉業って、すごい。
思いがけず忠敬から元気をもらって門前仲町を後にした。
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